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施すこと、施し自体を喜びに感じること

僕たち人間は、基本的に欲しがる動物だ。

しかしながら、理性によって自制できるのも人間である。

動物はそうはいかない。

目の前に獲物を置かれれば、たちまち食らいついてしまう。

食べるものがなければ、うるさく鳴いて餌を欲しがるのが動物である。

うちの猫がそうだ。

腹が減れば飼い主の事情などお構いなしで、にゃあにゃあと鳴いて追いかけてくる。

非常にしつこい。

餌をあげなければ無限に鳴いてくるし、追いかけ回してくる。

僕たち人間はそうではない。

腹が減ってもかなりの間、我慢できる。

たぶん、何も食わなくても2日くらいなら耐えられるだろう。

しかし、基本的には欲しがる動物だ。

何か手伝いをするのなら、それに見合ったお金が欲しい。

できるだけ安く、たくさんの食べ物が欲しい。

優しくして欲しいし、認めて欲しいし、褒めて欲しい。

欲しい欲しい欲しい。

欲しいのだ。

友達に買って行くお土産だって、今度どこかへ行ったらお土産買ってきてねというメッセージだし。

バレンタインのチョコレートは、ホワイトデーのマシュマロのお返しありきだ。

仕事を頑張ったなら、それだけボーナスがほしいし、頑張っていないやつがいれば、何であいつは頑張らないんだ、とイライラする。

この世は、GIVE & TAKE。

そして、GIVEはTAKEのためのGIVEであるから、結局はTAKEしかないのかもしれない。

TAKE & TAKE。

タケ、そしてタケ!

日本サッカー界の至宝も、タケだ。

そんなことは関係ない。

とにかく、いつでもTAKEしたいのが僕たち人間であり、TAKEありきのGIVEをしているのが僕たち人間だ。

しかし、それでいいのだろうかと問いが立つ。

それで幸せなのだろうか、と。

モラルや道徳的に良い悪いという話はしない。

そうではなく、心地よいのか悪いのか、幸せなのか幸せでないのかという話だ。

自分の生き方、暮らし方としての話だ。

どう生きたいか、どう在りたいかという自分の在り方の話だ。

そう考えたときに、僕は少し疑問を抱く。

誰かに何かを良かれと思ってしたときに、後に何も見返りが返ってこなかったとする。

GIVE & TAKE。

TAKE & TAKE。

その価値観でいると、きっと幸せでないと思ってしまうと思う。

心地よくないと思ってしまうと思う。

人によっては怒りや悲しみを覚えるかもしれない。

なんで僕はあのときああしてやったのに、あいつは何もしてくれないんだ。

きっと僕のことが嫌いなんだ。

憎いんだ。

と、見返りがないことがマイナスに捉えられてしまう。

1を与えたときに、1以上が返ってこないと悲しくなってしまうのだ。

そうではなく、見返りがなくても心地よく幸せに暮らしたい。

そういう自分で在りたい。

じゃあ、与えなければいいという話もあるが、それは違うなという感じがする。

きっとそうではない。

与える自分でありたいなと思う。

これも在り方の話だ。

どう生きるのが自分にとって心地よいかという生き方の話だ。

善悪の話ではない。

与える自分でありたいが、与えられなくても健やかにいたいという欲張りな話だ。

そんな欲張りを実現するには、与えること自体が与えられることになればいい。

つまり、GIVEすること自体がTAKEであればいいということだ。

ちょっとよくわからないかもしれない。

でも、たぶんそういう場面は日常的にある。

たとえば、恋人や友人へのサプライズ演出。

お店などに友達の誕生日なんですと伝えるとやってくれる、陽キャな感じのハッピーバースデーソングと突如として暗くなる店内と運ばれてくるバースデーケーキのあれだ。

あれは実はサプライズする側が幸せなのだ。

あれを仕掛けたくて、友人や恋人の誕生日を祝っているまである。

あれは、GIVEした瞬間がTAKEなのである。

見返りとしてサプライズしてほしいとは、あまり思っていない。

むしろ、してくれるなと思う。

恥ずかしいから(僕は)。

でも、そういうふうに祝われるのが好きで、嬉々として受け入れてくれる人もいる。

そういった人にサプライズをするのは、そのサプライズをした瞬間に1GIVEが、友人と自分への2TAKEに増える。

あれこそ最強の施しなのだ。

僕はそういった施しができる人間でありたい。

施し自体を喜びと感じ、与えられることを期待しない人間だ。

それは与えられたくないということではなく、与えられても受け取らないということではなく、与えられなくても心地よく幸せに過ごせるということだ。

その上で与えられるのであれば、さらなる幸せだ。

しかしながら、僕はまだ未熟だ。

全人類に対して、その施しの気持ちを持つことは今はまだできなさそうだ。

この人なら見返りがなくても施せる。

そういった人たちが明確にいる。

その範囲を広げていくことが、より心地よく幸せに生きるための課題だと思う。

恋人や家族、そして友人、仕事仲間、地域の人たち、日本人、世界中の人々といった具合で。

きっと聖人君子と呼ばれる偉人たちは、この施しの範囲が恐ろしく広いのだと思う。

僕もそうなりたい。

全人類に対して、店内を暗くして、陽キャなハッピーバースデーソングをかけ、蝋燭が花火のようにバチバチと光るバースデーケーキを届けられるような、そんな存在になりたい。

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