長編時代小説「梅すだれ」de 創作大賞2024 其ノ壱
徳川三代将軍家光公御時のこと。
甲斐の国の山間にある小さな村にお千代は生まれた。
お千代の両親、紗代と幹助は幼馴染で、紗代が千代を妊娠したことを機に男手のない紗代の家に幹助が住むようになった。
紗代の母である喜代は、これまた幼馴染の豊吉と結婚し、五人の子を産んだがどれも娘で二人は幼くして死に、残った三人のうち二人は村の男に嫁いだ。残った末娘の紗代と三人、畑を耕しながら細々と生きていたのだけれど、豊吉は二年前に山で怪我をした。そしてそれが元となりあっけなく死んでしまった。突然二人きりになってしまったが、嫁いだ娘たちの助けを借りながら平穏に生きていた。
そこへ幹助が仲間入りをしお千代も生まれ、三年後には松之助、そのまた四年後には豊代も生まれた。静かな生活が一転、また慌ただしくも賑やかで楽しい毎日を送っていた。
もともと虚弱体質な紗代は三人目を産んでから寝込むこともあったが、喜代に似て働き者。そして紗代の子、お千代も幼いながらよく働く娘で、病弱な母親の代わりに豊代の面倒を甲斐甲斐しくみるのだった。
お千代は九つになった時、母親の紗代に刺し子を教えてほしいとねだった。
着物を長く使えるように糸で補強をするのが刺し子。どの家でもしていることだったが、紗代の刺す糸は一味も二味も違う。針の目は均一で、大空に伸びる一筋の雲のようにまっすぐに連なるし、曲線を描けば、村を囲む山々を縁取ったように悠々とうねる。
紗代が針で描く線の美しさは村一番だった。そんな紗代に、姉たちは刺し子を頼みに着物を持ってくる。紗代は刺し子の模様をジグザグや波波や着る人によって変えて、頼まれればいくらでも縫った。
お千代は一度尋ねたことがあった。
「なんで五郎平のは丸いんだ?三郎吉のは三角だ?」
「なんとなくずら。五郎平は丸っこいし、三郎吉は角角してる」
黒くて骨ばった五郎平は丸っこくないし、三郎吉はひょろりと細長い体をしている。お千代には紗代さよの言っていることがさっぱりわからない。しかし、この紗代の刺し子は評判がよかった。自分だけの模様を気に入り、村のいろんな人が刺してほしいと頼みに来た。
そして有難いことに刺し子のお礼にと、野菜や手編みのかご、薪などを持って来る。みな自分の得意とする物を持参して紗代の刺し子と交換していった。お千代の大好きな熟れた李を持って来る人もいる。
「母ちゃんの刺し子はすげえ。こんなにおいしい李になるずら。」
ご褒美ともいえる返礼の品欲しさに、お千代は刺し子をしたいと思うようになった。
「できるだか?」
紗代はお千代の小さな手に針を持たせて、手ぬぐいを縫わせてみた。
「いたっ!」
自分の手を刺してしまうお千代に、
「まだ早いだ。もっと大きくなってからずら。」
とやめさせようとしたが、
「大丈夫だ。できるずら!」
と気張るお千代は、指を突きながらも日に日に縫えるようになっていった。そしてその針の目は、紗代のようにきれいに揃っていた。
「お千代の手は紗代にそっくりずら。器用が似て良かった。」
そう言う喜代の手は、二人のすらりと伸びた長い指とは似ても似つかない大きくてごつい手だ。体の小ささからは想像もつかないほどに、掌がやけに大きい。
「わしの手は不器用ずら。」
と言う喜代だが、ほかの者には作れないものをこの手で作ることができる。それは、将軍家光公も食べたという団子だ。
甲斐の国は甲州街道で江戸と繋がっていることもあり、将軍家直属の領地である。お千代の住む村は四方を山で囲まれていて、東の山の南側が鷹場になっている。そこへ年に一度、家光公が鷹狩りをしに来た。家光公はお千代が七つの時に亡くなられたが、亡くなる前年まで来ていたそうだ。
