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察し察せられる世界線

梅雨のじとじとした湿気が不快指数を押し上げる季節ですね。
この雨がないと色々と困ったことになるとは頭で理解していても……

いま、世界では新型コロナウィルスの猛威から不安と焦りと苛立ちにより
{人々から笑顔と余裕が消えかかっている}
そう感じる出来事がよく耳へ飛び込んできます。

モーニング娘。'20の野中美希ちゃんも大好きなポムポムプリン。
公式Twitterアカウントが元気付けようとした一言もこうなってしまうんだなと、朝から何だか悲しい気分。。

言葉や文章をどう読み取ってどう理解しどう解釈するのか。
人間の数だけパターンがあり、正解がない世界だとは思います。
気分や環境、はたまた体調によって変わることもあります。
又、押し付けるものではなく、それがそうそう変わるものでもないのはご存知の通り。

■「分かってほしい」という要求

大抵の方は楽しく幸せに生活を送りたいと考えていると思います。
しかし、苦しいこと・辛いこと・腹立たしいこと……等々
生きていく上で切っても切り離せない感情がそれを遠ざけてしまいます。
矛盾とも思えるこの感情どうにかならないものか──。

先日Twitterでバズっていたツイート

毎日言葉を交わす人でさえも、わかって貰えることが多くないのは体感として誰もが持っているはずです。
それをその人のせいにしてしまえばとても楽。
それ以上考えなくていいですからね。
切り捨てることでラベリングでき理由付けもできる。
──ただモヤモヤした心までは晴れない。

自分の中の正義は執行できたのに釈然としないという矛盾。
そして矛盾を晴らすためにまた正義を振りかざす。
そして待つのは、塵も積もればなんとやらです。

■「ヨソはヨソ、ウチはウチ」

関西人は耳にタコができるくらい聞いたおかんのセリフ。
この言葉の完成度の高さに膝を打つくらい、最近のお気に入りの言葉です。
一見、おかんの言い訳に捉えられがちだけどなかなか真理をついている。
これを「対家族」から「対人」に置き換えてみましょう。

他人には他人のルール(考え)があり、また自分にもあるやろ?
それを無理やり自分の土俵へ持ち込んだらどうなる?
そりゃルールが違うとケンカになるし下手したらケガ人まで出るで!
他人は他人。自分は自分。お互いそれを尊重していかなあかん。
自分のルールをわかって貰うにはそれなりの「対価」が必要なんやで。

と、ここまで世のおかんが考えてるんやで。知らんけど。

■そこに愛はあるのかい?

僕は割り切ってるというかドライな部分が多い人間です。
他人に無関心という訳ではなく、他人はあくまで他人。
自分の考えは伝えないと通じない。伝わらないのは何かが足りない。
そう考えます。

日本は極度の察しろよ文化だと思ってましたが、前述の記事を読むとその限りではないようで驚きました。
(その言動や感情を批判している訳ではないです。)

「察してくれ」「配慮してくれ」は自分をわかって貰えないから生じる感情だと思います。だだ、その感情は一方通行でおかんが前述してたように対価がない。一方的に切り捨ててラベリングしているだけ。
逆に、貴方は何を察してあげましたか?対価を払いましたか?
思考停止していませんか?言い訳していませんか?

少し言葉が荒くなりましたが、好き/嫌い・愉快/不愉快などは人間誰もが持ち合せる感情です。もちろん僕にだってあります。
ただ、それを「勝手に」紐づけ、連想してしまうから察しろってのはあまりにも暴力的ではないでしょうか。


──元気づけよう笑顔になってもらおうとした一言に。


山口さんはこう続けています。



あんちゃんの言葉を胸に、この梅雨空もどこかで必要とされているんではないかと思い馳せ、その中でも楽しみを見つけて生きていきたいものです。

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