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金剛大乗(金剛荘厳)

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瞑想する人noteの主軸、根本である『金剛大乗(金剛荘厳)』に関係する記事
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#内なる意識

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳)

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 金剛大乗(金剛荘厳) この瞑想する人noteでスピリチュアルな思想、実践とするのは、ただ一つ、金剛大乗(金剛荘厳)のみです。 瞑想であれ、ヨガであれ、呼吸法、生命エネルギー、リトリート、断食、明晰夢、夢見、占星学、、、、であれ、何を探究するにことにおいても、その主軸、根本、基盤には金剛大乗があるべきとします。

外なる神の効用

 「外なる神」の効用について思索すべきだという気まぐれの思いつきがふと生じたのでメモ。  進化生物学者や脳科学者は、人間というものは「神」や宗教、信仰を生み出す存在だ、などといろいろと言っています。 この瞑想する人noteでは、宗教・ドグマ(外なる神、外なる信仰)というのは現代先進文明にあって「処理に困る粗大ゴミ」みたいなものとして言及してきました。 この瞑想する人noteで探究すべきとしてるのは内なる意識であり、内なる霊性、もしくは内なる神(内なる信仰)としています。

道次第の考察 ―― 顕教と密教、生命エネルギー、生起次第、究竟次第

金剛大乗(金剛荘厳)の実践(道次第)についての考察。 マガジン:金剛大乗 顕教の実践を通しての内的な理解の把捉――功徳 顕教(の実践)とは、慈悲、非利己的なエゴのない愛を実践することとしている。 この慈悲の実践自体は、個人的にも社会的にも評価されるものであり、大乗の精神に沿ったものである。  この顕教の目標の一つとしては、とくに顕教と密教の両方を重視する視点から密教との関係で思索すると、それは「内的な理解」、歓喜、生命欲動を見いだすことであると考えることもできる。  

密教の資格。密教との関係で顕教について

この瞑想する人noteの中では唯一のスピリチュアルな実践である金剛大乗における顕教について、密教実践の資格について、思索をメモしておきます。 マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 関連note: 顕教の本質 ―― 顕教から密教へ この瞑想する人noteでは、顕教を「霊性(智慧・慈悲)、四無量心、慈悲、非利己的なエゴのない愛・愛他を、自分自身、自分自身の態度、行動、人生に適用し実践すること」としています。 またこのことに役立つもの、それが宗教であれスピリチュアルであれ、哲学や

とあるバクタ(バクティヨガの人)のつぶやき 神は愛であるということ、神への信仰と礼拝、神への愛、愛・慈悲の実践においてエゴを失うこと、そして神の愛 ―― これらは一つのものであるという意識の体験があるのではないだろうか。  画像引用元:チベット仏教普及協会(ポタラ・カレッジ)

霊性と密教(生命エネルギーの実践)についての説明。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、精神性、智慧

BGM:バッハ Cantata BWV 147 「Herz und Mund und Tat und Leben」 前回に続き、またまたスピリチュアルにかぶれた気まぐれの思いつきの文章です。 前回note: 密教、生命エネルギーの実践に関するヤマ・ニヤマ、精神性について 生命エネルギーの実践について、体系的な説明を願っている。 これは、今現在、このような特殊な実践を探究している者たちだけではなくて、後世に続く実践者達にも必要なものだろう。 また類似する実践にたずさ

【スピ系雑話】もし神を体験することがあるのなら

BGM:バッハ 「われらが神は堅き砦」BWV80 これは詩篇91番ではなくて、詩篇46番によるマルティン・ルターのコラールからのもの。  最近バクティヨガや、シルバーバーチ、エドガー・ケイシー、ニューソートなどの米欧スピリチュアルについて触れることがありました。 この影響で「エドガー・ケイシーの占星学」のnoteを投稿しました。 関連note:【運命論vs.意志 編】エドガー・ケイシーの占星学④ 占星学と意志 今回もスピ系雑話をnoteに。 あくまでスピ系にかぶれた気

金剛大乗についての整理。目的、顕教、密教

この瞑想する人noteで、唯一のスピリチュアルな実践としている金剛大乗(金剛荘厳)についての整理。 マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) ちょっと弁解も、、、。 目的 金剛大乗は、しょせんはありふれたスピリチュアルです。 唯一の真理だとか人の歩むべき道だとか、解脱やモクシャといったことを主張しているわけではありません。 世の中には、精神世界(スピリチュアル、宗教、、、、)に関心をもつような頭のネジがどうにかなってしまっている人達がいます。 私もそのうちの一人なのでしょう。

【バクティ】信仰・礼拝の対象について

“ 荒野に 主の道を備え、 砂漠に われらの神のために大路をまっすぐにせよ ”  イザヤ書40:3 “ イエスは言われた。 「あなた方が、この山でも、エルサレムでもないところで、父なる神を礼拝する時が来る。 まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。 神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」”  ヨハネ福音書4:21-24 またエゴのない愛、ワンネスとかの欧米系スピリチュアルにかぶれた話。 ちょっと弁解も。 信

「智慧」と「慈悲」について

春の大三角(アークトゥルス、スピカ、デネボラ)  この瞑想する人noteでは仏教の『智慧』、『慈悲』という用語を剽窃して用いています。 この瞑想する人における「智慧」とはどう考えればいいのでしょうか? 今回のnoteは結果としては、「エゴのない愛」「自己超越」といった内容があるため、欧米キリスト教圏のよくあるスピリチュアルに寄った話になっているかもしれません。 「内なるものへ・超越」の欲求と「智慧」 「内なるものへ・超越」の衝動・欲求、その歓喜などが、この瞑想する人n

「大乗」について

BGM: バッハ、カンタータ、BWV1「Wie schön leuchtet der Morgenstern(明けの明星の輝きのなんと美しいことよ)」より “ あぁ なんと美しい 輝ける明けの明星よ 主の恩寵と真実に満ちる いと甘美なエッサイの根 ヤコブの家から出でし ダビデのひこばえよ …….” ちなみにイエス キリストのことを輝く明けの明星とするのは、ヨハネ黙示録にあるようです。(ヨハネ黙示録 22:16。他 参考 イザヤ書 11:1~) 関連note: 今回言い

金剛荘厳(金剛大乗) / マハームドラー(大印契)

思索・探究の方向性について。  今のところ他には思いつきません。果たしてこの方向性が適切かどうか。単なる思想やスピリチュアル、信仰の絵空事ではなくて、生物学的にも人間に根ざすものなのかどうか? 思索・探究の方向性が大筋でも定まったのなら、あとは実践あるのみです。 瞑想によって探究し、自らの人生、日々の生活に適用・実践して探究するのみ。 オン ア ラ パ ツァ ナ ディーヒ! 正しい理解が得られますように マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 金剛荘厳(金剛大乗) 「金剛

【大光明マンダラ】内なる意識・霊性(スピリチュアリティ)の探究の方向性

この瞑想する人noteでは「内なる意識(霊性)」の探究を謳っています。 まだまだ思索が全くもって不十分なのですが、今後の方向性について。 長文です。引用部分含めて13000文字超え、、、、。 とりあえず、今回のnoteで言いたいことは、 、ということです。 探究が良いものでありますように。 智慧と慈悲がありますように。 探究にはそもそも意味があるのか?そもそも「内なる意識  霊性」なんてものは実体としてあるのでしょうか?その探究には何か意味があるのでしょうか? そ