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ネトゲ戦記感想 天才と生きるには

はじめに

note版の裁判編もピークを迎えているので思ったことをまとめてみる。
ネトゲ戦記はとある天才の物語だが、凡人のぼくがこれにテーマを見出すなら「凡人は天才と如何に付き合うか」だと思う。天才にまつわる話は聞くだけなら面白いが、関わるには覚悟がいる。そんな話だと思った。

ちなみにぼくは空白さんと会ったこともないただの一ブログファンだ。このnoteはぼくがクリエイターをマネジメントする仕事をしている事情で思うところが多かった、という感想文であり、内容にはぼくの勝手な解釈と推測が多く含まれている事をご承知おき頂けると幸いである。

※以下、氏の名称は原典への尊敬を込めて「彼」と表記する。

第一部

第一部は天才の生い立ちだ。
力の使い方がわからず一般教育から離れ、その先で見つけた居場所(ネトゲ)で無双する。天才がその能力を自覚し始める物語だ。

恐らく彼の持つギフトはアドバンスドチェスのような、頭の中のデータとセンスの合わせ技としての「読み」だ。
この才はデータそのものをプログラムで組んだゲームというフィールドと非常に相性が良かったのではないだろうか。ネトゲは不確定要素として他人の行動が介入するが、ゲームである以上その全てはデータを通して表現される。データであればそれを処理し、常に最適な戦略を選び取ることが理論上はできる。通常は不可能だが、恐らく彼にはできた。選択肢が多すぎる時にぼくらがなんとなくで選んだ行動によって失敗するのと真逆で、彼のなんとなくには計算の裏付けと直観による抜粋が入った非常に確度の高いものになっていたのではないだろうか。もしそれが十分に発揮されれば、データの集積であるHNMだけでなく、データを挟んで向こう側にいる人間の思考まで凌駕できていたとしてもおかしくない。
仮説だがこう考えると彼がなぜネトゲという分野において無双できたのかが納得できる気がする。

しかしこの能力は現実の他人や集団という不確定要素が入り常に最適解が選ばれるわけではない場所(まさしく裁判など)では不完全にしか発揮されないだろう。その視点で見ると両親との確執や中退など、周りの他人(凡人)とどう折り合いをつけるか、という彼が今後抱えていかねばならないテーマ、いわゆる天才の孤独を発見できる。これは後に起こるグラニとの争いの萌芽ともとれて興味深い。

そして第一部でぼくが最も考えさせられたのは、両親が彼に与えた選択肢が「医者か弁護士」だったという部分だ。ぼくの私見だが、この二つの職業こそ先に述べた理由で彼の才能を生かせないと思うし、少なくとも直観へのスキルツリーはそこまで伸びなかっただろう。一般に頭の良い者が成るべきとされる職業が彼の才能を潰す可能性があったのだ。そしてその先の彼の物語も、6億の獲得もなかった。
(唯一医者になっていたら高性能アキネーターみたいになっていた可能性はあるが、病院という象牙の塔と人体とかいうイレギュラーの塊に彼が耐えている所が想像できない)
ぼくは「才能をもつ者」が「天才」になるには、その才能が磨かれる経路が用意されてなければならないし、何かの研鑽をしたとしても本人の才能がそれに向いているかははっきり言ってガチャだと思っている。なので一人の天才が生まれることはたまたまその環境に合致した、という結果論でしか捉えられないと思っていた。(一流の経営者ほど自身の成功を実力ではなく運だと捉える傾向があるが、あれもそういう意味だろうなと)
だが彼は東大寺学園高校を「ただそうしたかったら」という理由だけで辞めている。ここに彼の直観のスキルが働いていなかったといえるのか?
これまでの自分というデータを元に、未来に向かって伸びる無限の可能性の中から、彼の能力がその才能を伸ばす選択肢を「直観」で選び取った。
それこそ結果論だし事実はわからないが、この話はそう考えた方が面白い。

