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パートナーという生命保険

2024/06/09
朝8時前、宮城県青根温泉近くの貸別荘(airbnb)にて鶯や知らない鳥のさえずりと川が流れる音を聴きながら。

自分のことを文字で書き連ねることは久しぶりかもしれない。
いつの間にやめてしまったのかも覚えていないくらいだ。
元々は誰かのいいね/共感を集めるために言葉を加工していただけだった気がする。もうそういうの飽きた。おなかいっぱい。自分のために言葉で記そう。

3年半付き合った彼氏と別れた。
出会いはアルバイト先で、自分の個性を存分に活かして周りを笑顔にしながらエネルギーを与えながら社員として働く姿を尊敬し、「おもしろいなこの人」と思ったことが始まりであった。2人で話すことが増えるようになって、当時自分が1番興味があった被服に関して博識な彼と話している時間が楽しかった。先生と付き合っていた感覚が近いかも。

そういえば、昔から先生のことを好きになること多かったように思う。
20代後半または30代前半の少し個性的な先生。中学が1番顕著だったかな。
私の恋愛観において性的指向は一切関係してこないので、知的好奇心というか「頭」で恋をしていたと認識している。
教えてもらうことが好き。数多の「なんで」に答えてくれる人が好き。
自分の知的好奇心を満たしてくれる人が好き。そんな単純なものに違いない。

3年半彼と付き合って得たものは「相手と向き合う忍耐力」だと思う。
後半から感じていたのは性格から思考まで何もかも違う、居心地も良くない、見た目もタイプじゃないといった悲惨でしかないものだったが、「彼氏」というだけで自分のリソースにおける従来のキャパを超えて、相手と真剣に向き合った。(相手からするととても十分とは言えなかったらしい)

次に活かすとしか言いようがないが、恋愛における適切なPDCAとはなんだろう。そもそも自分のゴールについて考える必要がある気もする。
世の中100人いたら100人思考が違うくらい複雑なら、余計にシンプルに自分のことだけ考えて何が幸せかを考える必要があるとも言える。

何かを見つけようとする、わかろうとする、知ろうとするときに大切なことは「そうではない面」について考えることだと思う。
わたしは大抵のことを自分が見たい方向からしか見ていない。「本当か?」と疑うべきときには、時に綺麗でなく、残酷で、切れ味のいい事実/思考について考えなければならない。

パートナーがいない世界線があるとすればどうだろう。今は楽しいに違いない。ただ、30代を過ぎて売れ残った女として生涯を楽しめる自信はない。それくらい恋愛について考えて生きてきたのかもしれない。女という生き物は悲惨だと思う。いや、美人でスタイルが良くて愛嬌があって会話がスムーズにできる女であれば、寿命は長いと言えるだろうから、私という女の生き物が悲惨なだけかもしれない。そもそも何のためにパートナーが必要なのだろうか。

ずっとパートナーは必要だと思ってきた。
もちろんいなくても生きていける。そうでなければならないのは不変の価値観だ。
その上でなぜ欲しいかにおいて、私は3つの理由を仮置きしてみる。

①自分が知らない世界を見せてくれる
②生命保険
③1人で出来ないことができる

なんて淡白なんだろうか、シンプルと言ってもいいのか。
自分が知らない価値観、知識、思考についていつまでも聴き続けていたい。ただ、いつまでも相手を尊敬する気持ちが続かないと聴き続けることは不可能だと思う。この尊敬は圧倒的な社会的地位が強く由来することが多いように思う。学歴、役職、成果、収入といった「ステータス」だ。しょうもない。本当にしょうもない人間だなと自分に思う。ただ、変えられないのだ。関係性における調整が入ることは前提として、メリット/デメリット抜きにして人間関係を成り立たせることは困難とさえ思う。本当は「あなたさえいれば何もいらない」「あなたのことが好きだから何も求めない」みたいな純粋無垢のキラキラした台詞を心の底から言える人間になりたかった。無理だった。
結局、パートナーは「生命保険」だという考えに帰結する。仕事においても会社という保険的な安心があれば給料が支払われないなんてことはないし、だからこそ、安心があるからこそ頑張れることだってあるだろう。私にとってパートナーは払戻し金のある保険に他ならないのかもしれない。なんてゴミなんだ私は。
1人で出来ないことができる、も具体例で言えば「免許を持っていないから運転して欲しい」「好きなイタリアン料理屋で1人前が無いから一緒に行きたい」「泊まりたい宿があるけど1人だと高いから割り勘にしたい」みたいなものだ。

そうともなると、ゴールはパートナーという痒いところに手が届く生命保険と満期まで契約することになる。
長年抱えていた課題に対する根本的な解決策はこれかもしれない。多くの人に人間としての良さを見出すことは多いが、結局わたしは我儘で利己的で自分の安定が1番必要なのである。
今の自分を諦めて認めるか、変わりたいと心の底から思って誰かに身を委ねて行動するかはまた別の話としよう。

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