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中夜祭を終えて

高校1年生の8月、オープンキャンパスで応援部に入部することを決心した。そして10月、早稲田祭で絶対合格することを自分に誓った——。

ラストイヤー

自分の早稲田内でのキャリアは特殊な自覚がある。早稲田大学応援部を4年間やり切ってから中夜祭実行委員会に加入した。まず、応援部の出身者が入ることは通常あり得ない。なぜなら、体育各部の4年生はそもそも引退代ではなく現役だからだ。そして、早慶戦と早稲田祭が被る確率が高いことと応援部の活動量が多いことから現役4年が中夜祭実行委員会を務めることは不可能である。
それに、毎年どこかで誰かによって発足している組織であり、入りたいから入れる団体ではなく、誰がやっているかが情報が入るかも怪しい。が、応援部に魂を注いだ結果、大学にもう1年通うことが3年生の時点で確定していたこと、然るべきタイミングで人との出会いがあった結果、中夜祭実行委員会の話が舞い込んだ。

高1以来早稲田祭にろくに触れておらず、中夜祭という単語を知らなかった。後輩への出演オファーと勘違いして、応援部に流そうとした。が、早稲田祭1日目に隈ステで大トリ企画をする団体の運営であるとの説明を受けて、早稲田らしくてええなあと特に後先考えずノリだけで加入を決めた、2月。応援部として、体育各部出身者としてもおそらく初の中夜祭運営メンバー誕生である。早稲田5年目、早稲田愛の集大成として奔走する日々がここから始まった。

別世界?

正直、サークルの人とは縁がないと思っていた。勝手に自分のなかで別の世界の人だとカテゴライズして生きていたし、そもそも繋がりがなかった。ましてや、仲良い人ができる環境にいなかった。応援部の生活だけで必死だった。

「この光景みたことあるーー?!」
氣合ぶつけまくっていました。

応援部の人間としては、執行委員代では学生誘導対策責任者を務め、観戦ツアーを立ち上げたり、クリエイティブを学ぶ組織を部内につくったり、早稲田の街の方々や体育各部のみんな、六大学応援団のみんなと繋がりをどんどんつくって、後世にバトンタッチして、終いには自分たちの早慶戦ポスターをつくって早稲田中をジャックするなど、とにかくやり切った自信がある。

自分が最大限に活躍できる場所で、早稲田愛を体現したことに満足していた。
が、早稲田祭に関わりはじめて、自分がみていた世界の狭さにやっと気づく。そもそも、中夜祭実行委員会が立ち上がったときも、出演団体や演者にオファーをかけるときも、知り合いが1人もいない状態だった。私は、早稲田でも早稲田の街でも顔が広いつもりだった。それはつもりという言葉が正しくて、出演オファーが叶った応援部の下級生以外は、130人超の出演者の顔すら知らないままスタートした。(そもそも、私の同期は普通に大学を卒業していた)(警備員2「ここ笑うところだぞー!ここー!」)

運営メンバーも昔からの知り合い同士が多いなかで、実は私は1人も知らなかった。2月に中夜祭実行委員会のメンバーとなるみんなと、「はじめまして」の会話をした。もちろん、はじめての出演団体との顔合わせや、大規模なエンディングの練習でも私1人だけ、誰とも昔からの会話ができない状態だった。最初は雑談しようにも目の前にいる子が誰かもわからず、運営メンバーが誰かと話しているところを横でニコニコ見ていたり、なんとなく徘徊していた気がする。
そんななかでも回を重ねていくごとに、話しかけてくれる子がいて。1人つながると1人またつながってという日がつづいて。顔をあわせると会釈するようになって。話したことがあってもなくてもたっくさんの出演者のみんなの顔と名前を覚えられた。決起では当日の放研のオペ隊までお話できて、中夜祭をつくりあげるみんながどんどん愛おしくなった。中夜祭BeRealも何気に交流の場だったと思う。(スペシャルサンクス男祭りのみなさん!)

はじめて人がこんなに集まった日!
ハッピーハロウィン♪
バンカラ多め。真顔。
あと1日!リハ向かう前に!

そんなこんなで知り合いがふえるとどんどん楽しくなって、熱量や愛おしさが加速する一方終わりの日はどんどん近づいていた。中夜祭に入らなかったら、さまざやなパフォーマンスサークルや企画団体、放研運スタの個性と魅力に気づかないまま生きていた。関わってみると、実は境界なんてそんなになくて、みんな情熱をもってそれぞれかける想いがあって一生懸命に何かに打ち込んで、誰かのために自分のために頑張れる仲間だったことを知った。
ほんとうに個性豊かな学生たちに溢れていてカルチャーが数々存在して、それが大っきく包括して早稲田らしさになっているんだなを肌で理解した。応援部を通して経験した早稲田、そして中夜祭を通して経験した早稲田ががっちゃんこして、大きな大きな括りでの早稲田を体感した。これは、とっても気持ちよかった。唯一無二の経験だったと思う。
願いとしては、早稲田祭と早慶戦がかぶらない限り、これから中夜祭をはじめ早稲田祭と応援部の縁が続いていってほしいな。また、この経験をもって、外でも本気で何かに命燃やしている仲間が同期にたくさんいることを知って生きていってほしいなと。これは応援部だけではなくて、サークル同士でも言えること。ここでのつながりをここだけで終わらせてほしくなくて。早稲田愛を深く知るもの同士として、応援しあえる仲間を大切にしてほしいなと思います。少しでも、中夜祭がそんな場になれていたらなあと思う。

同期(?)という文脈でも、早稲田祭1日目、4でもでこんなに名前叫べる人がいることが嬉しかった。私!幸せ!そう思った。4でも絶叫委員会楽しかったっす!

