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36歳が19歳の時に書いた大学1年のレポートを晒しな日記

探してたはずなんです。Dropboxで。仕事のファイルを。

押し入れの奥のプラケースとか、大地主の自宅敷地内のただっ広い庭の角にある納戸みたいに、長いこと放置されてるフォルダってあるじゃないですか。

なぜかその日、「旧USB」っていうフォルダが妙に気になって、その中の「大学レポート 一年次」を開いちゃったんですね。パンドラの箱でした。

あなたは、幼少期のアルバムを開いて引っ越しの作業がストップするタイプですか? 答えなくていいです。わたしがそのタイプです。パンドラの箱でした。

いや、公開するつもりなんてさらさらなかったんです。パンドラの箱が開いた最初の災いは、あろうことか、このnoteっていうサービスの総元締めである、note株式会社代表取締役CEOの加藤貞顕さんが反応されたことでした。

いや、まじかよ。

でも、わたし編集者やってるんで、ひとりでも読みたい人がいるなら、公開します。晒しなよと言われて公開する「晒しな日記」ですよ。 

は?

いや、わたしも好きなんです。バズった記事とかじゃなくて、おそらくほとんど誰も読んでなくて、管理人さえしばらく放置してるようなブログの記事とか読むのが。放っておいたら熟成してた樽の中のウィスキーをひとりじめしているような気がして。2003年仕込みの17年モノです。まずいよ。

これは、いま36歳のわたしが早稲田大学第一文学部一回生だった19歳の時に履修した講義「自己表現論」の最終課題、「自分の長所」を書いたレポートです。原孝さんという、20世紀の総理大臣みたいな名前の担当教授で、当時早稲田でも1、2を争う人気講義でした。

あの時、ひとりも友達を作らずに机に向かった浪人時代を経てマンモス大学に入学し、わかりやすくアイデンティティが揺らぎまくり、何のために大学にきて何のために生きてんだろうな、とかわかりやすく悩んでいました。それを昇華しようと思って書いた19歳の「読みたいことを、書けばいい。」です。完全に自分のために書いたやつ。

わたし今は編集者やってるんで、これ死ぬほど校正したいです。2段落目で発狂しそうになります。でも、これは原文そのままでないと意味がないので、そのまま載せます。

10,007字あります。おそらく、note史上最も離脱率の高い記事になるでしょう。

それでは参ります。19歳ピッチピチで髪モッサモサだった今野良介で、「混沌の中から生まれるもの」。

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課題テーマ:「自分の長所」  

混沌の中から生まれるもの

早稲田大学第一文学部1年  今野良介

僕は自分の長所を書くに際し、今の自分を造り上げてきたものは何だったのかということを考えながら話を進めていきたい。そうすれば意識せずとも長所も短所も出てくると思うからである。

僕の将来の夢は、「childなMrになる」ということである。童心を決して忘れたくないと思っている。なぜなら無意識のうちにあっという間に過ぎたように感じていた幼年期でも、今の僕が例えば自然に触れた時の解放感や公園で野球なんかをして純粋に楽しいと思ったりとか、眠れない夜に頭を巡っていることが小学生のときに考えていたことと変わらないことに気付いたときに、自分を支えているものはあの頃の感性であり、そういう感動を忘れてしまったら自分がとてもつまらない人間になってしまうような気がするからだ。

しかし今、実はとても焦っている。幼年期にしなければならなかったことが、もっともっとあったのではないかと思ってしまう。

僕は一人っ子である。父と母は友達が多いわけではないがどちらも旧友との仲が良くて、しばしば僕も一緒に食事をしたりしていた。僕の周りには親戚なども含め常に大人がいるような状態だった。そんな中で僕は大人を嫌がるでもなく、むしろ色々なことを教えてくれて、遊んでくれて、落ち着いていて、こんなにみんな仲が良くて、何だかうらやましく思えて、「早く大人になりたい」と思ってしまうようになっていた。その感覚は今でもはっきり覚えている。大人から期待を受けることを気持ちよいと感じ、大人びて見せることをかっこいいと思っていた。「大人っぽいわね」なんて近所のおばさんに言われようものならゾクゾクしていた。僕がそんな風になってしまったのは確か小5~あたりだったように思う。

