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日々生きている事の尊さ

日々、note作家の方々のお話を見ている訳だが、最近はなぜか集中して「当たり前のことへの感謝」に関するものに多く出会っている。
偶然か、引き寄せたのか分からないが、これはひとつ、自分も「当たり前のこと」についてよく考えてみることにした。


今、コーヒーを淹れて席に着き、パソコンを前にしているところだ。
休日には毎日目にする光景だが、この取るに足らないかもしれないことにさえ、初めての時のように感謝をしようと思った。
コーヒーは、豆を作る人…もっと言えば、コーヒー農園を立ち上げ、農家で食っていくという遠い遠い国の方が抱いた強い意志、それがなければ手元の茶色い液体は存在しないのだ。

頭のスイッチと心のスイッチを、最近意識している。
どこまで行っても個人的な感覚だが、頭のスイッチは「疑問」と「未来」を考えるとオンになる。
頭の方をオンにして先ほどの光景に居れば、「今日はなぜこんなに苦いのだろう?」「これを飲んだらあれをしなきゃ」などと考えるようになり、目の前のことについて、考えているようで考えていない。


心のスイッチは、ただ「事実」を描写するとオンになる。
心の方をオンにすると、「ガラスのコップにコーヒーが浮いている」「パソコンでこうしてnoteを書いている」などとまず客観的に自分を見つめる。
この客観的な見方が、おそらく冷却水のような役割を担っていて、気持ちが落ち着いた瞬間、にわかに豊潤な感想が浮かんでくる。
「IKEAのガラスコップは見た目が良い。創業されたスウェーデンの風土にも感心だ。」
「指が踊るようにキーボードの上を跳ねている。楽しい。」
この瞬間、今ある事・物=当たり前の事・物に浸っており、感謝している。


ひょっとすると、もう既に十分満ち足りていて、むしろ引き算をしていく方向でも差支えが無いのかも知れない。

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