リアルぼっちがマッチングアプリを使ってみた/01.マッチングアプリを入れる

3月の下旬、初恋が失恋に終わったショックから立ち直れずODをして命を絶とうとする。「今日を命日とする!!」と勢いよく手帳に残す。そして結局死にきれなかった。いまの薬は死なないようにできているらしい。訪看さんからそんなことを聞き、死ぬ手段としてのODを今後一切諦めようと思った。そして、私がこんなにも死にたがりなのは、現世との楔が少ないからなのだと思い立ち、愛してもらえることを現世との楔としてマッチングアプリを入れる。
これが私のマッチングアプリとの出会い、そして「運命の人」との出会うきっかけだ。

「運命の人」なんて存在するのだろうか。私の答えはyesである。運命の人は存在する。しかしながらその人と生を共にできるかはまた別の運命によってほとんど定まっているのだろう。
私の初恋は確実に「運命の人」だったと言える。お互いに好きで、愛し合っていた。しかしながらまたこれも生を一にできるかという問題にあたってはnoを突きつけられる。それは私が双極性障害を持っているという運命によって。
いままでこんなにも自分が障害を持っていることを恨むことはなかっただろう。私が双極性障害や発達障害を持っていない「ふつう」の人間であったら「ふつう」の恋や誰かを愛することが許されたのだろうか。それはいまでもわからない。

そんな失恋から立ち直れずOD、そして死にきれず現世の楔をマッチングアプリに求めた。

最初は一種のSNS感覚でやっていた。色々な人からいいねとメッセージが飛んでくる。ぐいぐい来る人、ほとんどメッセージのやり取りをする気がない人。
十数人いったところで2人の方からLINEの交換を求められたので交換する。うち1人から食事のお誘いをされる。十数人の中のほか2名ほどはLINEの交換をせずにマッチングアプリ上でカフェかご飯どうですかと誘われる。

こういうのって、複数人の誘いに乗っていいのかわからず、Twitterで聞いてみる。投票制にしたところ、誘われた中でいいなと思う人の誘いを受けるという割合が一番多かった。現状、1人のみと誘いに乗る、誘われた人全員の誘いに乗る、は同数。

手探りでソーシャルネットワークを彷徨う新鮮さが少しうれしい。Twitterをはじめた時もこういうわくわく感があったな、と思い出す。
これからこの海を泳ぎながら色々な人と出会ってゆくのかもしれないと思うと少し興味深かった。

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