ロンドンの話①街の話
1月にヨーロッパの4カ国8都市(数え方によっては10都市)を周遊し、まあ毎日が刺激的だったわけだが、ロンドンの話をいまだにまとめられずにいる。
旅程における順番とか、天気とか、タイミングによるものも大きいだろうが、とにかくロンドンが好きだった。
イタリア→フランス→イギリス→フィンランドの順に回り、パリからの夜行バスでロンドンに着いたのは日本を発ってからちょうど2週間後の朝4時だった。
朝4時。
若干雪のような雨も降っていたし、朝4時に所謂女子大生が1人で街をうろつくことに抵抗はあったが、とりあえず荷物を置きたい、とか、少しでも暗い場所で仮眠をとりたい、とか、そういう願望を叶えるには、明るいバスの待合室よりはホステルのロビーがいいように思われて街へ出た。
バスはすぐに来た。
バスの運転手さんは勝ち気な黒人女性で、チケットを買えるかを尋ねたらハァ?としかめ面をされ、Card!と言われた。(バスの乗り方も調べずに単身乗り込むとは、今書いていてほとほと呆れる。あの運転手さんに謝りに行きたい気分だ。つまりロンドンに行きたい。)
まさかとは思いつつもクレジットカードを出してみたら、そうそうそれそれという風なので、驚いた。ここではクレカタッチでバスに乗れるのか!イタリアではバスに乗るにはタバコやさんに行ってチケットを買い求めなければならなかったし、パリの地下鉄では当たり前のように改札を飛び越える人がいた。ロンドンに着いて30分もしないうちに、イギリスがEUを抜けた理由を理解した。
乗り換えもしたが、運賃は200円に満たなかった。
夜がまだ明けない乗り換えのバス停で2、3人がそばを通ってどぎまぎしたが、無害そうなお兄さんとレズカップルだったと記憶している。
なんとなく、ここは東京だ、と感じた。いい意味で、誰も私に関心が無さそうだった。
さて、私がロンドンの虜になったのはそのシステムの先進性によるのみではない。最先端の新しさとオーセンティックな古めかしさのみごとな融合がそこにはあった。そこへキッチュな雰囲気も混ぜ込んで、でもそれに飲み込まれることは決してない。これが私の見たロンドンである。
このようなことはロンドンにおける万事について言えると、あえて断言させてもらおう。
たとえばバス。
バスの乗り方の先進性については前述の通りだが、これらのバスには読み終わったら戻してね式の新聞が置いてあった。そう、新聞が!
(先ほどから劇画調の口上だが、これは今読んでいるレミゼラブルの西永訳に大いに影響を受けている。このままロンドンについて語っていけば、レミゼの話もすぐにすることになるだろう。この但し書きの語り口もユーゴー風である。)
そしてこの赤くて押しやすいボタンは、押すとチンッと本物のベルの音がする。本物の、と言ったが、本物なのかは分からないけれど、とにかく、物理的なベルの音がするのだ。それがかわいい。
「押しやすい」とわざわざ書いたのにも理由があって、イタリアだったかフランスだったかのバスのボタンは押せているのかいないのかよく分からないフラットなボタンだったのだ。ボタンはボタン然とするべきなのだ、ボタンなのだから。
降りたい駅の前でボタンを押すというバスのシステム自体がとろまな観光客には戦々恐々ものなのに、そのうえ押せたのか?押せてないのか?どっちなんだい!?という不安まで課せられては重荷が過ぎる。
さて、一つ目の例で話が盛り上がりすぎてしまったが、実際にはまだ例を挙げることができる。
たとえば、建物。
なんでこんな写真しかないの?という質問には、このように答えることができる。たぶんもっと良い写真はあるのだが、探すのが面倒であり、その上、もっと良い写真がない可能性もありその場合骨折り損になるので、リスクヘッジを行ったため。
この写真で私が伝えたいのは、「石造とガラスの素敵な関係」である。
大通りに面した建物は一階部分がガラス張りになって統一感と透明性を演出している。この透明性が街の治安にとって重要である。イタリアで見たような堅牢な門扉たちの並んだ街並みは、観光する分には格好良いが住むにはおそろしすぎる。
大体全てがリノベーションであると言っても過言ではないのではないだろうか?
ガスタンクの跡地。ガソメタシティかと思ったらそれはウィーンだった。要はガソメタシティの亜種だが、歩いていたら急に出会ったので大変感動した。横に運河があり、この辺りをのんびりと歩くことに30分ほど費やした気がする。
この橋はゴリゴリの鉄骨だが、ロンドンという街の雰囲気を守るためにこのように石を貼ったそうだ。たしか女王の意見で、ということだったが、街の統一感を守るにはトップダウンの流れが不可欠であることを思い知った。
右はきっと新築だが、のっぺらなカーテンウォールのビルではない。
この写真の本題は奥の建物で、ヨーロッパに来てから建設中の建物を久しぶりに見た気がして思わず撮ったが、別にそんなことないやろどこでも絶賛建設しとるわって感じならすみません。
異素材の妙が、あらゆるところに見られる。
新旧の融合と熱く語った意味が分かっていただけたのではないだろうか。
もう一例だけ。
たとえば、道路。
たまに街を走っているドンチャラカーについても触れておきたい。というのも、ここに他のヨーロッパ都市と一線を画す重要な側面を感じたからだ。ドンチャラカーというのは私が今勝手に名付けた、少しわかりにくいが下の写真のようなものである。やたらとカラフルで安っぽく光り輝いている、観光客向けのほぼ人力車(自転車)のようだ。
こういう安っぽさで街が溢れたら辛いものがあるが、一種のアクセント、スパイスとしてとてもいい味を出しているように感じた。前を通ると思わず、ウフフ、楽しそうですわねとなる。
恥ずかしながら、ロンドンが人種のるつぼというイメージがあまり無かったのだが、伊→仏を経てロンドンに入るとそのインド系、アジア系の多さに気づく。アメリカ系も。(もちろんここでは観光客風ではない人々について話をしている。)パリに着いたときはアフリカ系の人が多い印象を受けたが、ロンドンでは何系が〜とか言っていられないくらい多様な人種が共生しているように見受けられた。このことも、私にロンドンと東京の類似性を感じさせた。
そう、ロンドンはより私好みの東京だったのだ。無論東京にあってロンドンに無いものもあろうし、東京には自分が育った街だからこそ気づかない唯一無二の良さもあろうが、東京という街はあまりにも煩雑で混雑していて猥雑である。
「東京は雑然としていて美しくないからヨーロッパのような美しい街並みを目指すべきだ」という議論は為され過ぎてもはや為されない議論だが、ローマやフィレンツェのような堅固な歴史都市を目指すことはできないし目指す必要もない。パリのように気取って浮浪者を生むべきでもない。東京の雑然とした好き勝手な訳分からなさはそれはそれで魅力だが、ただ、ロンドンを見て、街の統一感と街の溢れんばかりの活気は両立可能であることを知った。
ロンドン……。終の住処にしたいとまでは言わないが、一度は住んでみたい…いや、終の住処の候補の一つにさせていただきたい。
最後に、ロンドンカラーを添えて。
日本の都市にはカラーがあるのかしら?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?