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『存在のすべてを』塩田武士

1991年冬、厚木市で男子少年が誘拐された翌日に、横浜市で男児が誘拐された、異例の二児同時誘拐事件。前者の少年は間もなく発見されたものの、後者は身代金の受け渡しに失敗し、しかし約3年後にその男児はふらりと戻って来ました。それから30年を経た今、あの被害男児は今や、気鋭の写実画家となっていたのです。当時事件を取材していた新聞記者は、謎だらけのこの事件を再検証すべく、関係者を訪ね歩くに従い、予想外の事実が明るみに出て来ます。

非常に面白いストーリーでした。登場人物が多くやや消化不良気味になりますが、この著者らしい巧みな話の展開にぐいぐいと引き込まれてしまいます。

この物語は画壇を舞台にしていて、その内にある醜悪なる実状も明らかにされます。すなわち、美術組織での浅ましい権力闘争や、師弟関係による理不尽な束縛、写実絵画のように時流に合わないものを排除する風潮など。この残念な一面は、純粋に美術を楽しみたい我々一般人には幻滅となるでしょう。

また、今でこそネグレクトなどと話題になる育児放棄の問題も、物語の背景になっています。これを含めて、血縁関係が往々にして他人同士よりも厄介なものであることは、私自身も含めて身に沁みている人は多いでしょう。

年代や登場人物が複雑に入れ込んだ構成になっている割に、終盤にまとめて種明かしされていまうのは、少々雑な気もしないでもないですが、しかしその分だけ中心人物たちの心の動きが集中的に伝わって来ました。そして、最後の場面は心地よい余韻を残しました。

[2024/05/30 #読書 #存在のすべてを #塩田武士 #朝日新聞出版 ]

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