第二部

第二部は天才が覚醒する話だ。
成熟した彼は一般化を試みるが、結局その才能を活かす場所を求めてしまう。そして発現した才覚を誰かに利用されるまでの物語だ。

親と流血騒ぎまでして獲得したネトゲ生活だが、そこからの社会復帰描写がやけに軽く感じるのが印象的だ。攻略本の発売で「現実に作用させてお金を稼ぐことができた」という事象は彼に「そろそろ現実の攻略だな」と思わる足がかりになったのだろう。ここからの行動は彼にとって、じゃあ普通に大学くらい行っておくか、大学にも行ったしいっちょ普通の仕事ってのもしてみるか、という程度のものだったんじゃないかと思う。ブランクなんて無かったかのように「有名企業に勤めたい」という一般人の努力目標を軽く超えてくのが最高に天才って感じがした。ただ、その普通の会社の普通の仕事はやはり彼の能力を満足させる場所ではなかったのだろう。SEGAがそういう風潮だったという理由だけではなく、彼がそこを飛び出すのは時間の問題だったと思う。
次に移ったITベンチャーというフィールドは当時まだ発展途上だった、そういった場所では往々にして「結果さえ出せば個人の人間性を問わない」側面がある。彼の才能はその状況と合致することでビジネスの中でついに開花するが、代償として彼個人が持つドラスティックな面をより先鋭化させたのではないかと思う。つまり彼は全速力で走るが、ついてこれないものは容赦なく置いていく、という方向への明確な舵きりだ。発揮される才能は大きな利益を生むが、ここでそれは必ず起こる周りの不和とトレードオフとなった。これは最終的に「脳だけ培養液に浮かせて出力だけさせたい」と同僚に言わせるところまで行きつくことになる。

そしてここでもう一人の主人公、谷さんが登場する。
ぼくは最初彼と谷さんの関係はモーツァルトとサリエリみたいだなと思っていたが、今では全くの検討違いだったと思う。
谷さんが彼の才能を理解したのは、彼に及ばないながらも同じ才を持っていたからという訳ではなく、ただ単にそれがが谷さんの能力だったのだろう。
恐らく谷さんが持つ才能は支配とかコントロールとかそっちの方向に伸びたもので、「利益の為に清濁併せ飲む事ができる」という、皆が出来そうでなかなか出来ない能力の持ち主だったのではないかと思う。だからこそ、グラニ設立にむけて能力値のバランスが良い人間ではなく、まず彼に最初に声をかけたのではないか。
天才の成果物は周りの不和と等しくなると言ったが、天才の偏ったパラメータで発露された成果物を一般人が認知できるように(=下流の作業者にもその内容が理解できるように翻訳)するには目に見えない膨大なエネルギーがいる。一般人には理解できない角度からの意見とアイデアを内に受け入れ一般化させる変換作業。ぼくの経験において、天才と付き合う時の一番の負担はこの認知負荷だと言ってもいい。一度でも高スキルの人と仕事したことのある人には理解してもらえるのではないだろうか。それを覚悟し、彼が天才ゆえのトラブルメーカーだと知っていても、その能力を得ることを優先できた。これは一つの才能だと言っていいはずだ。
(ただ独立に向け谷さんが最初に話した人物が彼とは限らない。呼びたいメンバー全員に「君にこそに最初に話すんだが」と言って誘ってそうだ)
【20.10.04追記:こちらは直接ご本人様から訂正頂きました。谷さんはまず彼を中心メンバーに据えた後了承を取っていく形で組織を作っており、原文でもそのようになっておりました。お詫びして訂正いたします。「谷さんならそうしそう」というぼくの勝手な思い込みの一文でしたが、改めて「谷さんの能力でもって彼を一番に選んだ」とした方が文章としても一貫性があり蛇足だったなと感じています。】

