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「言葉」を畏怖する心情
言葉というものを
不用心に扱うようになっているかも知れない。
その昔、小泉八雲は美保関の旅館で
可愛らしい給仕の娘さんに
「卵はありませんか?」と尋ねたところ
娘さんは観音様のような微笑みを浮かべ
「あひるの卵が少しございます」と
返事をしたという。
その丁寧な応対ぶりに八雲は嬉しい喜びを覚えた。
彼がついに日本に骨を埋めたのは
他にも種々の理由があろうけれど
そこには必ず言葉があったはずで
おそらく丁寧さと温かさを感じたのだろう。
言葉というものの大切さを知るということは
恐れを知ると言うことでもあるでしょう。
自分の発した言葉は
ことごとく我が身に返ってくるという
畏怖を知ると言うことでしょう。
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