マガジンのカバー画像

金剛大乗(金剛荘厳)

28
瞑想する人noteの主軸、根本である『金剛大乗(金剛荘厳)』に関係する記事
運営しているクリエイター

#密教

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳)

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 金剛大乗(金剛荘厳) この瞑想する人noteでスピリチュアルな思想、実践とするのは、ただ一つ、金剛大乗(金剛荘厳)のみです。 瞑想であれ、ヨガであれ、呼吸法、生命エネルギー、リトリート、断食、明晰夢、夢見、占星学、、、、であれ、何を探究するにことにおいても、その主軸、根本、基盤には金剛大乗があるべきとします。

道次第の考察 ―― 顕教と密教、生命エネルギー、生起次第、究竟次第

金剛大乗(金剛荘厳)の実践(道次第)についての考察。 マガジン:金剛大乗 顕教の実践を通しての内的な理解の把捉――功徳 顕教(の実践)とは、慈悲、非利己的なエゴのない愛を実践することとしている。 この慈悲の実践自体は、個人的にも社会的にも評価されるものであり、大乗の精神に沿ったものである。  この顕教の目標の一つとしては、とくに顕教と密教の両方を重視する視点から密教との関係で思索すると、それは「内的な理解」、歓喜、生命欲動を見いだすことであると考えることもできる。  

生命エネルギーと生命欲動?チャクラ、ヨガ、瞑想、クンダリニー症候群、、、

クンダリニーなど生命エネルギーについて、つれづれなるままにそこはかとなく、結論もなくまとまりのない思索。 BGMはとくに意味ないけど金剛薩埵 ヴァジュラサットヴァ(Vajrasattva)のマントラ そもそも人体の神経生理システムに基礎がなければならないはず 人間にはクンダリニーなど生命エネルギーの活動、体験があるのなら、それを可能にする人体の神経生理システムがなければならないはず。  たとえ人間の本質は物質を超えた超越的霊的な実体であろうとも、この物理的な世界で物質的

密教の資格。密教との関係で顕教について

この瞑想する人noteの中では唯一のスピリチュアルな実践である金剛大乗における顕教について、密教実践の資格について、思索をメモしておきます。 マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 関連note: 顕教の本質 ―― 顕教から密教へ この瞑想する人noteでは、顕教を「霊性(智慧・慈悲)、四無量心、慈悲、非利己的なエゴのない愛・愛他を、自分自身、自分自身の態度、行動、人生に適用し実践すること」としています。 またこのことに役立つもの、それが宗教であれスピリチュアルであれ、哲学や

霊性と密教(生命エネルギーの実践)についての説明。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、精神性、智慧

BGM:バッハ Cantata BWV 147 「Herz und Mund und Tat und Leben」 前回に続き、またまたスピリチュアルにかぶれた気まぐれの思いつきの文章です。 前回note: 密教、生命エネルギーの実践に関するヤマ・ニヤマ、精神性について 生命エネルギーの実践について、体系的な説明を願っている。 これは、今現在、このような特殊な実践を探究している者たちだけではなくて、後世に続く実践者達にも必要なものだろう。 また類似する実践にたずさ

金剛大乗についての整理。目的、顕教、密教

この瞑想する人noteで、唯一のスピリチュアルな実践としている金剛大乗(金剛荘厳)についての整理。 マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) ちょっと弁解も、、、。 目的 金剛大乗は、しょせんはありふれたスピリチュアルです。 唯一の真理だとか人の歩むべき道だとか、解脱やモクシャといったことを主張しているわけではありません。 世の中には、精神世界(スピリチュアル、宗教、、、、)に関心をもつような頭のネジがどうにかなってしまっている人達がいます。 私もそのうちの一人なのでしょう。

歓喜の精神性

#思索の備忘・メモ。 いちおう「歓喜の精神性」について気にしておいた方がいいかもしれないという気まぐれの思いつき。 BGM:バッハ BWV1 Chorale Wie bin ich doch so herzlich froh 欲動・衝動の昇華 性的欲求など「低次のチャクラ」と関係が深いとされる欲望・衝動の昇華や転換というのが有り得るとするのなら、それには生物学的な、神経生理的な根拠がなければならないハズです。 このような生物学的・神経生理の体験や変化については、とくに

金剛荘厳(金剛大乗) / マハームドラー(大印契)