そしてそんな谷さんだからこそ、アンコントローラブルの代名詞である絵描きは最初から支配の及ばないものとして忌避していたのではないか。とぼくは思う。
ぼくがネトゲ戦記で一番不可解だったのが、彼が絵描きのマネジメントをしていたり、権利を守ろうと尽力していた点だ。なぜマネジメントされる側の彼が?と不思議だったのだが、これは彼が自分がして欲しかったことを実践していた、とするなら理解できる。彼は天才ゆえに、才能が理解されない辛さを知るがゆえに、才能をもつ者に対する敬意が人一倍高かったのだろう(彼は自分を裏切った後の谷さんにさえ、その才能においては一貫して評価している)。
才能に対する彼の共感と、谷さんの支配という考え方の違い。これが小さな亀裂としてあり、やがて両者の足場を崩すほど大きなものに育っていったのではないか。推測だが、彼にとって才をもつ者への軽視は自分への軽視として、谷さんとの間で引けない部分が多くあったのではないか。そしてそれが谷さんには理解できなかったのではないか。
「歴史にもしもはない」と彼は言う。だがそれでもここを取り持つ第三者がいれば、と考えなくはない。

この諍いを発端として、ネトゲ戦記は第三部の裁判編へと続いていく。裁判の結果は谷さんにとって、相入れない人間を追放したことの代償としてはあまりにも大きいものになった。谷さんの能力であるところの「目的のための許容」がなぜブレたのか。侮る相手が凡人であったならその反撃も並みであった筈だが、相手はかつて自分自身が規格外だと感じとった存在であり、規格外の反撃が来ることを何故予見できなかったのか。  彼を異物だと認識したからこそ、成功の可能性を感じたのではなかったか。 会社でのモノづくりは所詮チーム戦だ。天才以外の人間との折衝にも骨を折ったのだろう。ただ、目的を達し油断したのか、あるいは動く金の大きさゆえか、とにかく谷さんは将としてその采配を間違えたようにしか思えない。

「俺達、やろうな」という決起会の夜、個人の能力、思惑はバラバラだったとしても、ここでは確かに共通の目的のために盃を交わした男たちが居た。この言葉が、天才の記憶力の中でさえ夢のようにぼやけてしまっているところに、一抹の寂しさを感じずにはいられない。

第三部

第三部は天才が世間から逸脱する話だ。
裏切られた彼がその能力をフルに使い、大金を手にしてついに資本主義のくびきから解放される物語だ。

理を競う分野においてゲームの天才であるところの彼が「ゲーム」だと捉えることさえできれば、それにクリアまでの道筋が見えるのだろう。
ただ裁判だけは、最善手を打ち続けてたとしても最後のジャッジが他人に委ねられる。そして遅い方に合わせたスピードでしか進まないという裁判の性質は、彼が彼の人生で苦しんだ事そのものだと言っていい。誰も彼のスピードについてはこれなかったがゆえに発生した孤独と理不尽、そしてそこで起こる不和がずっと彼の人生の敵だったのではないか。理外の言い訳を並べるかつての仲間はまさにそれを象徴する過去の呪縛だ。才能の膂力が及ばない範疇で、天敵ともいえる内容の応酬を何年も行った、というこの文章は他の部と比べても彼のストレスと憤りがありありと見て取れる。(そして逆にぼくら凡人が天才を困らせるには凡人の領域に引き連り込めばいいのだなと学べる)
そもそもぼくがネトゲ戦記を読み物として面白いなと思ったのはここで天才がちゃんとピンチになってたからだ。天才が無双しましたという話だけでは起伏がない。苦難を乗り越えているからこそ読み物が持つカタルシスが増している。甚大なストレスと戦い抜き、彼は勝つ。和解を蹴るとこが最高にアツかった。

かくして彼は6億円を手に入れるが、彼の行動のどこに6億の価値があったのだろうか?それは退社勧告の次の日の行動、午前に弁護士に会いに行って午後に会社でのやりとりを録音をした、という点にこそあったとぼくは思う。
腰を抜かし記憶が飛ぶような裏切りと衝撃の次の日に、怒りと消沈、躁と鬱の間で、果たして自分にあの行動がとれるだろうか。どんなに頑張っても2~3日は寝込むか、出社できたとしても弱った小動物のような対応をしているところしか思い浮かばない。事件の直後に抗う覚悟を完了させ、その先の戦いを予見し味方を探し、敵さえも油断している間に武器を研ぐ。この感想の文脈に沿って言うならば、彼の能力は彼が精神のどん底の時でさえも機能し、その直観で未来を予感し最善手を放たせた。
ここでもやはりそう考えた方が面白いなと思う。
彼はよく自分を「主人公」だと称する時があるが、ここまでくると何となく意味が分かる。彼の直観能力は結果論でしか捉えられない理を超えたように彼への利益を誘導するだろうから、運に見える流れと集約する予定調和はまさに物語の主人公のようにも感じられるのだろう。