鷹狩りの為に、近隣の村は食事や鷹の獲物を用意せねばならなかった。男たちは鷹の好きそうな鳥や鼠を何日も前から捕まえて準備した。そして村でおいしいと評判の喜代の団子も、提供する品に数えられていた。
喜代は団子を手作りの味噌から出る汁に浸けてから焼いた。その琥珀色の汁が喜代の団子を格段に美味しくする。
鷹狩りの日には朝早くから沢山の米を蒸して丸めて焼いた。嫁いだ娘たちも手伝いに来て、その準備に大忙しだった。その様子を小さかったお千代は何となく覚えている。
婆ちゃんの手からコロコロと転がり落ちてくるまん丸の団子。それを母ちゃんたちが串に刺して琥珀の汁に浸けて焼いていくのだ。
その出来立ての熱々を幹助が鷹場へ運ぶ。帰ってくる時、懐は小判で膨れていた。
数日後、その小判を持って幹助は東の山を越える。すると甲州街道へ出る。そこから七里南へ歩くと甲府の町に着く。そこで布や糸や何やらを買ってくるのだ。
幹助はお調子者で気前の良い性質だから、行けばどっさり買い込んでくる。自分用の酒はもちろん、紗代の姉たちにも寒い冬をしのぐ為の新しい着物と真綿、可愛い髪飾りや甘い飴、村では手に入らない色んなものを買ってきた。
村の女たちは髪の毛を頭の上で一つに縛り、いわゆるポニーテールにしていた。垂れた髪は邪魔なので布で覆うのが常識で、その髪を覆う布として、喜代にまで光沢のあるおしゃれな紬布を買ってきたことがあって、
「婆にこんなものを…。」
と喜代に呆れられたりもした。
そんな鷹狩りも、家光公が崩御してからはされなくなった。新しい将軍はまだ十一歳。将軍の弟が甲府藩の藩主になったがまだ七歳。二人が大人になればまた鷹狩をしに来るだろうとその日を楽しみに待っていたのだけど、家光公が亡くなってから三年が経った年のこと。大きな不幸が村に襲い掛かった。婆ちゃんや母ちゃんのように生きるはずだったお千代の運命を大きく変える不幸が。
お千代の住む村、大泉は人口が百人にも満たない小さな村だ。
村の中心には大きな田んぼがある。お千代たちの遠い先祖たちが西の山から流れてくる川の水をひいて作った田んぼで、それを村のみんなで耕して暮らしている。収穫した米は家の人数に応じて配分される。
甲府藩の役人に収める米は収穫量のうちのほんのわずかでいい。田んぼが今の半分しかなかった時に石高が決められたからだ。開墾を続けて田んぼは大きくなったけれど、年貢米の量は変わっていない。
忘れ去られたかのように、山の中にひっそりとある小さな村だった。
村の南側は土地が少し高い。そこに家が十三軒建ち並んでいて、どの家も家の前の畑で野菜を作っている。そのうちの三軒は牛を飼っている。米作りに欠かせない大切な牛だ。
村のことは年寄り五、六人が北にある小屋に集まって決めている。
みんな何かしら血縁関係があるから、村全体が大きな家族のようだった。
そんな村でお千代が十になった時、風邪が流行った。鼻汁はもちろん、喉が痒かったり下痢をしたりする子どもが出て来た。いつもの子どもの流行風邪だと思っていたら、大人も罹り出した。医者なんていないから、年寄りの勧める柚子や百合根を食べたり、薬草を煎じて飲んでいた。しかし治らないどころか病人は増える一方だった。
お千代の弟、松之助も罹った。熱を出して寝込んだのだ。幹助も喉が痒いと言い出したし、お千代も熱を出した。