僕は現役時代の受験に失敗し、浪人生活に入った。始めに言っておくが僕はこの浪人時代がなかったら絶対にこんな文章を書いてはいない。この1年間は本当に極めて自分の世界が狭くなった。別に1日中机に向かうでもなく、予備校から帰ってきては何となく過ごす日々だった。そんな時見えてきたものは今まで1番よく知っていると思っていた自分自身の姿だった。集中力のなさ、根性のなさ、すぐ逃避に走ってしまうこと、自分の弱さがイヤになるほど露呈してきた。しかしそれだけではなかった。自分の良さだって見えてきたのだ。物事をどんなに些細なことでも深く考えてみると何かが得られるというスタイル。自分のライフスタイルにおけるスパイスは何なのかということなんかも見えてきた。それはまた後で書くことにする。

ともかく浪人時代、新しい友達など1人も作らなかった僕は、「大人っぽく振舞うこと」が何の意味も成さない生活をしていることに気付いた。結局それは他人の目だけを気にして生きてきたことへの気付きであり、自分自身を全く相対化せずに評価したことなどほとんどなかったということへの気付きだった。これは大きかった。体裁なしの素の自分と向き合うことの怖さを初めて味わった。他人との関係の中でなく孤独に身を置いて自分自身だけを見つめた時の心細さや頼りなさはもの凄くショックだった。誰でも他人との関係の中でしか生きてはいけないのではあるが、本当は自分は1人なのだと気付けたことは大きな経験だった。僕は浪人しなかったらどうなっていたのかと今でもゾッとする時がある。運命的に、必然的に浪人したのだと思えるようになってはきたのだが。

そしてそれから今までの間、僕を支配するようになった気持ちは簡単に言ってしまえばアイデンティティの確立における迷いとかになるのだろうが、自分の中ではそんな簡単な言葉で済ませられることではなく、今までとは逆に幼年期に戻りたいと思い始めてきている気持ちなのだ。それは単なる現実逃避ではなくて、大人になりたいと思っていたあの頃に、もっと子供として感じ取れることがたくさんあったのではないかと思うのだ。感受性が高くて、何も余計なことは考えなくてよくて、そんな時にもっとたくさん色んなものに触れて色んなことを感じるべきだったのではないかと考えてしまう。自分にはそういう意味での幼年期などなかったのではないかと本気で不安になってしまうのだ。

だから今自分は純粋さを取り戻そうと馬鹿げた努力をしている。ジャンル問わず映画や小説や詩や絵画や色々なものに触れてみる。自分の中を混沌とさせてみる。そうすれば少しは気持ちが癒えるのかもしれない。この悩みは今でも消えてはいないし、この文章を書き終えるまでには何か新しいことが見つかればいいと思ってはいる。

さてこの文章の目的は自分の長所を見つけることだが、僕は最近重大なことに気付いた。これを長所と呼べるのかは甚だ疑問だが、生きるヒントとしては革命的なことだと思っている。

僕は誰かを愛しているということが人生の起爆剤であり精神の安定剤であり、あらゆる面における僕の生活を支配してしまうことだ。そんなことは誰にでも当てはまることだといわれてしまいそうだがどうもそうではないらしい。何故かといえば、たとえその過程で限界まで傷ついたとしても何もないほうがずっと淋しいことなのだと思うようになったからだ。今、色々なことに悩み始める時期で、急に世界が広がってたくさんの人と付き合うようになり、自分が誰なのか判らなくなって、何のために生きているのか解らなくなったりとそんな中においても、誰かを愛している中で起こることならば全て確信を持てるのだ。自分が自分である気がする。自分が構成されていく感じがする。この先生きがいに出来るような職や趣味が出来るのかもしれないが、この信念は揺るぎ無いだろうと思う。

僕のワセダネットのアドレスは『back to roots・・・・・waseda.jp』である。「一生使い続けるアドレスなので後悔のないように」と注意書きがされてあって随分と悩んだものだが結局これにした。「何かあったら自分のルーツに戻れ」という意味である。これは僕の生き方の核を成している行動である。僕は生きていて感じる感覚として最も好きなのは“懐かしい”という感覚である。前述した童心を忘れたくないということにも関連してくるのだが、自分が通り過ぎてきたものなんて毎日を過ごしていたら1つ1つ思い出す機会なんてないわけで、今の自分を形作っているはずの出来事でも、忘れてしまっていることは多いだろう。しかし完璧に忘れ去ってしまっている出来事というのも実は少ない。何か思い出す機会があればそんなこともあったなと思えることは多い。そして懐かしいと思える場面で、その出来事が今の自分にどんな影響を与えているのかと考えてみることはとても有意義なことだと思う。今の自分が誰なのかわからなくなる時、それは今の自分の生き方に何が影響を与えてきたのかを忘れてしまっていることが原因であるように思う。前を向いて生きろとか、終わったことをくよくよ考えるなとか、後ろを振り返ることを美徳としないような格言めいたものが多いような気がするし、僕のアドレスにしても人生後ろ向きを宣言しているようにも見えるが、少なくとも自分は過去を反芻することが前に進む原動力になることを確信している。