ネトゲ戦記は彼が勝利し大金を手にしたところで終わる。資本の獲得がスコアだとするならば、彼は裁判という天敵のラスボスをついに倒し、高スコアを叩きだして「現代社会」というゲームをクリアしたのだ。手にしたお金の力を使えばもう無理に他人の群で生きる必要はない。自分が納得する、自分の力が使える世界にいつでも行ける。彼はこの世界で自身の身をついに自由にした。彼の名前で検索すると彼がゲームに関するいくつかの特許を持っているのが分かるのだが、自称する現在の高年収も恐らくそれ絡みなのだろうとぼくは予想している。つまりこのクリアは既に資本を能力でハックしているという観点で一時的なものではなく、本当の意味で「上がり」になった事を示すものだと思う。 

天才がその所属に悩み、追放された先で困難と闘い勝利し、自由を獲得してあるべき自分になる。まさに「戦記」だ。三部構成のオチとして美しい着地点だと思った。(裁判終わってないが)

まとめ

凡人が天才と共生するのは難しい。
彼らはぼくらと同じ人の形をしているので「こちらの常識が通じるだろう」という錯覚を起こさせるが、実際は宇宙人だ。彼らの力を欲する、もしくは共に歩もうとする人は常にその錯誤に飲み込まることなく対峙せなばならないし、彼らの異能と狂気を、それもできる限り純粋な形で一般化(凡化)させるという矛盾をこなさなければならない。
谷さんの例を出すまでもなく、天才と共生できる能力(=プロデュース、マネジメントできる能力)はそれ自体がもう天賦の才なのだろう。
その意味で鈴木敏夫は宮崎駿に比肩する天才なのだろうし、川村元気だってそうだ。映画監督が晩年プロデュース業に回るのも、才能は別の才能でしかコントロールできないという側面があるのではないかと思うし、天才なのに作品が作れないクリエイターは共に並ぶ相方がいないという見方もできる。(物語と画面作りの天才だった癖にセルフプロデュースまで出来た深海誠は本当に異常で、ハンターで言えば別系統の能力二個同時にもっているようなもんだろう)
ネトゲ戦記はそんな、天才との付き合い方を考えさせられる読み物だった。

最後に

天才には仕事で何度も苦しめられているし、ぼくに天才をマネジメントする才が無い事も痛感してるが、それでもぼくは人の可能性を拡げてくれる天才が好きだ。彼らが生み出す異次元なものが好きだ。
彼は今婚活中とのことだが、彼の表向きのステータスや資産面ではなく、彼の異端を愛すことに特化(才能を持った)相手が見つかる事を祈ってやまない。それは同時にマッチング難易度の高さを表すし、「持続型異性わからせゲーム」であるところの恋愛は裁判と同じく一筋縄ではいかないだろう。だが彼があきまん氏との仕事で共鳴したように、ぼくも天才同士の共鳴というのは目にしたことがある。まさしく宇宙人同士の通話だが、仕事でも私生活でもああいうパートナーが見つかるのは幸せなことだろうなと思う。

戦争の天才だったナポレオンは、結局は秀才を集めた国に敗れてしまった。そういう歴史は山ほどあるし、きっと今もこれからもそうだろう。
彼が孤高にならないよう、彼に並び立つ才能を見つけるという「婚活」というゲームを、ぜひハックしてほしい。

そしてまたその物語を聞かせてほしい。そう思った。

感想のつもりが長いラブレターになってしまった。
という事でみんなも読もう、ネトゲ戦記。

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