見出し画像

往く日々と夜(15)(R18)

第十五章 温泉旅行(下)

作者MiyaNaoki 翻訳sekii

昼頃にホテルに着いて荷物を置いてから、二人は浄蓮の滝まで行ってみるつもりだったが、途中で時間がかかって、それに情けを交わしたあげく、お腹がすいてきたので、ラーメン屋で昼食をした。緑に覆われた水気のよどんだ山道を辿り、宿に着いたのは午後三時過ぎで、ちょうどチェックインの時間になる。
城戸が選びに選んだ旅館湯本館はまさに『伊豆の踊子』が書かれた場所で、川端が泊まっていた部屋が今も当時のまま保存されている。玄関に、手稿が刻まれる看板があり、玄関に入って、すぐ古い階段が見られる。世の讃頌と褒美をたくさん得ても、思いきってこの世を去ったこの作家はその部屋にいて、豊かな髪と美しい顔のあるお嬢さんのことを想っていただろう。
階段側の壁には、そこで撮影された古い映画のスチール写真があり、川端の昔の写真や原稿も少し陳列されている。思えば川端の名声が高かったはずなのに、意外にも温泉の訪問者が少なく、まるで現世から忘れ去られたかのようで、そこからも純文学の今日の日本においての衰退もわかる。
木島は川端のめずらしく嬉しそうな顔をした写真の前にしばらく立っていた。おそらく、それはこの狭くて古い旅館に二、三人の友人と集まって春先の陽を浴びている場面かもしれない。そんな哀愁深い人でも、心を開き、安らかに笑うのは想像しにくい。
予約した部屋は二階にある。濡れ縁に立って見ると、木々に覆われて川は見えないが、せせらぎは絶え間なく聞こえている。しだいに傾いてくる夕日が、黄と緑の葉の上に落ちて、うっそうとした林の間に、きらきらと光の輪を描いて、まるで少女の眼のように活気がある。
城戸はやさしい顔つきをしている女将と夕食の献立を決め、温泉入りのことをきいて部屋に戻る。木島がすでに浴衣に着替え、卓袱台の前に正座して書いていた。背筋がぴんと伸びているが、堅苦しさはなく、襖に向かって柔らかい逆光に包まれていた。城戸はそれに見とれていた。さすが気の澄んだ人で、あまりにも昔の文人らしく、この古風な建築の風物によく似合っていると、内心ひそかに嘆く。
どういうわけかわからないが、気がつくと、城戸はスマホを手に取り、木島の様子を撮影していた。木島は音に驚いたように振り返り、彼を見ると笑みを浮かべた。
「もう二日…お休みにならないか…」
城戸は、崇拝するような気持ちになり、口調まで慎重になり、思わず敬語になった。
急に尊敬されるようになった木島は、戸惑ったようだが、特に気にはしなかった。彼は軽く腕を動かし、自分の端麗な筆跡を見つめる。
「このまま書かないと、書く感覚を忘れてしまう。日記でも書いてみる」
「そうね」
城戸はわざと少し距離を置いて卓袱台に座った。木島には覗き魔だと思われたくなかったが、木島のおっとりした様子を見ていると、気になって仕方がなかった。
木島は城戸の気持ちを察したように手帳を彼のほうに向けた。
「特に書いてないよ。思いついたことを書いているだけ。何しろここは川端が本を書いているところだから、何か思い出したり、感じたりすることがあるから」
城戸はその数行を黙読した。最初は川端の泊まった部屋に掛けられていた有由有縁という掛け軸だ。それを見たとき、感慨深かったが、木島も同じ感想を持つのを知って、川の流れる音がますます美しく聞こえる。
「万事由緒あって縁あると自分に言い聞かせておけば、より冷静に物事を見、精神の静寂を知ることができ、余白を残し、心の隙間を開けずに物語を語ることができる」
目の前の文字を木島によって読み上げられると、妙に城戸の心に響く。城戸はふと、文学部にいた頃のことを思い出した。
「実は、川端康成を推したのは、文章の面だけから見るわけではないんだ。太宰治も文豪で、独特なところがあるが、当時は柏木君と議論になったのも、向こうは川端が世から離れすぎて、僕は太宰が社会に関わりすぎると思ったからだ。要するに形而上的な議論だったね」
木島は考えごとをするように廊下の外を眺めていた。その頃は、ただ文学に没頭さえすれば、時間が素早く経つのを忘れた。
