明治女に学ぶ美しい人生のたしなみ*第一回 今日を最期と生きるのです
明治女の強さや美しさはどこから?
「明治女」といえば、誰もが一目置いているものではないでしょうか。自由の少なかったに時代に生を受けながら、それでも精いっぱい自分らしく生きようと道を切り開いていった明治女たち。その姿は強く美しく、包み込むようなやさしさをも感じさせます。
いつからか私は、明治女に憧れを抱くようになりました。そして「その強さの源は?」「美しく生きるとはどういうこと?」などの疑問を明治女に求めるようになったのです。
これから読者のみなさまと共に、より豊かに美しく生きるためのあり方を明治女から学びたいと思います。人生の教訓・・・などというと大げさな感じがするので「たしなみ」と呼ぶことにいたしました。
ともあれ、まずは私にとって最も身近な明治女である祖母についてお話させていただきましょう。
今日もいのちがありましたね
元米沢藩士の娘として生まれた祖母は厳格な武家の躾を受けました。その父(私にとっては曾祖父)の口癖は、「おなごがでたらめになったら世の中がでたらめになる」。当時の男性は、社会というのは実は女性が動かしているということをよく理解していたのでしょう。このように諭された祖母は、女として生まれたことに誇りと気概を抱くようになったのです。
また、ごく幼い頃から死生観についても教えられました。死を悟ることは最も重要な教育です。この命には限りがあること、その終わりは誰にもわからず、まさに「神のみぞ知る」ということを教えられます。そのうえで一度きりの人生を、名を汚すことなく立派に生き抜いてゆくのです。それには、やはり覚悟が必要になるのです。
不吉な話に思われるかも知れませんが、明日、この命が終わることもあるかもしれません。それを思えば「佳い人生だったと思えるように今日一日をしっかり生きなければ」という気持になります。この一日一日は人生そのものであると気づかされるのです。
覚悟が揺らいでもいい 何度だって腹をくくりなされ
覚悟は揺れるもの、心は弱いもの
こうして生きている自分を発見し、その生を少しでも後悔のないものにしようという想いを日々磨き抜いていくと、それがやがて覚悟に繋がっていくのかもしれません。
このような死生観を、私も幼い頃に祖母から授けられました。もっとも、祖母は「死」という言葉を一度たりとも口にしていません。それは不思議な諭しかたでした。
朝の日課として身繕いをすると、まず祖母にご挨拶をするのですが、その際、時おり言われたのです。
「今日もいのちがありましたね。ありがたいこと」
ただこれだけのことだったのですが、子どもながら、だんだんと気づかされていったようです。毎日を大切に生きていこうという想いを比較的若いうちから抱くことができたのは、祖母のおかげに他なりません。
激動の時代を生きた祖母でしたが、数々の試練の中でも、最も辛かったのは、先の大戦における長男の戦死でした。昭和十九年のまだ春浅い三月のことで、家族は跡継ぎを失ったために動揺し、打ちひしがれました。しかし祖母は毅然として皆を諭したのです。
「こういう時こそ何があっても生きていくのだと、しっかり腹をくくりなさい。米沢のお殿様も為せば成ると言っています。覚悟なさいということです。覚悟が揺らいだら、何度でも腹をくくりなおしなさい」
祖母が「米沢の殿様」と言ったのは上杉鷹山公のことです。敬愛してやまない鷹山公が祖母にとっては「上杉の殿様」、ちなみに謙信公は「初代様」でした。
祖母の言葉にうち沈んでいた空気は一変し、皆少しずつ元気を取り戻しました。悲しみが癒えることがなくても、それはそれとして承り、しっかり足を踏ん張っていこうという気持になったのです。
心懸けは生涯のものですよ
覚悟を決めるというのは難しいものです。腹をくくったつもりが、また動揺することなどいくらでもあるでしょう。祖母が「何度でも腹をくくりなおしたらいい」と言ったのは、覚悟は揺らぐもの、人の心は弱いものと、ありのまま受け入れていたためでしょう。くじけても諦める必要はないのです。またもう一度、決心し立ち上がればいい。
大切なことを教えるとき、祖母は「心懸けというのは生涯のものなんですよ」と言ったものです。この一生は何度も腹をくくりながら生きていくものなのだということをも教えられていたのだと、今さらながら気づきました。人生の学びも生涯つづくのです。
(初出 月刊『清流』2019年1月号)
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