甘えまくりでした

中夜祭実行委員会2023のみんなは、とにかく優しい。寛容。かつ自由。で、真っしぐら。みんな強みが良い意味で全然違って。7人が良いバランスでお互いを補完し合っていたと思っている。
中夜祭運営決起で富士山登頂に連れて行かれたときは、マジかよと思った。シンプルに意味がわからんとキレてた。登っても、地獄だった。けど、今思うと富士山くらい登っとかなきゃだな、と中夜祭と規模感の一致を覚える。大正解の決起。

山登りが辛いことをこの時はまだ知らない。
7人全員で登ることに意味がある。
頂上!

5年目がこんなに楽しくなると、早稲田にどっぷり浸かれると思っていなかった。こんな学生らしい日常はもうないと思っていたし、現役でいられることのありがたさを痛感した。何回わっしょいに行って、もちだに行って、ぷらんたんに行って、馬場歩きして、学館で会議室取って、ダブスペにいたんだろう…。この日常がぱったり止むことにまだ慣れないや。
今まで、みんな、ありがとう。大好きよ!

企画統括の地元(広島)夏合宿でオリシャンget

ブレイクスルー

この期間を経て学んだこと・考えを改めたことは、身内ノリこそ至高ということだ。
最初はハタからみて面白そうではない、先代向けのパロディ・深夜に思いつく悪ノリ・何人に伝わるかわからない内輪ネタで企画を進めることを、めちゃくちゃシャバいと思ってた。
なぜなら、中夜祭を見る人って実際に私たちと強いつながりをもつ関係者よりも、はじめて早稲田祭を訪れる受験生や、中夜祭目当てではなく単に帰りがけの一般学生が大半を占めているはずだからだ。
せっかく大きな舞台をもらったんだから、みんながみて気持ちいいと思うさわやかなパフォーマンスをするべきだと考えていた。(実は大隈記念ダービーがあの形になるまで紆余曲折ありました…笑)
が、実際にコンテンツが出来上がっていくなかで視野が狭かったなと気付かされた。
面白いと信じて本気でやっているやつがいるからこそ文化は文化として尖っていく。
熱狂してる奴が熱狂するほど周りの人たちもその熱狂に参加したくなって大きな輪になっていく。
だから、真ん中にいるやつが心からまずやらなきゃ芯も一貫性もないフワフワした企画になってしまう。
そんなわけで、実は客観的な視点を気にしないことや自分の感覚を突き詰めていくことが結果としていっちゃん面白くなるコツなんだと、強く強く考えさられた。

今後の人生を通しても、熱狂のど真ん中でありつづけたいな。
それと、自分は早稲田で本当に良かったと心から思った。私の大学人生は、早稲田以外考えられないや。 

改めて、当日ご観覧いただいた皆さま、130名の出演者の皆さま、50名の放送研究会・運営スタッフの皆さま、協力していただいた各団体の皆さま、この中夜祭の開催を支えてくれた皆さま全ての方に、感謝申し上げます。

私たち中夜祭実行委員会2023こそが、”たぬき”である皆さんに支えられて、無事成功に繋げることができたと思っています。

きみの隣にいるだれかも、「たぶん、たぬき。」

中夜祭2023があなたの思い出の1ページとなりますように。みんなの早稲田でのこれからの活躍を期待しています!

なんで「たぬき」なのか?オチはフルで!

<この期間を経て覚えた用語>
8凸…8時に学館に行くこと
とやぱ…戸山公園
じゃぶ池…学館側とやぱ内に存在する場所の目印となるもの
サンクチュアリ…大学管轄外の私有地のため何してもいい場所(asics前芝生)
隈前ステージ…大隈講堂前のステージ
隈前飲み…大隈講堂前に座って屯うこと(応援部の名残からか行為に抵抗があり最後まで参加せず)
ダブスペ…スタバ前のこと
連鎖…ベアーズでいうダダダロール(ダダダロールのほうが謎)
人間(下駄用語)…卵のかたち
香盤表、CUEシート…進行で必要なものたち
差し入れ…前日にお世話になった人たちが来てくれる文化
魂の〇〇…なんか魂込めるときの前置詞
押忍…男祭りの押忍。押忍は押忍。(お前押忍だな〜という会話を夏まで雄と脳内変換していた。反省。)
しゃー…振り返って、しゃー!これやってみたかったな、応援部にはなかった

私の愛おしい日常でした。中夜祭運営の7人。
色紙とお花!出演者のみんな、ありがとう!

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