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これって何の実?

じゃがいもの実
花が咲いた後にトマトみたいになっている。
食べたことはない。
食べるのは根の部分。

じゃがいもの花


じゃがいもの収穫


梅雨に入り、雨が続く前に急いで収穫となった。

葉を抜いてしまってから掘り返す


手で土の中を探りながらひとつひとつ掘り出して行く。

みみず、虫もワラワラと出てくる。
それをエサにしているネズミが穴からジャンプして逃げていく。
(不快な方もいらっしゃると思うので画像はやめておきます。)

いろんな意味で豊か。


ほったらかしでも育つ

平らなところを掘り終わり

追加で
畑脇、草の中で勝手に育ったいもも掘ってしまう事にする。

これらは、昨年掘った時に小さすぎて食べるのには早いし、そのままにしておくと発芽して
次に別の野菜を植えるのに、邪魔になってしまうので畑脇の草むらに捨てたモノ。

畑の脇から勝手に増えていた



どれが草なんだかわからないくらいのところを掻き分けて、
じゃがいもの茎をひっこ抜くと
小粒でも、しっかりしたモノがちゃんとついてくる。

ちゃんと植えたモノよりは小ぶり



いも掘り中に思うこと

黙々と掘りながらふと思う

土をふかふかに平らにして、草が生えないように黒いビニールをかけて大事に大事に育てる手間と

畑の隅っこで勝手に増えていくのを放置してもそれなりに育つのと

どっちが良いのだろう?と。

もちろん、手間をかけた方が大きく形の良いものが多くできるし収穫もラク。

でも、本来はほったらかしでもちゃんと育つ。

いつから、こんなに大事に世話を焼くようになったのだろう?

今までは、手間をかけて育てるが当たり前と思っていた。

でも何か違う、
私の中の当たり前が変わってきている気がする。

これって子育ての時もそうなのかもしれないなぁと気づく。

良かれと思って、
「あなたのため」とお節介をし
やらなくても良い世話を焼きすぎてきたことが多々あったんだろうなぁ。

そのことで、子ども達の生きる力、成長する経験値を奪っていたのかもしれない。
(全てとは言わないが)

なんてね。

振り返っても、今からどうにもならない。
どこまで手間をかけるか、
その時の程度の問題かもしれない。

ある程度の環境があって
その中でほったらかし
これが理想かも。

私だけじゃなくて
こんな思いをしてる方いるんじゃないかな?

でも、これからはそんな気持ちで、角度で
子ども達、人間関係を見てみるとおもしろいかもしれないと思った。


収穫無事終了

いろいろ想像を膨らませているうちに収穫終わり。
いい汗をかき、ほどほどに疲れた。

一旦、袋に入れて運び
日陰に干す


今年も量は計ってはいないが、かなりの豊作。
雨にあたらずに収穫することができた。

これを、日陰に干して
その後、保管し、来春まで食べていく。

素材そのままいただく

新じゃがはまず、茹でたてを
塩かマヨネーズで食べている。

やっぱり美味しい。

ほくほくで皮ごと食べれる


その後、サラダや肉じゃがなどにしていろいろ楽しもう。

自然の恵みに感謝。

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