お千代の家には部屋が一つしかない。玄関を入るとまず土間がある。左側には水甕みずがめと収穫した野菜が置いてあって、右側には小さな釜戸がある。その土間を上がった左寄りに囲炉裏があって、そこに鍋をかけて食事をする。その部屋の残り三隅さんすみに雑魚寝をして家族六人が暮らしていた。
熱を出した松之助とお千代は部屋の奥に寝かせられて衝立を置いて仕切られた。
でもそんな状態だから、すぐに豊代にうつった。まだ三つの豊代は熱を出したと思ったら全身に真っ赤な発疹が出た。村の中でも発疹の出るものがいて、何人かは数日後に死んでしまった。
熱にうなされて寝込んでいたお千代は、紗代が「お豊代、お豊代ー」と泣くのを聞いたのを覚えている。そのあと紗代も熱を出して寝込み、幹助が「お紗代、お紗代ー」と泣くのを聞いた。
ほどなくしてお千代の体にも赤い点々が出始めた。幹助が枕元で「しっかりしろ、お千代!」と一晩中看病した。その甲斐あってか、赤い発疹は黒いあざのようになり、消えてしまった。松之助もそうだった。全身に出ていたのが嘘のように、赤い斑点は消え失せた。
まだ怠い体でお千代が衝立の向こうへ起きていくと、幹助しかいない。
「母ちゃんはどこだ?婆ちゃんは?お豊代はどこへ行ったずら?」
俯いて座り込んでいる幹助は答えない。お千代が外へ探しに行こうとすると「まだ寝てろ」と怒鳴る幹助。しかし婆ちゃんも母ちゃんもいない寂しさに、
「母ちゃんたちはどこ行ったずら?探してくる」
と土間へ下りた。
「寝てろって言ったずら!」
幹助のあまりの剣幕に松之助が「かあちゃーん!」と泣き出した。いつでも子どもたちの声が聞こえるところにいて、泣くとすぐに飛んで来た婆ちゃん。でも松之助が泣き続けるのに姿を現さない。こんなことは初めてだ。
おかしい。そこはかとない恐ろしさを感じたお千代はやっぱり探しに出ようとした。すると幹助が苦しそうに言った。
「裏だ。裏の土ん中ずら。」
どういう意味だか吞み込めないお千代は、とりあえず家の裏へ行った。薪が積んであって草が伸び放題の裏へ。でもそこに草はなく、ポッコリと三か所が盛り上がっている。最近そこを掘り返したのが歴然とわかる。
呆然と立つお千代の後ろで幹助が言った。
「左から、お豊代、紗代、婆ちゃんずら」
この村に墓はない。家の誰かが亡くなれば家の周りに埋めている。そうすれば亡くなった人が家を守ってくれるからだ。
豊吉も紗代亡くなった二人の姉も、家の裏に埋められている。でもそれはお千代が生まれる前の話。どういうことかわからないお千代は無言で幹助を見た。
「死んだんだ。お豊代も紗代も婆ちゃんも。」
幹助の歪んだ顔に涙が流れた。
「なにを言ってるだ?死ぬわけないずら。」
「死んだずら。おまえもまだ病み上がりだ。中で寝てろ。」
お千代の手を引っ張って幹助は家の中へ入った。そんな幹助の腕には赤い発疹が出始めていた。
数日後、その発疹は全身に広がった。どうすればいいのかわからないお千代は涙声で「父とうちゃん」と寝込んでいる幹助の横で言うしかなかったのだけど、母ちゃんと婆ちゃんが帰って来たら何とかしてくれると信じていた。
しかし幹助の発疹は数日で消えたが、母ちゃんも婆ちゃんも、そしてお豊代も二度と帰っては来なかったのだった。
村を襲った感染病。それは五月に始まり年の暮れまで続いた。生き残ったのは半分ほど。八十三人いたのが四十一人にまで減ってしまった。
どの家も失った家族への悲しみに暮れながら、寒い冬を過ごすことになった。
昨年の実りの秋、収穫の時期には寝込む者が多くて作業などできなかったから米の収穫はほとんどない。それでも村には十分な蓄えがある。
