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明治女に学ぶ美しい人生のたしなみ*第6回 物事は何でも、いつの間にかこの仕事ができたかと際立たないのがいい

幸田文
明治三七(一九〇四)年、幸田露伴の次女として生まれる。生母を六歳、姉を八歳、弟を二二歳で失う。二四歳で結婚するも約十年後に離婚。露伴を献身的介護で看取り四四歳から執筆活動に入る。以降、小説や随筆など数々の名作を世に送り出す。晩年は奈良・法輪寺の三重の塔再建に尽力した。一九九〇(平成二)年、没。享年八六歳。

美を愛する父・露伴の人間教育

 江戸時代、幸田家は大名の取次ぎを職とする主御坊主衆でした。文は幕臣の家系に生まれたのです。実母を七歳で失い継母がきたものの、父である露伴と極めて折り合いが悪く、文が一五歳の時に別居となってしまいます。もっとも、継母は文にも辛く当たっており、文にしてみれば、あまり良い想い出がなかったようです。ともあれ、文は「二人の母」を失ったのでした。

 この当時、母が子供に家事を身につけさせることは大切な家庭教育で、花嫁修業にもなっていました。母親不在となった幸田家では、父である露伴が文に家事全般を教授するようになったのです。父親が教える家事など、いい加減なものに違いないと思いきや、ともすれば女性以上に配慮と工夫がされているのではないかと思うほど。しかも露伴は美意識が高く、どこまでも「美しいかどうか」を求めてくるのです。それは「人としてどうあるべきか」「いかに美しく生きるか」ということにも繋がる、露伴独特の人間教育なのでした。そのため幸田文の生き方に迫ろうとすると、結局は「露伴の教え」に行き着くのです。それは今なお示唆に富む教えということができるでしょう。

家事をする姿も美しく

 露伴の家事指南は、家事の前段階である「ままごと遊び」で、すでに始まっていました。露伴はたとえままごと遊びでも、どうすれば美しく、おいしそうに盛りつけられるか工夫するのです。文もそれを真似て、露伴のもとに客人があった際、庭から客間へ「ごちそう」を運びました。露伴は叱るどころか、「せっかくのごちそう、お客様にさしあげなさい」というのです。文が型どおりお膳に置くと、客人もまたていねいにお辞儀をするのでした。

 本格的な家事の指導が始まったのは文が十四歳の時です。はたきをかけると、いきなり「待った」がかかります。そんなやり方では障子が傷むばかりで桟の埃はこれっぽっちもとれていないと叱るのです。「おじょうさん、痛いよう」とからかったり、「なんだその音は」と文句を言ったり。

「あんなにばたばたやってみろ。意地の悪い姑さんなら敵討ちがはじまったよって駆け出すかも知れない。はたきをかけるのに広告はいらない。物事は何でもいつの間にこのしごとができたかというように際立たないのがいい」

『父・こんなこと』新潮文庫

 掃除をしている時の仕草にも、いちいち注文がありました。文が無造作な仕草をすると、すかさず指摘します。

「そういうしぐさをしている自分の姿を描いて見なさい、みっともない格好だ。女はどんな時でも見よい方がいいんだ。はたらいている時に未熟な形をするようなやつは、気どったって澄ましたって見る人が見りゃ問題にゃならん」(同)

『父・こんなこと』新潮文庫

 なんだか私まで叱られている気分になりますが、なるほどなぁと思うのです。人は意識している時は、それなり美しく振る舞えるものです。けれど問題は無意識の時。ふだん一人でいるときの表情や仕草が否応なしに出てしまうものではないでしょうか。そして、第三者の目には、そういう姿のほうが、なぜか目につきやすいのです。それを思えば誰も見ていない舞台裏でこそ美しくあろうとすべきなのでしょう。人目を気にする前に、自分を見る目を常に持ち、自分の目こそ気にするようにするのです。

慌てず騒がず気息を整える

 文の家事能力は向上し、法事などでご近所に手伝いに行くと必ず褒められるようになりました。が、一方で、自分の娘が褒められなかったのを悔しがる母親たちから、家事ばかりできても茶道や華道などの嗜みがないなんて、と、厭みを言われることもありました。悔しさのあまり一言も言い返せずに帰宅した文は、事の次第を露伴に訴えます。露伴は「その通りではないか」と返しました。実際、茶の湯も活花も習わせていなかったのです。

 本当のことを言われた時は素直に仰せの通りと言えばいい。恥ずかしいと思ったなら、そのまま「お恥ずかしゅうございます」と言い、むしろ何卒ご指導下さいと素直に心から教えを乞うといい。そして、「水の流れるように、さからわず、そしてひたひたと相手の中へひろがっていけば、カッと抵抗してたかぶるみじめさからだけは、少なくとものがれることはできた筈だと教えてくれ、それを教えて親の手落ちで、すまないことをした」(同)と露伴は言いました。

 厭みを言った側からすれば、こんな反応をされたら立つ瀬がないでしょう。いたずらに憤らず、穏やかに譲って勝つことを教えたのです。

 怒りや悲しみ、妬みなど、負の感情に任せた衝動的な言動からは、佳いことはうまれません。傷つくのは他でもない、自分自身です。
 ショックを受けた時は慌てず気息を整える。「そのうちに受け太刀がわかる」とは露伴の言葉ですが、つまりは落ち着いて受け止めれば、最善の対処が尽くせるということでしょう。

(初出 月刊『清流』2019年6月号 ※加筆2022年9月6日)
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