いまいち説得力が乏しいので補足すると、僕は時間軸の中で1番大切なのは当然『今』だと思っている。『過去』を作るのも『未来』を作るのも『今』だからである。しかしその『今』を知るための手がかりとしては『過去』しかない。『未来』を作り出す『今』をよく知るためには『過去』を知る必要がある、という理屈である。具体的には、これもまた浪人時代の話になってしまうのだが、自分に社会的な価値がない状況で、素の自分と向き合って何の意味も見出せなくなってしまった時の僕の自慰行為は、過去を掘り出していくことだった。小学校の時作った秘密基地跡に行ってみたり、中学時の部活のアルバムをあさってみたり、高校の通学路を辿ってみたりする。旧友にも会ってみたりする。前に何も見えなくなった時に自分は過去に支えられていることに気付いた。過去と切り離しては絶対に今は語れないことにも気付いた。また新しい過去を作るために生きていこうと思えるようになった。

そして過去との再会はいつもいつも故意に起こすものではない。夏の講習の苦しい時期に10年間会わずにいたはとこから連絡があったりする。10年間眠っていた記憶を掘り返しながら尽きない話をしていると、昔の記憶があたかも全く新しい記憶であるかのような新鮮さを帯びてもう1度脳の皴をなぞる。引き出しの奥にある埃をかぶりきったノートを、その埃を払ってもう1度引き出しにしまい込む感覚に似ている。1度過去の自分が経験して用無しだと思っていたことが、今の自分にとっては新しい意味を提示して現れてくるのだ。その感覚は読書において映画において誰にでも経験のあることなのではないだろうか。僕はそれを何気ない些細な出来事に応用しているだけである。人生の限られた時間の中では得られるものも限られてくるのだから、やたらに色々なものに触れるよりも出会ってきた1つ1つの出来事から得られるものを見つめていくほうがよいのではないかと思う。
 
ここまで自由にこの文章を書いてきて既にいくつかの点で矛盾したモノを書いていることに気付いた。誰かを愛することが生活の全てに影響すると言いながら過去を反芻することが人生の核だと言い、色々なものに触れたいと言いながら限られたものから得られることを大切にしろなんていっている。でもこれでいいのだと思う。嘘は書いていない。僕は矛盾を孕みまくりながら生きているということだ。それに気付けたことだけでもとても意味のあることをしているではないか。だいたいまだ半分も書き終わってはいないのだからそんなこと気にしてはいられないのだ。

次に孤独について語ろうと思う。これこそが僕の永遠のテーマである。僕の来し方を語るのにこの言葉は絶対に外せない。冒頭に書き記したように、僕は一人っ子で、家族の愛もしっかり受けて育ったので、まず1人でいることが苦ではなかった。小学校のときまでは毎日のように友達と遊んでいたが、1人でいるのが怖くてそうしていたわけでは決してない。家で1人で遊んでいるのも好きだったし、しばらくは自分1人きりでも生きていけると本気で信じていた。そしていつからははっきりと覚えてはいないのだが、おそらく中学生の時だろう、生徒会活動や陸上競技などやりたいことやらなければならないことが増えてくると、自分の行動に優先順位をつけ始めて、そのエスカレートが止まらなくなってしまった。友達の遊びの誘いを何度断ったか知れない。何度も断り続けていると断る申し訳なさの感覚が麻痺してくるのと同時に、前も断ったのだから今回だって断ってもいいだろうという勝手な判断が生まれる。