いつのことかわからないほど遠い昔、この村は水の中にあった。「大泉」と言う名前のとおり、ここは大きな泉だったのだ。しかし湧いていた水は枯れてしまい干上がってできたのがこの村と言うわけだ。今も西の山からはたくさんの水が湧き出してくる。
そしてこれもまたいつのことか、西の山から流れてくる川が氾濫して村を呑み込んだことがあった。その教訓として、南の高台に家を構えるようになったのだ。
伝説のような言い伝えだが、村の誰もが信じている。いつまた水に浸かってもいいようにと南の高台の上に穴が掘ってあって、そこに数年分の米を貯蔵している。
天災ともいえる感染病が蔓延したこの冬は、備蓄している米を掘り出して食べている。
大泉の村は四方を山に囲まれているおかげか、真冬にどれほど冷え込んでも雪はあまり降らない。しかしこの年だけは違った。悲しみに暮れる村人の心を凍らせるように、白い雪があとからあとから村に降り注いだ。
村人たちは家の中に籠るしかなく、いつもよりも少ない家族と大人しく春が来るのを待つしかなかった。
お千代も父ちゃんと松之助しかいない家の中で、母ちゃんと婆ちゃんはいつ帰って来るのかと待ちに待っていた。しかし、祝うこともない静かな正月を過ぎたころから、もう帰って来ないのだとわかり始めた。それでやけに口数の少なくなった父ちゃんに、母ちゃんや婆ちゃんのことを訊くことを止めた。そんなお千代に習ってか、松之助も「かあちゃん」と言わなくなった。
やがて白く閉ざされた村に、雪解けの水の流れる音が聞こえるようになった。黄色い福寿草が暗く塞ぐ村を励ますように元気に咲き始めた。ついに春が来たのだ。
悪夢のような時間は過ぎた。誰もが暖かな春風に元気をもらおうと外に出た。生き残った者たちには、以外にも高齢者が多かった。六十一歳以上の年寄りは皆生きていたのだ。
幹助の母親は六十六歳。生き抜いた村民の一人だ。その婆ちゃんが言うには、
「忘れもしねえ。この病は六十年前にも村を襲ったずら。その時もたくさんの人が死んだ。わしも罹ったが治ったずら。この病は一度罹ったらもう罹んねえ。年寄りばっか生き残って、なんともなんねえずら」
お千代の母親の方の婆ちゃん、喜代は五十六歳だった。前回の感染病発症の後に生まれてきていたから、初めての罹患だった。年寄りや赤ん坊、そして妊婦は死ぬ確率が高かったから、年老いた喜代も、生まれつき体の弱い紗代も、幼い豊代も、この病に打ち勝つことはできなかった。
とは言え、残った村人たちは様々だった。子どもだけを失った家もあれば、年寄りと子どもが生き残った家もあった。幹助の兄夫婦も子どもを置いて死んでしまった。婆ちゃんと甥っ子二人が残されたのだ。
幹助の兄は幹助よりも十四歳年上だった。三十一歳の幹助は、兄の二人の息子、二十四歳と二十一歳の甥たちとのほうが年が近い。自然と甥たちと兄弟のように育っていた。
実家を心配する幹助だったが、上の甥っ子はこれを機に恋仲にあるアヤと結婚することにした。悲しんでばかりはいられない。村の誰もが新しく芽を出す花のように、前向きに生きようと頑張り始めていた。
ところが幹助はそうはいかなかった。村全体が空元気とも言える威勢を出して農作業を始めたというのに、畑の種まきも村人全員が協力してすることになっている田植えさえも、何もしようとしない。家の中に寝転がって出ようともしない。紗代がいなくなったことから立ち直れないでいるのだ。まるで生きる気力を失ったかのように見えた。
一方、悲しみを乗り越えようと動き出した村で、お千代もじっとなんてしていられなかった。
紗代の二番目の姉、夏世のところへ通って畑作業を手伝った。
