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心の整理をした「12月の手帖」

日記をつけ始めたのは11歳の頃でした。
ZIGGYというサンリオキャラクターの分厚い日記帳をいただいたのがきっかけです。日記帳には小さな鍵がついていたので、家族に見られる心配もありません。
それは、心の内を吐露する場を得たことを意味していました。
私は新雪を踏むような気持ちで最初のページに文章を綴りました。

それからというもの、感受性の鋭さと繊細な神経に他の誰でもない自分自身が振り回され、ついにはへとへとになってしまう私にとって、「書く」ということは自分を救い出すための手段となりました。誤解を恐れず言えば、書くという行為は狂ってしまわないための手段であり、内的世界と外的世界に折り合いをつけながらどうにか生きていくための手段だったのです。

やがて日記帖だけではなく、詩を書くためのノートや思いついたことをただ書き連ねる手帖など、いくつもの帖を併用するようになりました。
さらに師走になると、その一年を振り返る「12月の手帖」をつくるようになったのです。
1月から11月まで、その年にあった印象深い出来事を想い出しながら、それについて自分はどう感じ何を思ったのか、そして今はどう思うのか・・・といったことどもを、心のままに綴りました。

一年といえども実に様々なことがあるものです。そして、当然ながら悲喜こもごもです。
嬉しかったことはともかく、嫌だったことを「嫌なこと」にしたままでいることをしたくなかった。
あのときは本当に悲しかったし、実をいえば今だって想い出すと少し辛いのだけれど、もう過ぎたことだし、前に進むには荷が軽い方がいい。
そんなふうにして、心の中でまだ少しすねている自分自身と折り合いをつけ、心を整理していったのです。

「12月の手帖」は、その一年の決算書のようなものでした。
心を整理して、浄化をしたことを思えば、年末の大掃除のようなものだともいえましょう。

家事と育児と仕事と自分の時間と、一手に引き受けて生きるようになってからは、いつの間にか「12月の手帖」を持たなくなりました。
それどころか日記そのものをつけなくなりました。
代わりに、少し上質なノートを購入して、ふと思いついたことなどをささっと書いています。これは何と名付けたらよいものか・・・「想いの手帖」とでもいいましょうか。
もはや「12月の手帖」を頼らずとも、棚卸しが出来るようになったのかも知れません。

いえ、そうではなくて・・・
人生の後半に起きることは、ひとつひとつがあまりにも深淵だから、とても言葉に表せないのです。言葉にした瞬間に、核心が少しずれたりぼやけたりしてしまう。
だからじっと心の中で温めて熟成させるほかないのです。
そしていつか形を変えて綴られていくことになるのでしょう。
それは、もしかしたらまったく別の形に見えるかも知れません。
でも、実はそれこそが核心を失わない手段だったりするのです。


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