「私書箱」に届いたお手紙へのお返事です。

ご本人のご希望で非公開のお手紙なのですが、制作チームからの返事をここに掲載したいと思います。

⇨✉️制作スタッフの一人より

はじめまして。お手紙ありがとうございます。
お手紙拝見して、ああ素敵な学生時代を送られたのだな、とうらやましくなりました。
そして、映画をきっかけにご自身の体験を思い出してくださり、
こうして共有してくれたことをうれしく思いました。

実は、私たち制作チームにも、まだ取材を始めたばかりのころ、
それぞれにとって大切だった体験を「思い出す」というプロセスがありました。
(まあ、勝手に各々思い出されてしまったのですが。。。)

自分の場合は、生まれ育った東京郊外の団地が取り壊されたことでした。
改めて当時のやり取りを振り返るとこんなことが書いてありました。

「長屋みたいな環境で、それぞれの家の状況が筒抜け。後ろ指指す人もいましたが、親が遅いと隣近所の人が預かってご飯を食べさせてくれたり、思想信条の全くちがう超保守的な家が、やたらとかわいがってくれたり。。。
しかしその団地は、長い立て替え不要闘争(住んでいる人の大半は立て替え反対でした)の末、切り崩しが行われて、高層化が決定。住んでいる人は、好条件で別の団地に一度バラバラに住んで、4年後、高層化された場所にきれいな一部屋を割り当てられて戻ってきました。でも、もう二度とあの長屋のような人間関係は戻ってこないし、再び生まれもしませんでした。
団地内の公園は、昔は一つ一つに名前があって、子どもたちの聖地でしたが、
(例えば「一つ山公園「二つ山公園」「ポンプ場」「青空公園」などなど)
建て替えた後のきれいな遊具が並ぶ公園には、親に連れられた子どもの姿が時折あるのみで、曰く言いがたいさみしさを感じたことを覚えています。」

すでに30年ほど前の出来事。
それまで長らく思い出すことさえなかったのですが、
いざ記憶の中から掘り起こしてみると、そこには確かな手触りがあり、
そしてこの恐る恐る掘り起こした記憶を、チームは受け止め共感してくれました。
「取るに足らないと思っていた感情に、価値があった! 」
その自信は、なぜだかわからないけど、
その後、作品を取り巻く様々な”壁“と向き合う大きな力となりました。

今、この「語り合うことのできる場」が与えてくれる力について改めて考えています。

最近、あるアーティストを通じて出会ったことばに
「信頼のマットレス」ということばがあります。
参加者に洗練された知識の持ち主であることを求めない「ゆるやかさ」と「くつろぎ」にあふれた場。
そんな信頼と共感をもとにした場から、未来を聴きとる力を生み出すのではないか。
というような話でした。

この私書箱は、そんな力を新たに生み出したくて作った実験場なのかもしれません。
壁の向こうで、「こんなくだらない施策」に心の根っこを折られそうな時、
こうした場が、何かの役に立つ時もあるのではなかろうか。
そんな期待を込めた実験です。

またお手紙いただけましたらうれしいです。
どうもありがとうございました。


制作スタッフの一人より