そしてそれに拍車をかけたのが「いつも誰かとつるんでばかりいる奴などダサい。」という感覚だった。その感覚が間違っていたとは今でも思わない。しかしそれがコミュニケーション能力を養う機会を失ってきた原因となっているのも間違いのないことだと思う。あの時期は全般的に経験することを避けて頭で考えることばかりやってきていた。体で覚えることよりも頭で考えたほうが良いのだと思い込んでいた。たまに友達の誘いに乗ってみても、1度くらいでは疲れてしまうだけで、学校の用事のこともあって次にまたその誘いに乗ることはほとんどなかった。みんなでつるんでいる奴等が楽しそうに見えることもあったが、自分は孤独でいるのが正しいのだと思い込み、望んで孤独になろうとしていた。誰にも相談を仕掛けることもせず、そのくせやたらと他人からの相談に乗ることが多くその度わかったようなことをぬかし立てていた。他人に触れることで得られることを知らぬまま体裁を繕い、知ったかぶって疲れの溜まる日々を送り続けた。

そうだ。考えてみれば幼稚園、小学校、高校には今でも付き合いの続いている友達がいるが中学校にはいないかも知れない。しかし次から次へとやらなければならないことが重なってそんな自分の生き方を省みる機会を持たなかった。持とうとしなかった。そのツケが一気に返ってきたのが浪人時代だったのだ。

原先生はいつかアメリカのモラトリアム制度について授業で扱っていらっしゃったことと思う。そして先生は日本にもその制度が必要だと仰っていたが、そのことに関しては、僕は激しく賛成したい。アメリカの戦後教育の介入の問題にまで突っ込むつもりはないが、1度立ち止まって生身の自分と向き合う機会が誰しもに必要だと思う。そして僕は僕なりにある種の覚悟を決めて浪人生活に臨んだつもりだった。そこは実は何からの束縛も受けない自由な世界だった。自分を勉強に駆り立てるものは自らの意志だけで、実は今までにない全く自由な時間を持っているのだと気付いた。そこで僕は今まで味わったことのない孤独を感じることになった。孤独の意味を初めて体感した。

1人でいることにまだ自信をもっていた当時の僕は(といってもほんの1年半前のことだが)誰とも連絡をとらずに勉強を始めた。しかし1カ月も経たないうちに僕はほとんど無意識のうちに携帯電話をいじり始めていた。自分の集中力のなさを戒めなければならないと思った。しかし携帯をいじっていないと落ち着かない日々が続き僕はある実験をしてみることにした。誰とも連絡をとらずに毎日を過ごしてみようと思った。そして驚いた。いつもいつも誰かのことを考えてしまうのだ。浪人仲間だということ、大好きなアーティストだからということ(※ここだけ編集部註:aikoです)、しばらく連絡をとってない奴だからということ、色々なことに託けて、結局誰かと繋がっていたいという気持ちを恥じる意識を騙しながら過ごしていた。ショックだった。人間は社会的な動物だとか、そういうイメージではなくて、自分が本当に1人で生きていくことの恐ろしさを知ってしまった気がしたのだ。さっきの過去を掘り返して反芻することだってそういう意味では孤独から逃げる言い訳なのだ。

僕はそれから孤独ということについてよく考えるようになった。孤独という言葉の語源を考えた。僕が履修した一文の科目のテストで俳句を作成するというユニークなものがあった。僕は孤独をテーマに本歌になるものを探し、尾崎放哉の句を採用することにした。『こんなによい月を一人で見て寝る』という句だった。。僕は孤独の語源は月なのではないかと安易に考えた。「独りで弧を描く」という文字の意味が月そのものだと思ったからだ。照らされているのに現れる孤独。本当のところは判らないのだが。

脱線してしまったので話を元に戻すが、孤独の意味を自分なりに再解釈してみようと思った。中学生の時の「常に誰かとつるんでいる奴はダメだ」という感覚は捨てるべきだとは思わない。独りになることは絶対に必要なことだと思う。外界で感じたこと思ったこと、それを自分のものにするのは独りになって自分なりに解釈したときであるからだ。だから外との接触が多くなる時ほど、環境が変化して新しいことがどんどん押し寄せてくる今のような時ほど、独りでいる時間は大切になってくると思う。

そして何故か周りに人がたくさんいるような時ほど強く孤独を感じてしまうことがある。それは自分がいないからだ。周りにたくさんの人がいるということは、それだけたくさんの人と自分を比較することになる。そして自分の伝えたかったことがあの人には伝わったがあの人には伝わらなかった。でもあの人といると自分は凄く楽だ。しかしまた違うあの人のいうことは自分を適切に分析してくれているような気がする・・・。そんな風にして自分自身に自信がなくなってきて本当の自分が誰なのかわからなくなって不安になる。そんな悩みを誰が解決してくれるわけでもなくて悩みを抱える自分を孤独だと思ってしまうのであろう。

