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フランクルの言葉②「裸の」人間

最後の最後まで問題であり続けたのは、
人間でした。「裸の」人間でした。
この数年間に、すべてのものが人間から抜け落ちました。
金も、権力も、名声もです。
もはや何ものも確かでなくなりました。
人生も、健康も、幸福もです。
すべてが疑わしいものになりました。
虚栄も、野心も、縁故もです。
すべてが、裸の実存に還元されました。
苦痛に焼き尽くされて、
本質的でないものはすべて溶け去りました。
人間は溶け出されて一つになり、
その正体をあらわしました。
それはつぎのどちらかでした。
ある場合には、その正体は、大衆のなかのひとりでした。
つまり本来の人間では全然ありませんでした。
つまりじっさい、どこの誰でもない人間でした。
匿名の人間、名もない「もの」、たとえば囚人番号でした。
人間は今となってはもうそういう「もの」でしかなかったのです。
でも、またある場合は、人間は、
溶融されてその本来の自己にもどったのです。
そこでは、やはりまだ決断というようなものの
余地があったのでしょうか。
そうだとしても、不思議ではありません。
人間はありのままの実存に連れ戻されたのですが、
この「実存」とは、まさしく決断にほかならないからです。

『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル(春秋社)

写真:魚住心 Leica filmcamera

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