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「つながりあうイメージ」(『このあいだ』第2号 2020/11)

小池寿子『死者のいる中世』みすず書房、1994

「とくに予備知識の必要はありません」

 そう前置きする一般向けの講演や入門書の類は少なくないが、終わってみて「ほんとうに知識ゼロからで何か身になることがあったのだろうか」と反省することもまた多い。なんとなくわかったつもりになって、すぐにこぼれ落ちてしまう記憶に、 自分という容れ物の頼りなさを思う。死ぬときもきっと空っぽのまま、この世に別れを告げるのだろう。死後についての知識など全く持ち得ないままに。

 今回取り上げる本も、ぼくは大した予備知識もなしに読んだ。 ただ若干の美術史の知識と、ベルギーとイタリアの合わせて2週間ほどの旅行の経験が著者の旅をイメージしやすくはしてくれた。 そして浅学なりに、 ぼくにも考えがある。といっても当たり前のことである。 世界の完全な鏡は作れないということと、個人の経験の遺漏のない記録は不可能だということだ。

 ぼくからすればどう見ても博学の著者でも、この本を書くにあたっては素材の取捨選択をしたはず。 そして知識と経験の中で結んだイメージをどう文章に定着させるかに心を注いだに違いない。 だからぼくはそのイメージへいかにしてつながるかを考えながら読む。

 本書に登場するヨーロッパ中世史の固有名詞の多さには、ぼくのような素人が正面からぶつかっていけば辟易するだけである。 しかしぼくは知らないことは知らないし、覚えられないことは覚えられないで、そういうところはそっとやり過ごす。 向学心がないのである。専らの関心は、 抽象的だが、 「何と何の関係に、どういうことを思うか」 だ。

 例えば 「宮廷人」 と題された章には、エステ公リオネッ口とその庶子フランチェスコが登場する (当然ぼくは彼らに関して本書で得た知識以外は何も持っていない)。 そしてところば北イタリアのフェラーラ。私生児フランチェスコは15歳の時に北方の司教に引き取られ、住み慣れた地を離れてフランドル地方 (現在のベルギーとフランス北部)へ旅立つことになる。

 大学進学と同時に親元を離れた自分のありふれた経験と呼応したのか、この部分の著述が映画の場面のように心に映った。 『さよなら子どもたち』 という第二次大戦下におけるフランスの寄宿学校の思い出を描いた映画と、その青みがかった映像も同時に脳裏に浮かんだ。

 (想像だが) 著者も様々な資料を渉猟する中で浮かび上がったこの人物とその旅立ちに何かしら特別な思いを抱いたに違いない。彼女もまた東の島国を離れて、ヨーロッパの地で抱いた複雑な思いについて、 別の章でかすかに触れている。

 この話が印象的なのは、父リオネッロがイタリアの画家(アントニオ・ピサネーロ)に、そしてフランチェスコがフランドルの画家 (ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン)に、全く別の時期に描かせた肖像が、それぞれ互いにはっきり血縁を示すほど、よく似ているという点である。

 ベルギーでフランドル絵画を多数見た経験と、 イタリアで様々な時代のイタリア美術を間近に感じた経験から、両者の趣の違いはぼくにもわかるつもりだ。 それだけに、ページに印刷された白黒の図版にすら感じられた遺伝、そしてそのつながりを浮き彫りにするほどの画家の眼に畏れのようなものを抱いた。

 こういった何らかの形で関係するイメージのつながりが、ぼくは本を読む楽しみのひとつだと思っている。 「何と何の関係に、どういうことを思うか」。 ぼくの経験と、 ある映画と、著者の経験と、フランチェスコの経験、そこにぼくから一方的に寄せる共感のイメージ。 そこに血の繋がりはない。血の繋がりはないが、繰り返すリズムのようなものを感じる。留学と、一人暮らしと、寄宿舎と。また時と場所を隔てた親と子の肖像に「生き写し」 を見た著者の発見と、それを図版で追体験するぼくの経験、 そこには子が親に似ることの不思議の共有があると思うし、旅をしてそれぞれの地方の隔たりと歴史を身体で知っている著者ならではの、 複層的なイメージの伝わり方がある。むかしむかしに、ある血筋が確かに流れていた。そのことが絵画にはっきりと刻印されている。

 もともとこの本を手に取るきっかけになったのは、 イタリア旅行の折に買ったジョヴァンニ・ベリーニ(*1)の画集である。ページをめくっていて「死せるキリスト」の図像について知りたくなったのだ。それについて調べようと 図書館の蔵書検索システムでとりあえず出てきた検索結果から、本来の目的とは違うけれど 面白そうだとなんとなく選んだまでだった。 しかし本書で多数紹介されている 「死」 をモティーフにした作品の登場するほかのどの章よりも、フランチェスコの出てくる「宮廷人」 の章に私は最も 「死者」 を身近に感じた。彼らと彼らの記憶が、 いま・ここに、 なお存在するように思えてならなかったからだ。

*1 1430年頃生、1516年没。イタリアルネサンス期のヴェネツィア派の画家。

 もちろん、他の章も読みごたえがある。 特に「『死の舞踏』 の旅」の章は旅行記として格別の面白さがある。

 間隔を置きながら何日もかけて読み終わった感想としては、著者の中には「死が生きている」のだということ。 そして中世には「死が生きていた」 ということ。 それから、死が目に触れる機会が、 かつてより断然減っているに違いない現代にも「死はまだ生きている」 ということ。 だから著者は「死の舞踏」 を追い続けるのだろうということだ。

 ちなみに本書を読みながら、 かつて妻と訪れたヴェネツィアにもぼくの好きな画家ヒエロニムス・ボスの作品があることを知った。 またミラノからヴェネツィアへの途中下車で立ち寄ったパドヴァの印象が、 著者の叙述と全く異なることに驚いた。 なぜかと言えば、ぼくらはジョットの絵を見るためにスクロヴェーニ礼拝堂にだけは行ったが、 パドヴァの旧市街地を訪れていなかったからだ。なんだかとても損をしたような気がした。次はいつイタリアに行けるというのだろう。

*2 1267年頃生、1337年没。中世後期のイタリアの画家。パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂内部の装飾壁画は彼の代表作。聖母マリアとキリストの生涯がいくつもの画面に描かれて礼拝堂などを埋めている。スクロヴェーニ礼拝堂には入場制限があり、1度の見学で入ることのできる人数が決まっている。

 旅には断然予備知識があったほうがいい。 未知とのつながりを求めて、いつかの再訪の準備をしたいと思う。

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