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名前を呼ばれるときに『バンクシー展が嫌いな〇〇』と呼ばれる位には、バンクシー展が嫌いだ。(2023年5月8日~14日の日記)

マクドナルドの広告写真

会社の近くのマックの画像。よくみたらポテトだけが写っていて、「ハンバーガー屋なら、普通は主役のハンバーガーを載せるのでは?」と少し不思議に感じた。

【考察①】
マクドナルドは世界的に有名なハンバーガー屋なのだから、わざわざ載せなくともマクドナルド=ハンバーガーの共通認識は誰しも持っている。また、ハンバーガーは写真で見るものと実際に食べるものとでは見た目にかなり差があることも事実であり、本物を見たときの思ってたよりショボい感やオモッテタントチガウ・ショックを少しでも無くすため、広告写真とさほどギャップのないポテトを広告写真に使っている。

【考察2】
マックの商品の中で、マックのロゴが大々的にあしらわれているのは実はポテトだけである。ポテトの赤い箱を見るだけで、誰しもが「マックのポテト!」と思うし、二言目には「しなしなになったポテト食いて~」と全員が言っている。ハンバーガーの画像を載せるよりも、マックのポテトのビジュアルには宣伝効果やシズルがあるのでは?という計算の上での単品のポテト画像。

どちらにせよ、ポテトの単品を宣伝写真で使うことができるのはマクドナルドくらいだろうなと思った。


祖母の家とメロンソーダの瓶

GW時、実家に帰省し亡くなった祖母の家に行ってきた。祖母は一人で住んでいたため今はそこに誰も住んでいない。定期的に母達が空気の入れ替えや畑の手入れのために訪問しているらしい。祖母の死は正直誰も予想しておらず(それぐらい元気だった。なくなった日も直前まで畑仕事をしていた)、前兆もなく急に亡くなったため、祖母の家に行くと「生活の跡」がそのまま残っていた。
祖母の家は山を少し登ったところにあり、時たま鹿が横切ったり、猿が畑の玉ねぎをかじっていったりする。夏にはクワガタのほうから家の中に飛んでくる。水道は通っておらず、井戸から直接引いている。電波は繋がりにくい。周りに灯りがないため、夜になると絶景の星空がみれる(天の川がはっきりと見える)。田舎暮らしを体験したかったら一度祖母の家に泊まると良い、と思うくらい田舎の全てが詰まっている場所だ。
畑では季節ごとにたくさんの野菜を育てており、私が行ったときには、亡くなった祖母が最後に育てていた新玉ねぎが収穫の時期を迎えていた。畑の隣の小屋では(昔の話だが)鶏を飼育しており、卵が欲しくなればそこから産みたての卵をとって食べていた。なぜか七面鳥も飼育していた。おやつが欲しくなったら道端に生えている木苺を積んで食べていた。割りと最近までそれが普通だと思って過ごしていたが、もしかしたらかなり贅沢な暮らしをしていたのかもしれない。

そんな祖母の家は築50年以上になるのだが、そうなると土地中のいたるところにいろんなものが(文字通り)”埋まっている”ことがある。昔の小銭が埋まっていたり、昔の玩具が埋まっていたり、種類は様々だ。
で、この前訪問した際、畑の周辺を散策していると(祖母の家はかなり土地が広いのだ)緑色のなにか光るものがかなり深くに埋まっており、その一部だけ地表に露出してるのをみつけた。かなりきになってよく見てみると、なにか瓶らしき物体だということがわかる。すぐさまスコップで掘ろうとしたがかなりしっかり埋まっていて、しかも瓶なので割れる可能性もあり、母と一緒に丁寧に掘り返し、泥を洗い流して出てきたのは…