夏世は夫婦で生き残っていた。子どもは四人のうち二人目と三人目である次女と長男の三郎吉が亡くなり、長女と末子である二歳の次男が残った。
長女が末の子のお守りをしているのを見ると、お千代は豊代を負んぶしてあやしていたことを思い出してしまい、もう自分にはあやす豊代がいないのだと悲しくもなったが、沈んでなどいられない。婆ちゃんも母ちゃんもいない今、自分が婆ちゃんと母ちゃんになって働くのだと、意気込んだ。
畑の草を抜いて土を耕し、村で作っている堆肥をまいて種を蒔く。夏世の畑を手伝いながら覚えて、自分の家の畑で同じことをした。見よう見まねだけど、なんとか種蒔きはできた。それが終わると、村総出で行う田植えに参加した。
男たちが田を耕して、女たちが苗を植える。その植える苗は、親田で育てたもので、男たちが本田まで運んでくる。それを子どもたちが田んぼの中で待ち構えている女たちのところまで運ぶのだ。
いつもの半分しかいないから人手不足は否めない。日数は例年よりもかかるが、いつもと同じ量を植えようとみんなで毎日頑張った。しかし幹助は何もしない。家の者が誰も田植えに参加しなかったら秋に収穫した米を貰えないではないか。お千代は一家の代表として田植えに参加したのだ。
村での食事は朝晩粥を食べるのが通常だった。しかし、この田植えの季節は米を炊いて食べる。労働時間が長くて体力を使う田植えだから、元気の素としてどの家も米を炊いて握り飯にして栄養補給をしたのだ。
ところが、お千代の家ではそうはいかなかった。まず、朝の粥もなかった。朝お千代が働きに出かける時、幹助はまだ寝ている。一日働いて夕刻に家へ帰ると、かろうじて幹助が粥を作ってくれている。しかしその粥も日に日に薄くなり、とうとう重湯のようになってしまった。米はドロドロに溶けてしまって実がないのだ。
汁をすするだけの日が続き、次第に腹が減ってふらつくようになってきたころ、夏世がそんなお千代に気づいた。
「お千代、顔色が悪いぞ。働きすぎずら。ちょっと休め。」
「腹が減ってるだけずら‥。」
「食べてねぇのか?」
「汁みたいな粥を飲んでる。」
そんなんだから、夏世はお千代の握り飯も作ってくるようになった。でもお千代は食べようとしない。
「松之助と半分こするだ。」
松之助もお腹が減ってぐったりしている。話さなくなってしまい声を聞くこともなくなった。
それで夏世は松之助の分も作るようになった。毎日お千代に握り飯を二つ渡した。しかしそれでもお千代は食べようとしない。
「父ちゃんと分けるずら」
呆れた夏世はお千代の家へ行った。
「幹助!米はどうした?春に二袋配給されてるはずずら!」
土間に置いてある米袋を見ると、二つのうち一つはすっからかん、もう一つも半分も入っていない。
「おまえ、自分だけ食べただか?働きもせんと!!!」
怒鳴られてもヘラヘラと機嫌のいい幹助はなんとも臭い。酒の匂いをプンプンさせている。
嫁を失い絶望しているのかと思いきや、なんと大切な食料である米を使って酒を造って飲んでいたのだ。
この悪行に怒り狂った夏世は家に帰って夫に言いつけた。すると夏代の夫、作次郎が怒鳴り込んできた。
「幹助!なにをしとるずら!!おまえ、酒を造っただか!この阿呆め!」
そう叫ぶと同時に、幹助を殴る作次郎。体の大きな作次郎に殴られた幹助は床を転がり壁にぶつかった。倒れるのではないかと思うほどに家が揺れ、その恐ろしさに松之助が大声をあげて泣いた。
松之助の泣き声で加速するように、作次郎の怒りは頂点に達した。
「悲しいのはお前だけじゃねーぞ!いつまですねてるずら!この甘ったれめ!!」
