戯曲『結婚挨拶』

舞台中央に背の低い机があり、上手側に新藤(30)と玲子(28)が座布団に座り、下手側に座布団が一枚置いてある。後ろには掛け軸がかかっている。机の上には急須と湯呑みが人数分ある。
新藤「やばい、緊張してきた」
玲子「大丈夫。お父さん優しいから」
新藤「(掛け軸見て)うちなんて」
玲子「気にしすぎだって」
下手から有岡(58)が登場する。
有岡「お待たせしました」
新藤「(立ち上がり)いえ、本日はよろしくお願いします」
有岡「どうぞ(座るようすすめ座る)……いやー、堅苦しくしたくないんですが、どうも緊張してしまいますね」
新藤「ええ」
有岡「……ご存じの通り、この子が中学のときに妻が亡くなりまして、私一人で育ててきたので、いろいろ至らない点あると思います」
新藤「いえ、玲子さんは本当に優しくて、その、おつきあいできて幸せです」
有岡「それはよかった。私も新藤くんの話は聞いていて、いい人だなと思っていたんですが、まあ、一人娘なんでね、私もいろいろ心配で、失礼と承知で調べさせてもらいました」
玲子「調べたって」
有岡「いわゆる興信所というのかな」
玲子「なんでそんなこと。こんな真面目な人いないよ」
有岡「たしかに、失礼なことをしてると思うよ」
新藤「いえ、大丈夫です。僕は人に恥じることだけはしてないつもりです」有岡「そうですか。特に経歴や交際で怪しい点はなかったんですが」
新藤「なにか、ありましたか」
有岡「新藤さんはあまり、地球に優しくないんですね」
新藤「地球、ですか」
有岡「ずいぶん地球環境に対して厳しいなと」
新藤「すみません、よくわかってないんですが」
有岡「わたし、環境問題のNGO入ってましてね」
新藤「あ、玲子さんから聞いています」
有岡「環境問題は地球に生きる人間皆が責任をもって取り組むべき問題です」
新藤「ええ、そう思います」
有岡「しかし、報告を読むとですね、たとえば7月28日、スーパーで冷やし中華を手前のものではなく、賞味期限が遅い奥の方からとってますよね」新藤「えっと」
玲子「いつも言ってるよね、フードロスをなくすために日が早いものから食べようって」
新藤「あ、そういうことか、すいません」
玲子「わたしと買い物するときは、絶対そんなことしないのに……」
有岡「だからまあ、誰にだって裏の顔があるってことだよね」
玲子「ショックだよ」
新藤「ごめん」
有岡「その日はしかも玲子を驚かせてしまうけど、一緒に牛肉も買ってるんだよ」
玲子「うそでしょ」
有岡「牛は温室効果が高いメタンガスのゲップをするのに…」
玲子「ハンバーガー1個つくるのにトイレ6か月分の水を消費するのに…」新藤「あの、玲子さんからそういう説明を聞いて控えてたんですが、ボーナスが出たので、つい」
玲子「つい? そのついで、どれだけ地球の緑が失われてると思う?」
新藤「ごめん」
有岡「8月20日、マイボトルが壊れてしまったのかな、そうだと信じたいけど、その日からペットボトルでお茶を買うようになっているね」
玲子「どんだけゴミを増やすの」
有岡「玲子」
玲子「でも、こんなのあんまりだよ」
有岡「私だって目覚める前は地球にずいぶん厳しかった。でも目覚めてから、地球人としての自覚をもってから変わったんだ。残念だけど、新藤くんはまだまだ眠り込んでいるようだね」
新藤「そう、ですね」
有岡「わたしはね、地球に優しくない人は人にも優しくないと思ってしまうんだ」
新藤「いや、そういわれると実際そうなのかもしれません」
有岡「ペットボトルを買う人は女性もとっかえひっかえすると思ってしまう」
新藤「そんなことはしないですけど」
有岡「でも思ってしまうんだ。牛肉を食べる人は女性を水責めして興奮する男だと思ってしまう」
新藤「それはだいぶ遠くないですか?」
有岡「でも思ってしまうんだ」
玲子「そういう動画見てるの?」
新藤「見てないよ」
有岡「玲子をおぼれさせないでくれ」
新藤「いや、そんなことしませんから」
有岡「……大変残念なんだけど、今の意識の低さの新藤くんではとても玲子との結婚を許すことはできない」
