誰とでも交われる、わけじゃない。

年始からウルトラ個人的かつ激烈にプライベートな話を書く。

今年36歳になる。3つ干支を周って確信した。「相手が好きな人でないと駆動できない」ということが、自分の人生の根本にあると気づいた。

性的な興味が芽生えるのは、周囲の子どもより早かったと思う。小学5年の頃、女子に「オナニーオナニー!」とか喜び勇んで言いふらす男子を「アホか」と横目で見ていた。スカしていたわけではなく、エロ本やギルガメに出てくる知らない単語隠語を片っぱしから辞書で調べていたから、そんなん1年半前から知っとるわと思っていた。性的な範囲の保健体育のテストで教科書をほとんど読まずに100点とって一部の男子から尊敬の眼差しを向けられ、卒業文集には「エロ魔神」的な文字が並んだ。おまえら誰もエロ本を本気で読んでないだろと思った。知識など調べれば身につくだろう。

しかし、百聞は一見に如かず、知識は体験を越えられない。知っていることを自分のものにするには、やってみるしかない。

やってみてわかったのは、「好きな人でないと駆動しない」ということだった。もっと即物的に言えば、「自然に起動しない」のだ。おまえは突然何を告白し出しているのか。しかし、ものすごく大事なことだった。

「リラックスしないと」

いや、そうではない。わたしはあなたに身を預けることができないのだ。

「頭で考えたらダメだよ」

言いたいことはわかる。でも、頭ではなく、心がなかったと気づいたのだ。それは絶対に言えない。しかし言わずとも伝わる。わたしがわたしを知らなかったのがいけないのだということが。好きだった相手と、ずいぶん時間が経ってから逢うことがあった。後悔した。なんのことはない。わたしの心が離れていたからだ。

わたしがわたしを欺けば、自分も相手も負う必要のない傷を負う。あれ以来、わたしには「据え膳」も「ワンチャン」も「武勇伝」も「やれたかも委員会」もない。わたしはセックスそのものは語れても、好きでない人とのそれは語れない。語るつもりがない。

デンマークの映画監督ラースフォントリアーに『ニンフォマニアック』という作品がある。男性の色情症をサチリアージス、女性の色情症をニンフォマニアという。いわゆるセックス依存症の女性の話だ。それを観ながら「ああ、俺は明らかにこれではない」と思った。自分にとっては、精神的に近づきたいと思った相手との間に訪れた象徴としての一時的な肉体的接続に快楽があるのであって、決して逆ではない。つまり、「行為そのもの」が好きなわけではないのだと体験から思い知って事後的に確信した。

これを受け容れるのは、当初、ちょっとさみしいような気もした。しかしそれは、社会的な価値基準を誰かと共有し誇示できないさみしさでしかない。わたしはわたしとして生きていく覚悟が決まったころ、さみしさは消え失せていた。

なぜこんなことを書いたか。何を突然自らの性遍歴や性的志向を開チンし出したのか。エロいことを書きたかったわけではない。露出狂でもない。書籍編集という仕事をやっていて、全く同じ感覚を得ているからだ。

両手に余る程たくさんの恋をしたって
それは決して誇れる事じゃなくて
悲しんでゆく事なのね
aiko『二人の形』

先日、よい文章を書く人の依頼を、長い時間をかけて断った。よくない返事をするのが遅くなってしまった。完全に己の不徳の致すところだ。恥ずかしかった。申し訳ない。しかし、わたしは長い時間をかけて自問し、踏みとどまった。相手を好きになれないまま行為に及ぶことを。

書籍編集は、ひとりの著者と長く深い行程を共にする。前戯もあれば本番もあり、ピロートークもある。2回戦3回戦に及ぶ場合もあるだろう。わたしは、その行程そのものが好きなわけではない。相手によるのだ。大切なのは行為より相手なのだ。好きでもない相手と共にするのは苦痛ですらある。仮に校了が射精だとして、好きではない相手と義務的に終えた後に訪れるのは空虚な賢者タイムだけだ。

そして、セックスと書籍編集で決定的に違うのは、書籍編集は「必ず子どもが産まれること」だ。避妊を前提にした本づくりはありえない。

昨年、2人目の娘が産まれた。 わたしは、2人の娘の出産に両方立ち会えたからわかる。母親と子どもは一心同体なのだ。産まれた子どもは、分かち難く妻と結びついている。愛せない人との間にできた子どもに罪はない。愛せない罪は、愛せない相手と子をつくった自分自身にある。だから、わたしは愛せない人と子どもを設けることができない。産まれた子どもを愛し、自ら育ち、誰かに愛されていく過程を慈しむことができないからだ。

俺は俺自身が「あなたとこそやりたい」と思わないと、もうどうしようもないのだ。 売れようが売れまいが、わたし自身が愛せない本をつくった時点で、わたしは自分を欺くことになる。わたしがわたしではなくなる。

好きな相手を通して行為を好きになるのであって、その逆ではない。相手を愛するうちに、わたしとあなたの間に産まれたものしか愛せない。

いつもいつも 傍にいてとは言わないじゃない
毎日 愛してるって言って欲しい訳じゃない
ただただ 二人恋に堕ちたはじめの時
その気持ち忘れて欲しくないだけ
aiko『Do you think about me?』

わたしとあなたの間に産まれるものを愛したい。自分自身であるために。まだ見ぬ人を愛せるように。

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