町とともに生きる
町とともに生きる。
町全体が家であるかのように、庭であるかのように生きるのが僕のライフスタイルだ。
極力モノを持たない。
町にあるモノを利用し、人に会い、自然や町並みを眺める。
僕は、そんな生き方を理想としている。
なぜかと言われると、一言では表せない。
それが心地良いからと言ってしまえばそれまでだし、それだけだとも言える。
それを分解していきたい。
まず一つに、僕はモノを持ちたくない。
なぜなら、僕は極度に管理が苦手だからである。
なぜ飲食店経営ができているのか分からないくらい、本当に管理ができない。
在庫管理なんて苦手中の苦手だ。
よく妻にあれが無くなってる、これが無くなってると言われて気付くことが多い。
だから、つい最近になってようやく仕入れているモノを全て表にまとめて、在庫数やらステータスやらをエクセルで組んで、自動でアラートしてくれるようにして解決した。
それくらい仕組みを組まなければ、僕は管理ができない。
なので、モノは少なければ少ないほど良い。
フィジカル的にモノが少ないと、頭の中で整理しなければいけないことも減る。
そしてなぜ頭の中で管理できるモノが極端に少ないのかというと、常に頭の中には考えが3〜5つくらい同時に浮かんでは過ぎ去っていっているからだ。
過去のnoteを見てほしい。
1日に2記事も3記事も上げることがあるが、あれは頑張って書いているわけではない。
そうやってフィジカルなモノにアウトプットして記していかないと、頭の中がパンクしてしまうからである。
このnote、3〜5記事分の考えが常に頭の中に現れては消えていっている状態だと思ってほしい。
とてもじゃないが、家にあるコーヒー豆のg数だとか、読んでいない本のことだとか、見たいテレビ番組のことだとかを頭に収納しておくスペースがまるでない。
だから、外部リソースとして町に置いている。
コーヒーはコーヒー屋さんで飲むし、本は図書館で読む(そもそもそんなに読まない)し、テレビは見ないので人会って話したり、自然を眺めたりすることに置換している。
家にあるとどうしても目に入って思考を邪魔してくるのでダメだ。
そういう意味でも町に出て、考え事をしたい。
町は僕にとって外付けのハードディスクだ。
今日もコーヒー屋で、考え事をしては頭に残しておけないので、こうやって文章に起こしている。
決して昼からワインを飲んでいるわけではないことは、強調しておかねばならない。
そして第二に、僕は町に生きることで、町から還元されるという価値観で暮らしている。
お金は使わなければ入って来ない。
極端なことを言うと、世界中の全ての人がお金を使わなければ、どの商店にもお金が入らない(もちろん、あなたが勤めている会社にもお金が入らない)ので、給料が支払われないことになる。
単純にいうと、町にお金を使わなければこういうことが起こる。
もちろん、グラデーションではある。
だから単純化すると、町にお金を使えば使うほど、自分に帰ってくるお金も大きくなるということだ。
今日も仕入れで、町のお茶屋さんから和紅茶を仕入れ、町の印刷所に見積もりをお願いしてきた。
わかりやすくお金で喩えたが、これは物理的なお金などではなくても一緒である。
優しい言葉がけや気遣い、もっと言えば好きだなと思う気持ちや綺麗だなと思う気持ちも一緒だ。
それは、全て自分に帰ってくる。
それも複利で大きくなって帰ってくる。
町に生きれば、町から還元されると信じているので、僕は町とともに生きたいと思う。
一つ大事なことは、還元を前提とした贈与は野暮であるということだ。
その目論見は透けて見える。
GIVE&TAKEというが、TAKEを前提としたGIVEは透けて見えるので、結局TAKEを得られない。
だから、そもそもの心持ちとして、TAKEがなくてもGIVEしたいと思えるところ/人にGIVEするということだ。
帰ってこなくてもいい。
GIVEをすること自体が喜びであるという気持ちを持ち続けることだ。
そして第三に、僕は家にいることがあまり好きではない。
外に出ていたい。
家に居続けると鬱になってしまう。
盆と正月は家でずーっとごろごろします、という人に会うと本当に信じられない。
半日で鬱になりそうだ。
でも、たぶん僕が変な気がしている。
というのも、多くの人がそうしているし、そうしていても別に鬱にはなっていない。
先ほどの話にも通じるのだが、僕の頭には常に3〜5くらいの考え事が無限に浮かんでは消えていっている。
家の中にいると物理的な閉塞感とともに、思考的にも閉塞してきてしまう。
考えが頭の中で凝縮して、自分が "強く" なる。
強くなるとはここではネガティブな意味で、苦味が強いとかの強いだ。
自分が強すぎることは、トゥーマッチになる。
つまり、主観が強くなり過ぎて、客観的な目線が欠けてきてしまうということだ。
考えが煮詰まってしまい、水分が蒸発しきって、ドロドロになって真っ黒になった何かになる。
だから、物理的な解放感が必要で、考えを放出して客観に晒さなければいけない。
僕の場合は。
そんな僕にとって、町全体を家のように捉える暮らしはとても心地がよい。
ということで、午後も家に帰る気がない。
どこに行こうか。
午前は人に会ったから、海や山を眺めて1人で思考するのもいい。
ちょっとやらなければいけないたすくがあるので、カフェでこのまま作業するのも良い。
町はできることが無限にある。
家に閉じこもっているのは、もったいない。
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