新藤「あの……僕勉強します。お話を聴いて、玲子さんやお父さんが大事にする価値観を大事にしたいと思ったので、勉強して変わるので」
有岡「そうみんな言うんだけどね、続かないんだよ」
新藤「いや、僕は違います。必ず変わります」
玲子「お父さん、今まで出会った中でいちばん真面目な人なの。信じてあげて」
有岡「……そこまで言うなら、半年後テストをしようか。SDGSの認定資格や環境破壊を進める資本主義社会を是正する経済理論などから私が独自に問題をつくる。それに95点以上答えられたら、玲子との結婚を認めよう。それでいいかな?」
新藤「はい、お願いします」
暗転。
新藤の声「それから僕は必死で勉強した。勉強すればするほど、自分がいかに何も知らなかったか思い知らされた」
チャイム音。
新藤母の声「新藤の母ですけど」
明転。舞台は先程と同じ。有岡に続いて新藤母が上手から登場。
有岡「とりあえずおかけください」
新藤母「(立ったまま)息子がぐれた」
有岡「え?」
新藤母「息子がグレタトゥーンベリみたいになって、会社やめたよ」
有岡「え」
新藤母「真面目すぎるから、一線を越えたんだよ」
有岡「いや、グレタはすばらしいですよ。みながグレタみたいになれば世界は変わりますから」
新藤母「ゴッホの絵にトマトスープ投げても?」
有岡「え?」
新藤母「息子はあれを日本人でやった最初の人になったよ」
有岡「まああれもちょっと過激だけど、でも環境問題の啓発のために」
新藤母「息子は言ったよ、環境問題最大の敵は人間なんだって。だからって反出生主義? 子どもつくるなって政党を立ち上げたよ……少子高齢化なのに」
有岡「……」
新藤母「孫の顔だって見たかったのに(泣く)」
有岡「それはさすがにいきすぎというかね」
新藤母「全部あんたのせいだ。環境に厳しいとか見下して。それであの子は苦しんで、必死になって勉強して、わたしの声が届かない世界にいっちゃったよ」
有岡「……」
新藤母「何様なんだよ」
暗転。
明転すると新藤は汚いランニングに短パンで座っている。隣には玲子。向かいには有岡。
有岡「(紙をもち)正解。全問正解」
新藤「簡単すぎて笑っちゃいましたよ。もっと難しい問題ないんですか?」有岡「いや」
新藤「それにしてもずいぶんいい家ですよね」
有岡「あ、ありがとう」
新藤「僕は今、1部屋16人のシェアハウスに住んでます」
有岡「そんなとこあるの」
新藤「いやー、この暮らしで地球に優しくするってずいぶん簡単ですよね。あ、趣味でNGOやってるんでしたっけ」
有岡「ちょっと失礼じゃないか」
新藤「純粋に疑問で。あ、知ってます? 玲子さん、冬場はエアコンつけっぱなしで寝るんですよ。思わず殴りそうになったんですけど、そこは人にも優しく、エアコンの方ぶっこわしました」
玲子、泣いている。
新藤「結婚の話ですが、こちらからお断りします」
有岡「え」
新藤「金持ちの遊びで環境保護やってる人間といっしょにいたくないんで」有岡「新藤くん、ちょっとやりすぎなんじゃないか」
新藤「は?」
有岡「人間らしい暮らしを忘れてないかな」
新藤「……いい掛け軸ですね。これ買うお金でどれだけ地球が救えるのかな」
有岡「だからなんでもそういうふうに」
新藤「おっと偶然トマトスープがあった(ポケットからトマトスープを出して立ち上がり、掛け軸の前に向かう)」
有岡「(掛け軸をかばい)やめてくれ!」
新藤「(けたたましく笑う)必死。あなたが守りたいのは地球じゃない、環境保護やってますという優越感でしょ」
有岡「……」
新藤「地球の恵み、おいしく召し上がってください(トマトスープ缶渡して上手にはける)」
娘は泣きながら下手に去る。
有岡、呆然としたのちスマホを取り出し、
有岡「注文したいんだけど、あのね、ローストビーフ丼、あとね、牛肉の料理なにがあるかな、あ、それを全部うん、いますぐ持ってきてほしい。数? 店にあるだけ。いやほんとに……食べれなかったら捨てればいいじゃない」
                               (了)

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