「そういえば……木島を支持したのも、太宰よりも川端のほうが偉いと賛成するわけではないよ。実は、文学は比べられるものではないと思うから」
城戸は、これからの自分の言葉がふさわしいかどうか迷った。
「比べられるもの…ではない?」
木島は眉をひそめて城戸を見た。疑わしげな口調だったが、その鋭さは城戸の平然とした視線の中で、しだいに緩やかになり、最後には感嘆の声に変わった。
「比べなければ、好き嫌いなんてどうやって決めるか」
城戸がその絶妙な言葉に舌打ちしていると、木島の質問が追いかけてきた。
「じゃあ、どうして僕の味方になったか?」 
「言ったでしょ。お前の作品、お前の才能が好き…それに、柏木君に毒舌ぶりを見せているところ…も好き」
城戸はほっとしたように、平然と言った。
木島は「好き」の二文字にどぎまぎしながらも、「毒舌」の二文字に不満を抱き、城戸を睨みつけていたが、城戸の笑みを含んだ穏やかな視線の中で、次第に怒りが消え、笑みが浮かんできた。二人は午後の柔らかい風と、せせらぎの中で顔を見つめ合っているうちに、わずかに熱い空気が動き始めた。
ゴホゴホと城戸は喉がからからになり、咳払いをして立ちあがり、押入のところへ歩き、浴衣に着替えた。
「暗くならないうちに温泉に入ろう。ここの露天風呂は、最高だそうだ」
「そうだね」
木島は城戸の滑らかな背中にちらりと目をやり、ついに自分の熱くなった頰を撫でた。何を思っているだろうと、自分の動揺を恥じた。木島は急いで身を屈めて、さっきの会話をもあまりまとめずにとりあえず書き留めた。日記を書くのはもうずいぶん前からのことで、毎日メモをとっている言葉や息を飲む理由、心がぼんやりしている瞬間はすべて城戸に関わる。それは凶兆だなと木島が落ち着かなく、日記を閉じた。
老舗の温泉は、ところどころ昔の面影が残っていて、新しいお店ほど便利ではないが、その分、オールドファッションの内装の深みが感じられる。広い脱衣所にはわずかな人数しかいなかったが、木島が出てくるまで城戸は、誰かに見られないかときょろきよろしていた。湯気をくぐって、バスタオルを半分巻いた男が歩いてくるのを見て、やっと少し安心した。
水が肌を打ったり滑ったりする音が、この曖昧な裸の空間にははっきりと聞こえた。シャワーをしている間、城戸は隣にいる木島を横目で見た。すでにその美しい体には馴染みがあるが、霧に包まれて半ば隠されている様子は、妙に風情があった。
木島はシャワーで肩を洗いながら、だるそうに声を上げた。
「何をコソコソ見てるんだ?」
見とれていた城戸はぎょっとしたようだ。
「こそこそしてねえよ……そんな必要はないじゃあ…」
ふいに木島の声がすぐ近くから耳に入ってきた。それは水音と霧にまぎれて、湿気を帯びた声だ。
「やる?」
城戸は呆然とし、手にしていたシャワーヘッドを床に落とした。乱舞した水柱。木島は駄々をこねたように笑いながら、シャワーを拾い上げ、すでに反応し始めている城戸の下半身に水をかけた。すると、城戸はようやく我に返って、厳しい顔をして、勢いよくシャワーヘッドを奪い返し、体の泡を雑に流し、バスタオルで体を巻いて、そそくさと更衣室に入った。
いつの頃からか、木島はこのようないたずらをするのが好きになり、まるで城戸が欲望を抑えきれなくやりたくなったのが愉快になった。公共の場所で、律儀なことをしてはいけないとわかっていながら、あえて挑発してしまったことがちょっと悔しい。
やがて木島もついて更衣室に入った。湯気で顔が赤くなり、眼鏡をかけないと目は特に無邪気に見えた木島は黙って髪の水滴を拭き、そして時折城戸をちらりと見た。
べつに城戸をからかう気はなかった。木島は自分でも、どうしてこんなふうに放浪するのかわからない。城戸は普段から気のいい人で、木島を内緒にして彼女とよりを戻したことや、蒲生田先生が亡くなったことなどがあって、城戸はいつも後ろめたい思いをしているようで、木島の勝手な行動にもいつも寛容だが、城戸が急に腹が立つと、木島はとても不安になる。すると、木島は泣きそうな目をした。
城戸は彼の哀しげな様子を見ていると、その気まずさも不快さもすぐに消えてしまい、後悔と未練とで胸がいっぱいになった。二人とも裸で脱衣場に立っていて、ひどく気まずいので、寒い寒いと木島を引き止めて温泉に入ろうとした。木島もその後ろ姿をじっと見つめ、従順に引っ張られた。そのうちに、心の裂け目がゆっくりと閉じられ、ひそめていた眉も開いていった。