コピーが非常に良い。

『スキッ‼とするみどりの飲みもの クリームソーダ スマック』

いつ製造されたものなのか、気になって調べてみたらこちらのサイトが出てきた。

瓶が製造された詳しい年代までは分からなかったが、キャッチコピーを見るに旧式の瓶らしい。変色はしていたもののかなりきれいな状態で見つかったのでちょっと嬉しくなった。昔ここに来た誰かが飲んでそのままにしたのかも。私の知らない誰かの過去を、瓶を通して妄想することになるとは思わなかった。一体誰が飲んだんだ。今度の祖母の初盆で集まった親戚に問い詰めることにする。

その後は木苺と、ちょうど生えてたウドと大葉を収穫し、天ぷらにして食べた。懐かしい田舎の味がした。


名前を呼ばれるときに『バンクシー展が嫌いな〇〇』と呼ばれる位には、バンクシー展が嫌いだ。

会社の帰りに見た写真。
風刺的な面白さを感じて思わず写真をとった。
バンクシーがかなり商業に使われている。これは今に始まったことではない。

『バンクシー展』をご存知だろうか。私はあの手がかなり嫌いだ。バンクシーというアーティスト自体は別に好きでも嫌いでもないが、『展』が嫌いだ。海外のキュレーター(その筋ではすごい人なのかもしれないけれど)が、かなり商業的にバンクシーを消費しているように感じてしまってどうも嫌悪感しか沸かない。だってあれバンクシー非公認だし、ビジネス的に運営してるとしてもバンクシーにお金が入るわけではないし。
バンクシーの作品を撮影しトリミングして、都会の路地裏にある小さな小洒落たギャラリーにごちゃごちゃ飾ったところで、街に絵を描きキャンバスを通してではなく我々のリアルな生活に踏み込んで直接メッセージを伝えに来るアーティスト・バンクシーの全てが分かるわけではないし、むしろその「泥臭さ」「アナログ感」みたいな良さが全てクリーンにされてしまっているように感じる。極め付けはバンクシー展のコピー。何が「天才か、反逆者か」だよ。アーティストだよ。自分の主張を通すことでしか生きられない社会不適合者だよ。うるせえよ。そのコピーがもううるせえ。
『バンクシー展』に来るやつも総じて嫌いだ。片手には常にスマホを抱えていて(バンクシー展では写真撮影可能である。フォトスポットなんてものもある。)絵画をじっくり見るわけでもなく、撮影したら満足した気になって、バンクシーのことを(誰もわからないのに)勝手にわかった気になっている。そしてそのフォトスポットで作品と同じポーズをして撮影した写真は、ちょっと加工して#Banksyというハッシュタグと「なんかかっこいい」「感化されました☺」みたいな脳みそのどの部分も使ってないようなペラい感想と共にSNSに挙げ、「アートに感性がある私」を表現(笑)しているんだろ。お前、バンクシーの作品で何覚えてる?どうせ花を投げようとしてる男の絵と、ハート型の風船を飛ばしてる女の子の絵だけだろ。「私はディズマランドが好きで~」じゃねえよ。ちょっとアートに詳しくなった感を出すな。ディズマランドが好きなんではなくディズマランドというディズニーを風刺した作品を知ってる私が好きなんだろバカ。お前をホワイトキューブに監禁したい。ていうかバンクシーだけでアートを知った気になるな。あとアートって言葉を気安く使うなお前みたいなやつは特に。

結局のところ、攻撃的な思考でしかアートに向き合えない私も嫌いだ。


近所の品揃えが最高なスーパー

近所のスーパー、個人スーパーなんだけどかなり品揃えが良い。肉と魚が美味しいカルディだと思ってる。

『きんぎょゼリー』と『ピッコロドルチェ』
というゼリー。どっちも宝石みたい。


そこに売ってたゼリーがかわいくて買ってしまった。こういうちょっとした贅沢はこれからも積極的に行っていきたい。

ちょっとエモく撮った。


イワシ明太子

「シテ…コロシテ……」

美味しそうだけどかなり業が深い。
勘のいいガキは嫌いだよ。

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