しかし本当の孤独を垣間見て、人生後ろ向きである僕が思うことは、本当の自分を造るのは自分ではないということだ。誰かと付き合っている時の移ろい易い自分に重ねているだけのものであるということなのだと思う。どこかに本当の自分が用意されているなんてことはどう考えたってありえないことではないか。そう思うしかないのだと思う。

僕は今までそんな当たり前のことで悩み続け、こんなことを言いつつこれからも同じことで悩み続けるのだと思う。しかし明らかな指針が一つ出来たのだ。先程述べた恋愛論である。僕は本当の自分でさえも、愛する人に求めてしまうような人間だったのだ。愛した人には、その本当はいないはずの『本当の自分』を見せたいと思ってしまう。そして傲慢なことに『本当の自分』を認めて欲しいとも思ってしまう。そのためにはどんな手段も使ってしまいたくなる。それは愛する人でなければ僕には生まれてこない気持ちなのである。傲慢だといったが、当たり前なのかもしれない。だってそんな自分を見せている当人は本気なのだ。こんな自分でいたいとかこんな自分を好きになってほしい好きになりたいと思った自分を精一杯演じて見せてしまうようになるのだ。そこには無理があり、虚構があり、結果的に相手に認められなくても、僕はそんな時の自分がいとおしく思う。あんなに本気になって自分自身を動かすことはない。自分が大きくなっていく感覚がある。理想に向かって動くことでとても生き生きとした心持ちになる。非日常なのだ。そんなときに起こった出来事に対してはとても吸収率が高い。『本当の自分』に近付こうと一直線になっていて、全てにおいてそこに向かってベクトルを傾けているような状態だからだ。

このことはひょっとすると自分の長所なのかも知れない。恋愛に溺れることが出来ること。生きる意味を誰かを愛することに見出すことができること。自分が本気になれる時(先日の本気を語る会、四〇℃の熱を出して出席できなかったことを本当に悔やんでいる次第です)。自分に変化を与えることが出来る時。これはやはり自分の長所だと思う。自信を持って。

本気についてもここで語ってしまおう。本気になることそれ自体の定義は人それぞれであると思う。こういう状態が本気になっていることだと普遍化できるものではないと思う。大体言葉というモノはそういうモノでなければならないと思う。しかし人が本気になった時、広義において普遍化できることを言うとすればこういうことだと思う。

まず本気になって何かに取り組んだ時、その後の自分の身に起こることの予想はつかないものである。そして予想などしない場合が多い。半端な気持ちで行った場合、後先の予想はある程度ついてしまう。そしてそれを予想してしまう場合が多い。本気になるということは、未知の自分と未知の世界に出会うことである。半端な気持ちで何かを行い、自分で加減をつけてしまうことは、何か他に意図がある場合である。思考に余裕があるということである。計算された行動である。本気になってしまったらそうはいかないものだ。熱がおさまった後で冷静に自分の行動を振り返るという作業が必要なものである。僕は本気とは、本当はそういう極限状況が持続している期間だけを表す神聖な言葉であると思っている。そして人間が成長していく過程で、本気になる経験は絶対に不可欠な要素である。本気になった後の自分はそれまでの自分とは違う人間になる。それが結果的に自分にとって他人にとってよいことであるか悪いことであるかには全く関係なく絶対に自分に変化を与えるものである。それが本気になることの意味である。

年を重ね、経験を重ねて知識を重ねていくうちに、純粋に本気になれることは少なくなっていく。それでも本気になれる機会に巡った時、どんなに年をとっていてもその人は少なからぬ変化を帯びることになる。それが本気になることの持つ力である。それはやっぱり未知の何かに触れることができるからである。既知の出来事から変化は生まれない。僕はそういう意味でもChildなMr.でいたいと思う。本気になれる純粋さをどこかにもっていたいと思う。本気であることそれ自体の定義はする必要もなくて、その結果起こることから逆に定義してみるとそういうことなのだと思う。
  
僕はこれから『自己表現論』の講義を受けて感じたことを少し述べてみる。講義中に発言することもあまりなかったし、こんな機会は簡単に作れるわけでもないのでこの場をお借りしたいと思う。

