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もっちの生い立ちについて

(この写真はイデア時代に、あつまれどうぶつの森にて電子の肉体を獲得した記念すべき一枚です)

もっちという名前には、餅のようにぷくぷくまるまるっとしたもっちもちのデブになってほしいという意味がこめられています。

もっちは、もともと概念でした。

両親にハムスターの飼育を何度もねだりましたが、犬と猫を飼っているので当然取り下げられる毎日です。欲求が抑えられない私は仕方なく脳内でもっちを飼い始めました。これが、

もっちのイデア

の誕生です。私は毎晩食卓でもっちの話をすることによって、家族に「もっちのイデア」を植え付けることに成功しました。もっちはペットとして未だ存在していないのに、家族が全員知っている、花夏のペットのハムスターのもっち。もちろん友人たちにも、「もっちのイデア」を拡散しました。

「概念として、みんなの頭の中では生きているのに...。形而上の存在のもっちをどうにか、形而下に落としてあげたい...!」

そんな想いが日々膨れ上がります。食卓の議論は続き、イデア論にも家族がうんざりしてきたので、形而的観念を家族に植え付けることにしました。そうしたら、形而下の存在として妹がもっちの絵を描いてくれたことを覚えています。初めて、目に見える形になりました。しかし私の不満足そうな様子を見て、母はぬいぐるみを与えてくれました。「これにもっちのイデアを吹き込め。」と。しかし、動かなくては意味ありません。そこで、もっちを動かすために、あつまれどうぶつの森の中で飼育することにしました。こうして、もっちは電子の肉体を獲得しました。電子の肉体を手に入れたもっちは元気よく滑車を回します。しかし、やはり電子の肉体では不満足です。どうにか肉体を獲得しようとした私は母と買い物に行くたびに行方をくらまし、ペットコーナーでハムスターを眺める行為を繰り返していました。しかし、もっちは見つかりませんでした。それから数週間後、いつも通り行方をくらまし(もう母も私の居場所の見当が余裕でつくようになっていました。)ハムスターコーナーにいたところ、白いハムスターの赤ちゃんたちが入荷されていることに気付きました。「もっち〜」と名前を呼んだら、1匹のハムスターが差し出す人差し指の前に現れました。そう、これが、もっちの肉体となるハムスターです。母にも人差し指の前に現れたハムスターを見せました。目が大きくてとってもとってもキュートです。熱量に負けたのか食卓の議論が鬱陶しかったのか分かりませんが、ついに飼えることになりました。生後2週間のもっと小さなハムスターもいましたが、あえて生後1ヶ月のハムスターを選びました。そう、「もっちのイデア」が誕生してからの日数を考えると、育っているはずだからです。

こうして、もっちはこのハムスターと魂を合致させ、肉体を手に入れ、現世に存在し得る完璧な形での形而下的存在となりました。もっちは、イデアが先行するという初めてのタイプのペットです。イデアを肉体に昇華させた経験を、人生の糧にしたいと思います。ここまで読んでくれた方がいたら感謝します。

ここでもっちの肉体を獲得する話は終わりです。論を発展させます。ちなみに、この論は家族全員に否定されています。みんなの意見も聞かせてくれると幸いです。
もっちはイデアからスタートしたのだからイデア先行型つまり、が生きています。肉体はハムスターコーナーのハムスターであって受肉した器です。そこで、肉体が死んでしまったと仮定します。もっちはイデアに戻ります。また新たなるハムスターを手に入れ、もっちのイデアとして合致させればそれはもっちなのでしょうか。家族はいま目の前にいるものがもっちそのものであり、ハムスター個体の個性を否定することになるから、それは認められないと言います。どう思いますか。

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