湯本館の露天風呂は自然と調和している。山や林に囲まれ、岩で作られた湯池の脇には、せせらぎの流れる狩野川が流れている。湯気が漂っていなければ、まるで泉に浸かっているかのようだった。開放的な自然に囲まれて素裸で入浴するのは窮屈だが、入浴人数が制限され、世から離れたジャングルのような静けさと、ぬくぬくとした温泉に浸かっていると、どんな緊張も湯気とともに消えていく。しばらくすると、肉体や精神が自然と一体となって、天地の間に堂々と存在しているような気がする。
城戸はリラックスして深呼吸を数回すると、さわやかな空気が心にしみ込んで、体全体がすっきりした。隣にいる木島が頭を岩にたれかかり、目を閉じて満足そうな様子をみると、心の底から幸せがこみ上げてきた。
「仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手をいっぱいに伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身……」
城戸が覗いているのを知っていたかのように、ふと小説の一節を口ずさんだ。彼は本当に記憶力がよく、書いた文章も読んだ文章も、はっきり覚えていて、句読点も間違えない。
「…私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った……」
柔らかい残響がしんしんとする泉の音とともに空へ上がっていく白い湯気に消えて、哀れの美くしさがある。
「そう考えれば、文学名著は官能小説になる可能性も多くあるよ。このあたりの描写は、踊り子の無邪気さが表現され、二人の感情の純潔さが際立つ。いまから考えれば、わざとこのあたりを描写するのは、踊り子のそれまでのおとなしいイメージを破棄し、未熟な性的魅力を示すためでしょう。主人公は踊り子を占有する欲望があるが、けがす恐れもある。精神と肉欲が戦いあって…いわゆる官能とは、人間性にある避けようのない衝動にすぎない」
城戸はすこしショックをうけた。これまで、木島が官能小説を書くことにかなり納得して、創作にもかなり力を入れていたように見えるが、それは食うためだろうとは思っていた。真剣に取り組んではいるが、好きになったり、楽しんだりすることはしていない。なにしろ、あまり立派な職業ではないし、それに対して、木島がそれだけ才能のある作家なのだから。しかし今、こうやって好きな作家や古典を官能小説と並べて語る木島の見方は、長年この業界を従事してきた自分の考えと思わずにも一致している。城戸は自分が理解されたような気がして、長い間抱えていた後ろめたさもすこし、湯気に溶けていった。
「ねえ…あの時、官能を書いてくれと勧めた君に、僕は感謝するどころか、ひどいことを言って、さぞ不愉快だっただろう」
木島は湯気をくぐって城戸のぼんやりした顔に、多情な眼差しを落とした。
温泉場には他の人が次々と入ってきて、木島の声は二人にしか聞こえないほど小さく抑えられていたが、城戸にはその言葉が心の中にしっかりと根を下ろしているかのように、一語一語はっきりと聞こえた。彼は自分の顔が異様に熱いのを感じた。それは温泉の温度が高いせいではないようだ。
あの時、官能小説を書くなら、作家をやめた方がましだと言われて息を吹きかけられた時、城戸は一瞬、目の前にいるこの人をいじめ、乱れ、破壊し、それまで雲にいたこの人を俗世の泥まで引きずり込もうと思ったことがある。
しかしそんな考えは、まもなく消えてしまった。いつだろうか。それは木島が自分からもらった小説を真剣に読み、その前は自分の傲慢だったと正直に告白したときか、またはお酒で悩みを忘れようとして、結局吐いて自分の胸にうつ伏せになったときか、または…あの夜のタクシーの中で、混乱と欲望に溺れて、自分が震えて彼の唇を咥える時か…それらの幼稚な怒りも邪念も、木島が口にしなければ、すっかり忘れていたところだった。しかし、いざ注意されてみると、気が小さく、木島に対してあんなひどい思いをした自分なんて最低だと思った。
