一度だけ問われたこと

母の行動がときに常軌を逸していると感じられたことは折々あった。あるにはあったが、それをことばにして「話す」ことはできなかった。母本人に「どうしてそんなことをするの」と尋ねることもできなかった。母が怒るからだ。父にその話をすることもできなかった。何かを相談しようとすると、父はその時々で、茶化すか、不機嫌に黙り込むかだった。つまり父には、家族の問題とまともに向き合う意志がなかったのだ。

相手が大人かこどもかに関わらず、近所の人に家の中のできごとを話すことを母は極端に嫌った。母の中では、(世間というものは自分たちを監視し、馬鹿にし、笑いものにしているのだ)というゆるぎない認識があった。台湾からの引き揚げの後、山の麓の町で周囲になじめなかったことなど、さまざまな体験が母の人格をそのように形成したのかもしれない。あるいはそれはもともとの母の脳の癖だったのだろうか。

われわれ母子の関係に知らん顔を決め込んでいた父が、一度だけわたしに母について問いただしたことがある。中学生の時だった。わたしは父の運転する車の助手席に乗っていた。雨が降っていた。父が突然
「あのな、お母さん、おかしないか」と訊いてきた。
つまり母が精神的におかしい、お前もそう思わないか、というのだ。その問いを耳にした時、身動きができなくなるような気持ち悪さを感じた。確かにおかしいといえばおかしい、だけどそれを認めるのはもっと恐ろしい……。
それにもしここで父に同意してしまったら、あとで必ず母からひどい目に遭わされるだろう。それも怖かった。
返事をしないわけにもいかず、わたしが曖昧な態度で
「お母さん、頑固でキツいから……」と答えると、父は大きな声で打ち返すように
「頑固とか、そういう問題とちゃうやろ」と言い、一呼吸置いてから、もうええわ、と話を打ち切ってしまった。
わたしは蜘蛛の糸も垂れて来ない暗い場所に置き去りにされたような気持ちになった。悪心がした。車のワイパーだけがぐぎゅん、ぐぎゅんと音を立てていた。

父はあの時、どうしてあんなことを訊いたのだろう。あの時わたしが父の問いに同意したら、父はどうするつもりだったのだろうか。

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