冬の星
5歳の頃、まだ自宅に風呂がなかったために折々銭湯に通っていた。銭湯は自宅近くの公設市場の裏手にあった。普段は母とふたりで行くことが多かったが、その日は帰りの遅い父を待って家族3人で出かけたのだった。わたしたちが入浴を済ませた頃にはもう銭湯も仕舞う時間で、大きな暖簾が下足場の内側にしまい込まれていた。冬だった。風がなくてとても寒い日だった。銭湯を出て真っ暗な市場に沿って歩くと、魚屋の裏に木のトロ箱が乱雑に積み上げられていて、それがひどく臭った。その魚屋の先は急な下り坂になっていて、南の空が大きく開けて見えた。この坂に3人で来た時には、わたしは父と母に「せーのーで」をしてもらうのが楽しみだった。「せーのーで」というのはわたしが勝手に命名した遊びともつかない遊びで、左手を父、右手を母に引っ張り上げてもらって、ぶらーんと空中にぶら下がってから前に着地するというものである。真っ暗な下り坂に向かって放り出すように揺すってもらうと、目に見えないブランコで、夜空にどこまでも飛びあがっていけるような気がして、どきどきした。何度も何度も、もう一回、もう一回とねだって、しまいに嫌がられた。空の高いところには、冬の星が光っていた。
5歳のわたしのどこにあんな力があったのだろう。どこまでも折り合いのつかない父と母の手を、こどもという存在を介してつながせる力が、わたしの中には確かにあったのだと思う。
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