木島は城戸の顔色を伺い、何か感情が湧いてきたとわかる。わけはわからないが、大体の見当はつく。
「大丈夫。城戸君は僕の恩人だ。すきになればいいんだ」
木々と空に青々と染めた温泉の水面下、木島の細長い足が絡んできた。足やすねが撫でられ、ゆっくりとした熱さが、熱い湯の中でもくっきりと這い上がってきて、下腹部に集まり、熱烈に燃えていた。
その火であぶられるように心がイライラして焦る感覚は、たちまち四肢にまで及んで、心臓の有力な鼓動と共に続いていた。温泉を出て、浴衣に着がえて、部屋にもどるまでの間、城戸はその熱いものが動いているのを感じていた。
城戸は木島の手首を握っていた。熱い汗が出て木島の同じように柔らかい肌に染み込んでいた。やっと部屋の前に着いた。彼は待ちかねたように木島を引きずり込み、畳の上に押し倒し、後ろ手にふすまを閉めた。特に力を入れるつもりはなかったのだが、咄嗟のあまりの勢いのある音に、木島は思わずぎょっとして、身を少々縮めた。
木島はいつもこうだ。まず言葉で誘い、城戸という薪に火をつけようとしている。いよいよ火が燃え盛ると、ためらっているようで、それを拒もうとする。一気に犯されたい様子は城戸を誘う。
城戸はときどき、そういう木島のことが憎む。だが、ほんの少しの憎しみが、欲望をさらに燃え上がらせる。
彼は身をかがめ、しっかりと制御する姿勢で木島を抱きしめ、舌は強引に口の中に入っていき、いままで通りに軽く触れることなく、上顎の一番奥まで届いた。木島が子猫のような嗚咽を上げて、舌で押し返そうとしたが、強く吸われてしまった。木島がひどくもがいているから、城戸は動きをゆるめ、舌の先を木島の舌の下にまわしてていねいに舐めた。木島は急に攻められて調教され、受けとめる力が抜き、口を開けたまま城戸に任せ、時折、低い唸り声を上げていた。
「ああ……はあ……うむ……うむ……熱い……」
天井にある和紙の灯りはあまりにも明るい。やっと自由に息をつくようになった木島の頭に浮かんだ最初の考えだった。しかも、揺れている。それは灯りのせいか、自分のひどい近視の眼のせいか。木島は手をだして、光をさえぎるようにしようとするが、備えのほうを失念した。
城戸の手が堂々と浴衣の中に入り、胸のあたりを力入れて揉んだ。乱暴だが、敏感なところは忘れていない。木島の体の中にある、さっき温泉から得た熱がすっかり揉み消されて、頰や胸から溢れてきて、息が切れていた。いやだと小声で抗議したり、無理だと首を振ったりして、城戸の肩をやわらかい手で押してはぐったりと垂らした。
城戸が木島の火照った耳と指を唇でなだめながら、浴衣を引きちぎって本題に入ろうとしたとき、携帯の呼び出し音が鳴り響いた。場違いだ。城戸は頑張ってそれを無視しようとするが、ベルはとても頑固でしばらく続いていた。キスまでも不味くなる。背中が押され、腕の力がゆるめたら、木島が背を向けた。その後ろ姿にまで不機嫌という字が書かれている。
「仕方ないなあ」
城戸は悔しい思いをしながら立ち上がり、携帯を探した。着信の表示を見たら、いらいらするようになったが、声をひそめて、もしもし、母さんと廊下に出た。
「はい、いま残業です」
嘘つき。木島は裏返り、横向きになり、肘で床につき、頭に手を当てて、ドアの隙間からうろうろしているその姿を見ているうちに、かすかにこの言葉が浮かんできた。ただ、この詐欺師は自分のために噓をついているから、それも咎めようがないらしい。舐められたばかりの温度が残った彼の暇そうな指が、寂しげに畳で点描する。
母からの結婚催促の電話にそこそこと応対してから、城戸はドアの隙間を通して部屋に戻ってきた。かすかに漂っている熱はまだ残っているようだったが、さっきのことを続ける雰囲気はなくなったようだ。突然の電話と、その後ろに隠したであろうかの問題が、彼らを少し目覚めさせ、冷ました。城戸は心に小さな穴が開いて、細い風が通り抜けているのを感じた。
木島が背中を向けて横になっており、表情も見えなかった。城戸は少し考えて枕を投げ、自分も枕を持って彼の後ろに横になった。
