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3.一枝の草・一把の土であっても協力して欲しい

聖武天皇みずから土を運ぶ

 聖武天皇による大仏建立は、当然ながら国家鎮護が最大の目的でした。
 多くの国費と国民を動員することは、相当な無理を強いているようにも見受けられます。しかし、この大胆な行政により、国民の心が一つとなり活気を取り戻すことに成功しました。
 それには聖武天皇みずから袂に土を入れて運んだことも大きかったでしょう。聖武天皇は「一枝の草・一把の土であっても協力して欲しい」という言葉を含んだ詔を下したのですが、まずはご自身がそのあり方をお示しになり、光明皇后や貴人官人もそれにならったのです。
 このように天皇皇后はじめ朝廷が手本を示したことが、衆生の心をひとつにした大きな理由であることは間違いありません。

庶民を救おうとした僧、行基

 また、国民を動かす大きな力となった人物として、行基を挙げておかねばなりません。
 奈良時代を代表する僧の一人である行基は、衆生たる一般の人々に対して仏法を説いて回りました。というと、当たり前のことに思われるかも知れませんが、実はこの時代の仏教は貴人の教養とされており、一般庶民に仏法を説く行為は禁じられているに等しかったのです。
 そこを行基は「庶民こそ救済せねばならない」という確固たる覚悟をもって行動していたのでした。
 疫病と貧困にあえいでいた庶民は、行基の説法に救いの光を見出します。このことは庶民の間に仏教が根付いていくきっかけとしても非常に画期的なことです。
 行基の活動により、やがて各地に信者の集団ができていきました。
 聖武天皇も最初のうちは行基をよくは思し召さなかったようです。
 しかし行基の活動がきっかけで生まれた民衆の組織は無視できない存在であり、むしろ行基の組織力を積極的に取り入れるほうが国家のためにもなると判断したのでしょう。
 聖武天皇は行基を積極的に登用することにしました。その結果、聖武天皇の悲願である大仏建立は国民の願いにもなったのです。
 

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