思索・探究の方向性について。  今のところ他には思いつきません。果たしてこの方向性が適切かどうか。単なる思想やスピリチュアル、信仰の絵空事ではなくて、生物学的にも人間に根ざすものなのかどうか? 思索・探究の方向性が大筋でも定まったのなら、あとは実践あるのみです。 瞑想によって探究し、自らの人生、日々の生活に適用・実践して探究するのみ。 オン ア ラ パ ツァ ナ ディーヒ! 正しい理解が得られますように マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 金剛荘厳(金剛大乗) 「金剛

チベット仏教への関心 ―― 菩提心・慈悲、顕教・密教、ラムリム

『今になって夢診断。チベット仏教の夢』のつづき 興味あること今では、この瞑想する人noteでは「霊性の探究」というのを興味あることとしています。一大事としています。瞑想もヨガもそのためだと思っています。 「霊性の探究」といっても、超越的な信仰を根拠にするのではなくて、できれば神経科学、人体の神経生理システム、生物学的基盤、人間の意識ー神経生理というのを根拠にしたいと考えています。 神経科学、神経生理システム、、、云々といっても実際は難しいことなので、できるだけ逸脱しない

密教(タントラ)の目的。瞑想、ヨガ、クンダリーニ、神秘体験、超人思想、、、?

密教(タントラ)に関して、ちょっと思索の整理・メモ。 とりあえずは、密教の目的は「霊性(智慧・慈悲)」のためだとした方が良いんじゃないかなぁ ということです。 関連:霊性と智慧と慈悲。水瓶座の時代(アクエリアン・エイジ)?  概観 この瞑想する人noteでは密教(タントラ、ヨーガタントラ)とは、生命エネルギーの実践としていて、中国の気功の内丹(仙道)、インド・ヨガのクンダリーニ系ハタ・ヨーガ、チベット密教の特に究竟次第(ゾクリム)に分類される修行にある「ツァ(脈管)、ル

霊性と智慧と慈悲。水瓶座の時代(アクエリアン・エイジ)?

関係ないけどバッハのマタイ受難曲でも。  智慧とか慈悲(エゴのない愛、愛他利他)とかについて思索を述べるときは、「なんでよりによって、これらとはほど遠い自分が、、、?」といつも口が虚しくなるように感じます。 文殊霊徳が、このままでは六道の最悪趣に堕ちかねない卑しい人間である私のことを、その無上広大なる慈悲心ゆえに憐れみ、教え導かんとしているのかもしれません、、、なんちゃって。  今回のnoteのキーワード #霊性 #智慧 #慈悲 #智慧と慈悲の結合 #アクエリアンエイジ

愛(慈悲、四無量心、利他・愛他)の実践。イエス・キリストの物語

この瞑想する人noteではエゴの無い慈悲、四無量心、利他・愛他――語弊があるかもしれませんが、このnote記事では一言で「愛」と表現します――の実践を顕教としています。 関連note:【大印契】顕教について  この愛というのは、なかなか深遠なテーマではありますが、客観的なものというよりかは、主観的なものであり、つかみどころのないものでもあります。 なので愛の実践などと言われても、ふわふわしていて具体的にはどーしたらいいんだ?と混乱してしまいます。 今回はこれについての思

文殊菩薩:瞑想する人noteの「本尊」

勝手ながら文殊菩薩(のイメージ)が気に入ったので、この瞑想する人noteの「本尊」(大切な象徴)とします。 文殊菩薩の像容文殊菩薩の像容として、智慧を象徴する諸刃の剣(文殊の利剣、カドゥガ、金剛剣、降魔剣)と経典を乗せた青蓮華(しょうれんげ。熱帯スイレンの花とされます。清らかな仏の目を象徴すると言われています)を持つと説明されます。 瞑想する人noteの「本尊」として 諸刃の剣(文殊の利剣、金剛剣)を智慧の象徴であり、かつ、密教の象徴とします。 蓮華(青蓮華)を深い智慧に

【大光明マンダラ】内なる意識・霊性(スピリチュアリティ)の探究の方向性

この瞑想する人noteでは「内なる意識(霊性)」の探究を謳っています。 まだまだ思索が全くもって不十分なのですが、今後の方向性について。 長文です。引用部分含めて13000文字超え、、、、。 とりあえず、今回のnoteで言いたいことは、 、ということです。 探究が良いものでありますように。 智慧と慈悲がありますように。 探究にはそもそも意味があるのか?そもそも「内なる意識  霊性」なんてものは実体としてあるのでしょうか?その探究には何か意味があるのでしょうか? そ