作次郎は幹助の胸ぐらをつかみ、また殴ろうとした。
「やめてくれ!」
お千代が作次郎の足にしがみついた。
「死んじまう!父ちゃんも死んじまう!」
泣きながら叫ぶお千代に我に返った作次郎は肩の力を抜き、手を離した。
「お千代と松之助はうちで預かる。おまえにはまかせておけねぇ」
そしてお千代と松之助は夏世の家に連れていかれたのだけど、すぐに松之助が家に帰りたいとぐずり出した。お千代もそうだった。父ちゃんを一人にしておくことなんてできない。そんなことをしたら母ちゃんと婆ちゃんに怒られる。そう思う千代も帰りたいと頼んだ。
「あんな家に帰すことなんかできねえ」
と突っぱねられたが、夜になっても寝ようとしない二人に夏世は根負けし、家へ送っていった。
「お千代ばかりに働かせて、恥ずかしくねえだか!紗代が泣いてるずら!」
幹助を怒鳴りつけることだけは忘れずにしておいた夏世だった。
しかし酔っぱらいの幹助の素行がよくなることはなかった。相変わらず酒を飲んで一日中ゴロゴロ寝転がっているだけなのだった。
田植えが終わると、田んぼは年寄りと子どもが見守り大人は山へ入る。男たちが木を切り倒して皮をはぐ。その皮を女たちが茹でてなめすのだ。この材木と樹皮こそが、この村を支えている。と言うのも、切り出した木となめした樹皮は塩に代わる。冬の食料となる塩漬けの野菜や味噌を作る大切な塩に。
しかしこれも人が少ないが為に、いつもより大変だった。なのにこれにさえ幹助は協力しようとしないのだ。
塩がもらえなかったら大変だとお千代はここでも焦った。手伝わせてくれと皮をなめす作業に加えてもらった。子どもながらに大人のように働くお千代は、そうやって大人たちと一緒に働いていると自分も立派な大人の女になった気分になって嬉しかった。働けば働くほどに、母ちゃんや婆ちゃんが乗り移ったかのように元気が出るのだ。
そうこうするうちに暑い夏は終わり、秋が来た。収穫の秋。村の頑張りを象徴するように豊作となった。まるで亡くなった者たちが頑張れと励ましているようだと皆が口々に言い合うほどであった。
めでたいことに、幹助の甥である楢之助夫婦に子どもが生まれた。死ぬばっかりだった村に新しい命が誕生したのだ。村は喜びに満ち、みんなでお祝いをした。こういうハレの日には婆ちゃんの団子を食べるのが常だったから、誰ともなしに「団子がねえのは寂しいなあ」と言う。それを聞いたお千代は「父ちゃんが作るずら」と言ったが、「幹助にそんなことできるわけねえ。あんな飲んだくれ」と笑われてしまった。
村での幹助の評判は当然のごとく頗る悪かった。そんな幹助の汚名を払拭するかのように、お千代は懸命に働いた。新しく生まれて来た赤ん坊、クリのお守りの任も買って出た。かつて豊代を背負ったように、また赤ん坊を背負えることはお千代には願ってもない大役だ。張り切るお千代は、偶然にも家の隅に転がっている鈴を見つけた。歩き出したお豊代につけていた鈴だ。お豊代が動けばリンと鈴が鳴り、どこにいるのかわかるようにしていたのだ。
お千代はこの鈴を自分の腰紐につけた。リンと鳴る鈴と背中で泣く赤ん坊。それはお千代にとってこの上もない幸せだった。母ちゃんたちが死んで一年が過ぎた今、お千代は新しい生き方を楽しんでいる。
(あとは飲んだくれの父ちゃんさえ立ち直ってくれたら)
そう願うお千代であったが、この冬も幹助の情けない体たらくは続くのだった。
第二話
第三話
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