木島は枕を引っ張り、首を斜めにのせたが、城戸に背を向けたまま何も言わなかった。静かに寝ているように見えたが、実はいろいろな物音や周囲の影の変化から、背後の気配を敏感に察知していた。ふと、背後から熱い空気が近づいてくるのを感じ、そして全身がそれに包まれた。まるで温泉に囲まれたように。
城戸が許さぬ力を込めて、後ろから木島を抱きしめようにした。木島は悪あがきもせず、羊のようにおとなしくしていたが、吐息が少し乱れ始めた。
細かいキスは木島の精緻な輪郭をなぞるように首や耳元に落ちた。木島はその優しい接触に揺られながら、無意識のうちに軽くねじりながら、自分をさらに後ろに寄せて、城戸の懐に深くはめようとした。
その仕草に励まされて、城戸は優しいキスを続け、少し躊躇しながら木島の浴衣の襟に手を入れた。木島の拒む気配がないと確認してから、大胆にさらなる奥へ進んだ。そのなつかしい、つるつるした肌に指が触れると、心の中の風の音がすこしおさまると感じた。木島の微かで耐え難い呻き声は、ふわふわしたタンポポのタネのように、風に乗って、ゆっくりと彼の耳と心に降りてきて、抑えきれないほどくすぐったい。
本質的には同じことをしているのに、いまの城戸の心境は、さっきとはずいぶん違うようになった。先程までは衝動的に、無我夢中で木島と結ぼうとしたが、今はむしろ慰めと代償の気持ちで、親密な動作で木島の疑念と心配を払おうとする。麻薬で痛みを止めようとするが、副作用がわかっても、もうそこまで気を配る余裕がないと同様だ。
彼の指は木島の胸に何度も動いた。まず軽く触れ、次に円を描くように愛撫し、さらには強く、巧みに搔いた。木島ははあはあと息をし、硬くなった乳首が城戸の指先で呼吸に合わせて震え、下半身もすでに立ち上がった。恥ずかしい話だが、木島は城戸に出会うまで、いいセックスをしたことがなかったし、男の経験は城戸だけで、城戸は手だけで絶頂させる。今の今、木島は城戸の指に搔かれて、身を丸めてはほぐし、全身の毛穴まで震えて、後ろの穴も湿るようになった。 
「気持ちいい?」
城戸が耳元でささやくと、真っ赤な耳に空気が吹きこまれ、舐められるような快感がした木島は長い呻き声をもらした。力なくうなずいたが、もっと欲しいといわんばかりで首を横に振った。城戸の手が股間に滑り、そっと彼の欲望を軽く握り、挑発しそうに上下をねじり、指の腹で鈴口の隙間をいじった。木島は彼の手のひらの中でますますふっくらと潤んでいった。 
「気持ちがいいか悪いか。どっち?」
城戸の低い声にはどこか意地悪な響きがあり、それは木島にとつては最強の媚薬だ。木島は泣きそうな声で言った。
「気持ちいい……早く……お願い……」
「何を?」
城戸は声が情欲に染まってかすれていたが、それでも優しく我慢している。交わりの最中、木島に何か恥ずかしそうなことを言わせるのが滅多にないが、今回は木島が喜んでくれるかもしれないと思った。彼はさらに腕の力を引き、浴衣を二枚重ねても互いの熱い体温を感じられるほど木島を自分とさらに近づけた。
早く解放しないよう、城戸はわざと木島の根元を絞めて、もう一方の手で浴衣の裾を持ち上げ、足を引っぱって後ろに上げ、二人の下半身が完全に交差するようにした。彼の巨大な欲棒はそのまま濡れた尻の隙間に当たって、鈴口が入り口のところを滑って、不注意してすこし入ってはすぐに出ていた。木島は気が狂いそうになって、息を切らしながら、自分で尻を捻って迎えたりした。
「何を願う?はっきり言わないと」
城戸はさすがに我慢できなくなった。木島は今、抱き締められていて、体が極度に城戸を求めていて、満足されていないため、恨むように鼻歌を歌いながら、浴衣に隠れた体が媚態だらけで欲望の出口を探している。彼の横顔は紅潮に打たれて、額のあたりからは汗の粒が落ちて、風情のある首の小さいアザを一層鮮やかに染めている。
「城戸を……お願い……城戸をほしい!」
木島は懸命に振り向いて、背後にいる城戸と目を合わせ、その懇願は真剣で凄まじかった。
城戸の心臓が今にも胸から飛び出してきそうなほど激しく打った。同じように激しく脈打っているのは、肉棒に浮き出た筋脈だ。荒い呼吸をしながら、城戸は木島の体に深く埋め込もうとした。一寸、一寸、全て飲み込まれるまでゆっくりしていた。
