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『傲慢と善良』辻村深月

ようやく結婚を決断し、都心での挙式まで半年ほどの三十代の二人。しかし突然、婚約者が失踪し音信不通になってしまいます。彼女が以前ストーカーらしき男に怯えていたことから、彼は男の関与を疑い、彼女に関わりのあった人々を訪ねて、彼女の郷里である群馬に向かいます。次第に浮かび上がって来たのは、過去の彼女が無自覚に強いられていた生き方と、彼女をめぐる予想外の事実でした。そして後半は一転して、彼女の側の視点から同じ時系列をたどることで、事の真相が明らかにされます。更に、失踪後の彼女が経験することになる意外かつ数奇な道のりへと、物語は続いて行くのです。

私にとって、物凄い小説に出会ってしまった感があります。あまりにも引き込まれて、どうにも途中で止められなくなってしまい、500ページ近い作品なのに数時間で読み切ってしまいました。

テーマについては敢えて書きませんが、私自身もかつて完全に経験があることであり、自分が当事者であった頃の、悲しみや苦しみや不安や失意や際限ない後悔が、どうしようもなく頭の中を駆け巡り、何度も不意に涙が出てしまっていた程に動揺させられました。勿論シチュエーションは同じではないにせよ、我が身を振り返ればすっかり心当たりがある所は随所にあって、身につまされる思いがしました。まるで当時の自分のことを分析されているような気さえして、こうした状況にある人々の心の内を、本人が認識している以上に微に入り細を穿って詳らかにしてしまう、著者の力量に畏怖の念を抱きました。

彼女にとって、それまでに経験した心苦しい記憶の一端が、意外にも彼女の大きな転機の発端となったことは、大きな救いでした。そして、それぞれの自省を糧に、決して容易ではない前途を選択した主人公二人の姿には、落涙を抑えられませんでした。

個人的なことを差し置いても、物語として驚くべき展開のサスペンスであり、現代の急激に多様化する価値観の狭間で自分自身を見失う人々の苦悩を浮き彫りにする、傑作だと思います。読了してみて、この謎めいた表題の意味深さを認識させられた一方で、このカバー装画だけはどうも好きになれないです。

[2024/03/23 #読書 #傲慢と善良 #辻村深月 #朝日新聞出版 ]

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