「子のあいだ」(『このあいだ』第1号 2020/10)
夜、2人の子のあいだに寝て、 目が覚めているときなど、自分は幸せだなとしみじみ思うことがある。長女は、結婚して9年めの冬に生まれた。 それまでのあいだ、 子どもがいなかったわけだが、 特にそのことを気に病んだことは妻にもぼくにもなかった。 親たちは早く孫の顔が見たかったかもしれないが、 自分たちは経済的事情により子を産み育てることは考えてはいなかった。 それが、ある時期から子どものことを考えるようになって、間もなく妻が身ごもった。天使ガブリエル(*1)は来なかった。ただ Let it be.(*2) それだけだった。
ぼくは常々、子を授かるなら女の子がいいと思っていたが、 あるときのエコーで 「女の子だろう」 と占われた。 男ならあるはずのものが「ないから」という否定的な方向からの推定で、 すっきりはしなかったが、 それでも喜んだ。 名前は 『奥の細道』 から 「かさね」 にしようと決めていた。 結婚前からそう決めていたのだから、 結婚後の8年間のライフスタイルと矛盾するようだが、 結果、 娘 は「かさね」 と名付けられることになった。 父親としては、いい名前をつけたとは思っている。
長男はその2年後に生まれた。21 番めの染色体が3本ある、いわゆるダウン症を持った子で、 心臓に命にかかわある先天的な欠陥があったために0歳にして難しい手術をした。 今度は妻が名前を決めた。 普遍の「遍」から「あまね」。 男の子である。 かさねと同じくひらがな表記とした。男の子で名前に漢字がないのは珍しいかもしれないが、 一般的に知的な発達の遅れもあるダウン症の長男のことを考えたつもりで、難しい漢字にするのはやめた。 ダウン症を持っていてももちろん漢字を書く、むしろ漢字を書くのが好きな人だっているのだから、 成長したあまねには余計なお世話だったと思われるかもしれないが、結局のところ、 「かさね」 「あまね」 と2人の名前がよく響き合うのがいい。
あまねがお腹の中にいたころ、夫婦揃ってエコー検診に行ったときに、お腹の子に何か障害のある可能性を医師から告げられた。 医師は能う限りの神妙な顔つきをしていたが、やはりそういう顔をしておくという選択肢がいちばん安全なのだろうか。と、変なことを思った。医師にそのような顔をさせざるを得ないとするなら、子が生まれたらその先には喜びではなく、辛いことがあるのだろうか、忌避すべきことがあるのだろうか、それしかないのだろうか、と。 しかし、死産の可能性もあるとのことだったから、こちらから「先生、笑顔で」 と申し上げたとしても無理な話だったのだろう。ぼくらはただ楽観的なだけだった。2人めも女の子で「うちの姉妹が、」などと言ってみたかった自分としては、 あまねが男の子だったことがわかったときこそ、そういう顔をしてほしかったかもしれない。 男の子も可愛いものですよ、とそのときは言われるのかもしれないが。
私たちは告げられた内容の中からダウン症という 「最善」の結果を望んで、 羊水検査を含め、 心疾患のあるなしを見る検査をしてもらうことにした。
羊水検査をした医師の顔がこれまた忘れられない。 結果を告げながらなんとも冷ややかな笑みだった。 最初に障害のことを告げた医師の顔が葬儀屋風だったとしたら、 彼女の笑みはさしずめ、 面倒な客を何人も相手してきた人気のカフェのスタッフが 「ただいま満席です」 と告げるときのような疲れた笑顔だった。
しかしぼくらの場合には、 何もそんな顔をされるいわれはなかったのにと今でも思う。 あまねにダウン症があるとわかってショックだったことは一度もなかったし、 落ち込んだこともない。 育てる上で「普通の」子より大変かもしれないとはわかっていたから、本を読んで勉強もすれば、彼が生まれる前から ダウン症児の保護者の集いに参加したりもした。 どんな子が生まれてくるかある程度のとがわかっていたからこそ、備えもできたし、 人とのつながりも作れた。 産後は NICUの看護師さんや医師に素直に頼ることができた。
自分たちは「ずれて」いるのだろうか。 長女のときは結婚9年目の待望の子のように思われたかもしれないし、 長男はもしかすると望まれない出生と思われたかもしれない。しかしどちらが生まれたときも私たちは等しく嬉しかった。イコールというのはあのふたつの瞬間のことだ。 体の奥底から涙がこみ上げる意表をついた嬉しさだった。
ぼくは子どものことでなければ、 仕事のこと、貧しさのこと、能力のこと、ないない尽くしでいやというほど悩みを味わってきたので、 子どもを望んでいるのにできないこと、子どもに障害があって 「普通の」子と違うということに苦しむこと・悩むことの辛さも、 「もう二度といやというほど」 よくわかる。
しかしつい 「このあいだ」 ぼくにはわかったばかりなのだ。幸せはあると思ったところにあるのだということ。 それも人に分け与えるほど豊かに。 なにものかとの比較においては、自己自身との比較においてすら、 その反対がある。
ぼくは幸福だと言いたい。 それはしかし何かを見せびらかしたいということではない。 もしベンツを買ったとしても、エンブレムをわざわざ外したりはしない、ただそれだけのことなのだ。
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