木島の息づかいはますます荒くなり、狂った言葉まで交じった。城戸が彼の腰を抱いて動き始め、何度も深く入っていくと、木島はそれに従い、前後に動くことしかできず、つよい快感の波で意識が真っ白になり、気が遠くなりそうな心地がした。ぼんやりと廊下の外を見ていたが、ふとそれが開いていることに気づき、いきなり緊張して思わずもがいた。
「ドア…のとこ…ああ…ふすま…しまっていない」
もがきで体の中の硬いものをさらに興奮させる。息をしながら注意する木島が、本当に恥ずかしいか、それとも、危険で興奮する情報を共犯者と共有するつもりか、わからない。
「大丈夫…誰もいないんだ…」
城戸は適当に答えた。そこに人がいるかどうかも知らなかったが、それ以上気にする余裕もなく、城戸はきつく巻かれ、包まれ、いじられている。猛烈な動作を続けて、木島のからだの欲望を満たそうとするだけだ。
「ああ……ああ……ふうふう……うむ…軽くして」
腸壁が極限まで摩擦され、中で熱爛がひっくり返ったように熱くて辛くて狂わせる。耐えられないほどの激しい嵐なのに、心のどこかでもっと強く犯されるのを求めている。奥深くに隠されていたあるところが突き刺されると、木島はついに我慢できずに解放され、泣き喚きながら城戸の自分の腰を抱いた手をつかみ、むやみに願う。
「士郎……軽くして……もうだめ……」
城戸は一瞬呆然した。体は本能に導かれて、どんどん突き込んでいるが、魂は木島の愛しい呼びかけに、ふらついていた。
馴れ馴れしくて激しく動きで木島をよろこばせるのが得意だったが、急にそう呼ばれて、城戸はかえって取り乱し、恍惚している間、身動きも乱れた。リズムが乱れた突っ込みで木島が息をはずませて身をすくめ、彼自身もゾッとして、危うく出そうになった。
ただの聞き間違いだろう。城戸は暴走している考えをおさえて、姿勢とリズムを整え、木島の脇腹をゆっくりと撫で、気持のいいようにぐいぐいと擦りつけてやり、木島の小さく震える呻きの中から熱い液体を出した。
奔流する欲望は堰を切ったように急速に流れ出し、無秩序に氾濫し、やがて激動の中で一時的に収まった。
城戸は恍惚として荒れ狂うような絶頂にさしかかったとき、ふと、いくつの声が脳裏をかすめた。それは母の愚痴のような、疑いと心配の混じった声だ。「いつですか」「好きな人はいますか?」「どういう子がお好きなんですか」…あまりにも周到な気遣いが、城戸を息苦しくさせた。城戸が世間知らなく親に逆らう息子であれば、がむしゃらに答えられる。
——今ですよ、俺が抱きしめてキスしている人よ、この美しくて、誇り高くて、才能豊かで、俺を夢中させる男なんです。
城戸はめずらしく重い嗚咽の声がして、涙がにじんでくるような気がした。木島に気づかれるのを恐れて、肩に顔をうずめることもできなかった。しかし城戸の腕に抱かれ、激しい息づかいからようやく回復したばかりの木島は、まるでテレパシーがあるかのように必死に城戸を向き、城戸の髪や目尻に手をやって、唇にキスを求め、最も純粋な思いやりと慰めを求めてきた。
二人は結ばれたまま、床の上に横たわった。お互いに浅いキスと撫で合いをしただけで、それ以上のことは考えないようにしていた。
しばらくしてから城戸は腕の中の人にかすれた声で尋ねた。
「お腹空きますか」
木島はうとうとした声を出したが、あきらかに体のだるさを感じていた。激しいセックスに体力を消耗し、わけのわからない心配が、心の中でもつれ、元気が消耗された。
「何か食べに行きましょう……」
城戸の温かい手のひらが、木島の肩や腕を撫で回していた。彼が惚れ惚れしていたこの体は、貧弱というほどではなかったが、どこか虚しく、愛しくてならなかった。
「うん…行くよ」
木島は衰弱に返事をしたが、まったく動こうとしない。
まあ、部屋まで届けてもらおうか。城戸はそう思ったが、次の行動もなかった。二人はこの全ての規則を捨てて、やさしい心に落ちぶれる瞬間に貪欲になって、そこから離れることを惜しむ。
廊下の外には、一輪の新月が、林の間から這い上がって来て、夜の風と一緒に、銀の清冽な光が、遮るものもない障子を通って、静かに入って来て、頼り合う孤独な魂を照らしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?