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2023/03/07 Burning Rainbow

 午後から部活。合奏では出来るけれど、指揮者に一人づつ指名されて吹くときに全く吹けないというのは、練習不足という四字熟語にまとめられてしまうだろうか。練習します。(見出しの画像は、食べたパンのビニール袋を通して取った教室の写真)

 その後CADAN YURAKUCHOで開催の《My Pick》へ。観たかった映像作品を観る。samak kosemさんと佐藤允さん共作の『Burning  Rainbow』。二時間あっても観る覚悟だったが、十分ちょっとの作品だった。設定が複雑、というかわざと曖昧に作られているところがあって、佐藤さんかっこよかった、しかパッと印象が思い浮かばない……。この映像作品のコンセプトを自分がしっかりと把握できているのかすらわからないけれど少し書いてみたい(この作品の詳しい概要はweb上に公開されていないようだ。ギャラリーに詳細な解説が置いてあったのを、書き写しておけば良かった)。

 まずタイのBL文化(それだけに拘わらないのかもしれないが)では、日本の文化で言う《カップリング》(ある人物とある人物を、恋愛関係にあると仮定すること)を、《SHIPPING》という単語で表すらしい。この映像作品はsamakさんが、佐藤さんとあるタイ人の性産業従事者をshippingする(二人の関係性を妄想で表現する)といったコンセプトのものである。しかし映像と共に語られる物語を読むと、その一部は佐藤さんの実体験に基づいたものだとわかる。つまり、佐藤さんの実体験で登場する実在の人物が、samakさんによって違う架空の人物に置き換えられている(この関係が曖昧で、しっかりと把握できないような作りになっている)。



 
 

 ここで語られる過去の佐藤さんの経験が、そのまま映像に投影されている場面も見受けられる。

 昔付き合っていた忘れられない人への恋慕を消化するために、友人にその人と同じポーズを取ってもらい、それを描くことで好きな人の思い出を友人に置き換えていく。絵画的表現の一つに止まらない、佐藤さん独自の人間的営みがそこにある。この動画では語られていないが、『Burning Rainbow』では友人の姿を写生した後、昔付き合っていた恋人のことを「忘れない」でいようという心境になったと語っている。それがsamakさんによる架空なのか、佐藤さんによる言葉なのかは定かではない。     samakさんは、この佐藤さんの実体験に登場した友人を、タイの性産業従事者に置き換えて撮影しているようなのだ。

 この映像作品は、samakさんが、上に挙げた動画で紹介されている絵の一部から想起したとのこと。samakさんは展覧会の説明によると「イスラム教徒、イスラム教では処罰の対象となりうるクイアです。彼は自信のアイデンティティと社会、宗教との葛藤から、マイノリティの視点で深く社会を見つめた作品を制作しています」とのこと。タイでは今、貧困に喘ぐ若年層が、自己の意思からではなく性産業に従事せざるを得ない状況が成り立ってしまっているらしい。そのような状況をコンセプトにしているのが、佐藤さんとの共作を目の前にしてありありと伝わってきた。

 個人単位での思考と社会全体での問題が絡み合って、とても短い時間では消化しきれない。十二分の映像作品に、ままならない生の、何通りもの在り方が示されている。



展示観賞後、母の友人と、母とベトナム料理店
すぐ満腹になる

追記

佐藤允さんのインスタストーリーより

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