僕がこの講義を履修した動機は、自分の長所を見つけたいからでも就職に役立てたいからでもなかった。先程書いたような不安や悩みに取り巻かれた毎日を過ごしていく中で、改めて自分がどういう人間なのかを無性に知りたいと思った。誇張するわけでもなく本当にすがるような気持ちでこの講義に履修希望を提出したのだ。原先生が喋る内容は、ものすごく当たり前のことのように聞こえた。僕はもっと難しい話を聞きたいと思った。しかし自分のその認識は間違っていることにすぐ気付いた。自分の生きる日常で起こることに反応する自分にとって、知らなければならないこと考えなければならないことは当たり前に起こることであるからだ。そして僕の認識は更なる間違いを犯していることに気付くと同時にその認識を僕の中から消去した。先生が語る言葉には特別な力があるような気がしたのだ。

僕は先生に「あなたの自己表現はいかがなものなのか」とくそ生意気な口を叩き、最終回の講義で先生に語らせた張本人だが、その話を聞き終わったとき、僕はとても恥ずかしい気持ちになった。先生は毎回の授業の中で僕が望んだことを実践していたからである。先生は毎回真剣に生徒に話しかけていた。時には先生の語りだけで講義が終わるような時もあったかと思う。そのスタイルに賛否は色々あるとは思うのだが、僕はそのスタイルのよさに最後の講義になってはじめて気付いたのだ。先生は第1回目の始めの授業から僕たちに本気で語ることの意味、重要さを、言葉だけでなくその講義スタイルで実践して見せていたのだと思った。内容がそのまま上手く伝わるかどうかだけが大切なのではないこと。

そしてこの今書いている最終課題である。これははっきり言って今さっき感じたことだが、この文章を書いていくうちに感じたこととして、僕にとってはこれはどうやら自分の長所を見つけるための作業ではないということだ。僕はここまで本当に自由にずらずらと書き進めてきたのだが、はっきり言ってめちゃくちゃである。全て包み隠さず本音であることは誓うが、どう考えても駄作である。言いたいことが1つでも表せているのか不安である。

しかしこれは自分に対するメッセージであったのだと思う。過去を振り返りながら他人に自分を伝えようとすること、表現しようとすることで、自分がどんな人間で、どんな風に自分を捉えているのかを知ることができる。先生にはそれを文章という形で自己表現する自分を知るという意図があったのではないかと推測する。僕はこの文章を書いていくうちに、当初の自分の当講義履修の動機に少なからず近づけていたことに気付いた。僕は自分自身に自己表現するという形で自分に対する理解を深めることができた。

僕はまだまだまだまだ死ぬほど未熟な人間であった。知らぬ間に自己矛盾に陥っていることもたくさんあるのだと気付いた。では本来の目的である自分の長所は全く見つからなかったのかというとそういうわけではない。別にそんな自分の未熟さや諸々を自分の短所だとも思ってはいないからである。自分の行動が長所であるか短所であるかということは他人や外の世界に触れたときの相対的な判断で決まるものだ。その分析はその場その場で考えていくとして、自分の中の絶対的な自己に対する判断が今の自分が必要としているものであり、これからも1番大切なことなのではないかと思うのだ。この文章に記したことはほとんど全てがあらかじめ用意していた言葉ではなくてその時に感じたことをとっさに記しただけである。今述べた自己への評価も今感じたことである。文字にして表してみることの大切さ、互換性のなさを、自分を知るという自分にとってもっともたいせつなテーマにおいて実感できたことはものすごく大きな収穫であった。

只今8月8日15:45。自分の計画性のなさと余計なことは書きたくないという思いで制限字数に達していません。どうぞ大きな減点の対象にしてください。半年間、本当にお世話になりました。

(了)


ここまで読んでくれた奇特すぎる人のためにお伝えします。

パンドラさんが開いたものは「箱」ではなく「甕」だったそうです。マジで酒じゃねーか。焼酎? 泡盛? 紹興酒?

そして、甕を開けて災厄が世界にはびこり、慌てて閉じた甕に唯一残ったものは「希望」であったそうです。わたしは希望を得るのです。

そうなの? 

希望どころか、考えてることの核が、絶望的に今とあんま変わってないんですけど?

あと、このレポート、この年に履修した講義の中で唯一、最高評価だったんですよね。講評もなく。

ねえ、なんでだよ。原先生。

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