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なぜ人に優しくするのか?①

「人に優しくする」
ということは、子供の頃から私の中ではあたりまえのことで
それが物心ついた頃からなのかどうかも覚えてないけど
昔はそれに関して何の疑問も持ったことはなかった。

子供の頃、家に「かみさまからの おくりもの」という絵本があった。

赤ちゃんが生まれる時、神さまはそれぞれの赤ちゃんに贈り物を与えてくれて、それを天使が運んでくれる。
ある子には「よく笑う」を
ある子には「力持ち」を
ある子には「歌が好き」を
ある子には「よく食べる」を
ある子には「優しい」を


・・・・・・


子供の頃、それを読んで
私は「優しい」のプレゼントが一番いいな、と思った。
「歌が好き」も素敵だけど・・・


私も神さまから何か贈られたのかな?

そしたら私に贈られたプレゼントは何だろう?
それは「優しい」だったらいいな
そうだったらいいな・・・

「優しい」というプレゼントが一番素敵に思えるくらいに
私には「優しさ」というものが、生きる上で一番大事なことのように感じていた。


子供の頃に感じていたことだけど
そう感じることが先天的なものか後天的なものかわからない。
もしかしたら、家での子育てや教育方針なども関係していたかもしれないと思うからだ。

母は宗教に傾倒する人だった。
ただ一度目の新宗教は父にバレて辞めさせられたが、二度目の新宗教は大変悪徳なところで、後々大変なことになるまで誰も知らなかった。
新宗教に傾倒していたことは誰も知らなかったが、ミッションスクール出身で実家でもそこそこキリスト教信仰があったらしい母がキリスト教系の本を持つことは何も不思議はなく、私や姉もキリスト教系の幼稚園に通っていたため、家には聖書やイエス・キリストやマザー・テレサの本があった。
また、父もよく本を読む人なので、いろいろな本が家にあった。
母はよく、神様の教えのようなことを話した。
父は無神論者なので「神様はいない」と言っていたけど・・・。
映画や本を見せたりして戦争に関する教育をする家は多いのではないかと思うけど、私の親も戦争に関する教育はしっかりしていたので戦争への恐れがあり、また平和が大切であることも、子供の頃から頭にあった。


そういった家庭での教えによって
「人は人に対して優しくあるべきだ」
「優しいことが素晴らしいことだ」
そんな概念を、もしかしたら後天的に持つようになったのかもしれないし、わからない。

しかし生きていくと様々な人と出会うもので、様々な出来事が積み重なり、紆余曲折し
いつの頃からだったか
ある時期から、「優しさ」に対して疑問を持つようになった。

そして、あらゆる自身の感情を通し
私自身は、決して性善説の星の下によって生まれた人間ではないと実感するようになる。

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