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ささやかな趣味

沢山の選択肢を選ぶことが出来るようになり、自分に合っていそうな趣味・好きなことを発見しやすくなった。
一方、そのお陰で選びきれずに「自分は何がしたかったんだ?」と、いつの間にか樹海の中で迷うようなことも多々ある。


美術館へ行ったり、レコードを聴いたり、ワインを飲んでみたり、街中のカフェを巡ったりなど、趣味を取り入れては捨ててを繰り返し、その中で長く残ったのは、「園芸」「写真」だった。
読書やレザー、アウトドア、車やコーヒー、お茶もかなり好きな方だが、上の二つは特に際立って、より詳しくなりたいという気持ちがある。


園芸は、5年前のアルバイト先から「ポトス」を頂いたことが始まりだが、そこから徐々に緑色の生物に惚れてゆき、今の自室は、人間よりも植物のための部屋になっている。
長く育てている植物には子株ができ、有り余った植物に関しては、できるだけ丁寧に植え替えをする。
その子株を、引っ越しをした友人や、園芸に興味のある友人に、お祝いもかねて配るのが最近の通例行事になっている。



抽象的に見て、このように有り余ったものを分け合うことは豊かさの象徴のように思う。
もちろん配りっ放しになることは無く、コーヒー豆や服がこちらにやってきたりする。
それぞれが抜きんでた分野をもち、もっている物や知識を分け合う小さな経済は、なんとも素敵だ。



写真は、モノクロフィルムから出発し、カラーフィルムをかじり、デジタル、フィルム風に撮れるスマホカメラと変遷し、やはり撮りたいものはあの淡い色のカラーフィルムだと思い、フィルムへ再帰した。
ただ、フィルムそのものの価格高騰を考えて、ハーフサイズ(通常のフィルムの1コマを2分割で撮影するため、2倍撮影ができる)のカメラを手元に据え置いた。

今思えば、運というものがあるのなら、それだったのかも知れない。
ハーフカメラのことを考えながら、お世話になっている写真機店さんの前を通った時、まさに考えていた機種、色、装着レンズを身にまとったものが、えらく破格な値札をつけ、こちらを見ていたのだ。
なぜ破格かというと、露出計(これが無ければ、簡単にいえば明るさの調整は不可能)が故障していたからだった。
とは言え、自分は元から感覚を頼りに手動で露出を設定し、失敗したことが無かったため必要なかった。

この小さな半壊したカメラは、日々の記憶を残すに欠かせなくなるだろう。




決して派手ではなくささやかだが、内なる自分が覚醒する趣味に気づけたのだった。


運によって引き寄せられた、
OLYMPUS PEN-FT。
長いこと眠っていたパキラが、
三寒四温の中活動を始めだした。
新芽の小さいパキラは、
老年の大きいヤナギに形が似ている。

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