「君たちはどう生きるか」(劇場)感想

「君たちはどう生きるか」(劇場)感想
(2023-07-15 T・ジョイ梅田 スクリーン1 Dolby Cinema)

 宮崎駿監督の「風立ちぬ」以来の10年ぶりの新作「君たちはどう生きるか」を観ました。

公開前に予告編や本編ビジュアルを一切公表せず1枚のポスターしか公開していないという徹底した隠密宣伝ぶりが話題になり、初日に観た人の感想も賛否くっきりと分かれる結果に。

 そして実際に観た感想は「非常に良かった」です。

個人的には「崖の上のポニョ」と「ハウルの動く城」よりも好きだったな。
あの2つの作品が内容的に不明な点、ハマれない点があったのを思うと本作の方がまだ分かりやすいしスッキリしていると感じるほどです。
ただこれが宮崎駿監督の最後の作品だとするとちょっと違うかな?と思う。「風立ちぬ」の方が宮崎駿監督の最後の作品にはふさわしかった内容だと想いました。

詳細は「ネタバレ」以降で書きますが、まずネタバレ抜きで言うと観る前に不安だった「未完成なんじゃないか?」とか「実は実写だったり」と言う点は「無い」です。

実写ではなくちゃんとアニメだし、しかも未完成ではなくちゃんと完成している上にそのアニメのクオリティたるや「素晴らしい!」のひと言で。

内容的には賛否くっきり別れたのが分かるなぁって内容であり、決して万人向けでは無いと思う。少なくとも子供向けとは言い難いし、自分も人には気軽に「観て欲しい」とはお勧めしにくい点がある。

ただ、長らく宮崎駿監督の作品を観続けてきた人たちには「絶対に観て欲しい」と言える内容だったと思います。観た結果「良かった」「悪かった」「好き」「嫌い」と別れようとも、これは観ておくべき作品だと思った次第です。

 内容の良し悪しは別として、とにかくアニメーションとしての作画と演出は凄まじいです。

「さすが宮崎駿」と思えるアニメの作画であり背景美術であり演出であり、それを支える作画スタッフだと思います。このテイストと迫力は宮崎駿しか描けないものであり、それを継承する人が居ないのは残念だけれど、宮崎駿がもし引退しジブリも新作を作らないのだとしたらそれはそれで一つの時代の終焉であり、仕方のないものだと思っている。

続く細田守や新海誠は全く違ったアニメを作っており、アニメーションとしての作画や美術も全く違っているので、彼らは彼らなりの流儀と作法で作り続ければいいだけと思う。そういうものだろうな。

 本作は内容的には「一度観ればいいかな?」と思ったのですが、やはり作画の素晴らしさとあと(ネタバレ以降で詳述しますが)とあるキャラがめちゃくちゃ魅力的で歴代の宮崎アニメキャラの中でもトップクラスの魅力を放っていたので、それを観る為だけにももう一度映画館に観に行きたいと思っています。




※以下、ネタバレがあります。




 この映画、公開二日目の土曜日に観たのだけど初日の金曜日に観た人の感想が真っ二つに別れていて「何を見せられたんだろうか?」的に内容の意味不明さを語る感想も多かったので、けっこう不安になりつつ観ました。

予告編も粗筋も知らないまま映画を観る経験が無かったので不安が強く感じられたのですが、スタートするといつもの宮崎駿作品っぽくて安心し、すぐ世界にハマって行きました。

個人的にはもう一回観ておきたいと思ったのですが、その理由の最大の部分が宮崎アニメの女性キャラ史上トップクラスの彼女、ヒミの可愛さ格好良さをもう一度観たいってのがあるからです。

ヒミに関しては、その美しさと可愛らしさは宮崎駿アニメ史上最高クラスであり、個人的には「風立ちぬ」の里見菜穂子と並んでトップと思ってしまった。

顔立ちの可愛らしさと作画の気合の入った感じもだけど、少しボーイッシュで力強くて頼もしい所と、一方でファッションの非常に美しく可愛らしい所も気に入っていたので予告編映像も無い、ネットにその画像も無いと言う今どきとしては珍しい状況では「映画館に行って彼女に会う」しか会える方法が無いってのが巧妙な宣伝戦略だなと(まさかそう考えて作ってるわけではないだろうがw)感じた次第です。

 作品全体から感じたのは、過去の宮崎駿監督作やジブリ作品のイメージとの重なりです。

出だし、疎開して見知らぬ土地の屋敷に住み始める所は米林宏昌監督の「思い出のマーニー」を思い出したし、アオサギの存在が「もののけ姫」のジコ坊に、眞人が弓を作って射る姿も「もののけ姫」のアシタカっぽかったり、離れた場所の洋館が「マーニー」の洋館っぽかったり、そこから入った先の異世界は「千と千尋の神隠し」の湯屋っぽかったり、若き日のキリコが「千と千尋の神隠し」のリンっぽかったり、扉を開くとそれぞれ別の世界に繋がってるっぽいのは「ハウルの動く城」っぽかったり。

そういう意味では過去の宮崎駿作品の積み重ねがあってこその作品であり、それを踏まえたオマージュと持っている手駒を全部ぶち込んで一本の作品に仕立てようとの監督の想いが強く感じられました。

またエンドロールで流れる数多くの作画スタッフや監督やスタジオの名前を観るにつけ「宮崎駿監督が再び作品を作るなら馳せ参じないと!」とみんなが集まってオールスターチームで作り上げたんだろうなって凄さをひしひしと感じた次第です。

その意味では、この作品を監督の遺言に例える人も居ますが個人的にはこれは宮崎駿監督の生前葬なんじゃないかな?と思う。それも自分で自分の葬式をプロデュースした形の生前葬に感じられて、「それをやるんだったらひとつ盛大に祝おうじゃないか!」とみんなが馳せ参じたと感じられたのです。

ただ、もし本作が宮崎駿監督の最終作だとしたら、ちょっと違う感じはしたかな。個人的には宮崎駿監督の最終作としては内容的にも「風立ちぬ」がふさわしかったかな?と思う。

 さて内容です。

難解に見えるけれども、基本は「宮崎駿監督の母親への想い」これに尽きると思う。

これをしてネットでは「マザコン」だとか「気持ち悪い」とか言う意見もあって、それはそれでその通りなのかも知れないけれど、個人的にはそうした違和感や気持ち悪さは感じず、単に少年が母親が死んだ事への苦しみを和らげ次の母親となる夏子さんへの親愛の情を深める様子を描くドラマなのだと感じた次第です。

あの世界がどこなのか?は疑問ですが、個人的にはどこか死に関わる雰囲気があって黄泉の国かその手前の三途の川とも言える世界なのか?と思ったりしました。
生き物が死して到達する場所であり、そこで生まれた者が新しい生命としてこの世に生を受ける場所的な?

ただ、そう考えるとヒミにしろキリコにしろあの世界に若い頃の姿で居た理由が分からない。
その点を考えると若い頃にヒミもキリコも神隠しにあってこの洋館の中の異世界にやってきてそこで何年か過ごし、そこの記憶を無くして現実世界に戻ったと考えるのが正しいか。

あの大叔父が作ったと言われる洋館だけど、実は天から降ってきた謎の岩のようなものを覆い隠す為に作られたもの。大叔父はこの世界の力を研究し解明したのでそこであの積み木を行って世界のバランスを保っていたとかか。

いずれにしろ、そこでは失った母親への思慕が深く関わっていて、そこに突然、母親とそっくりとは言え妹の女性と父親が再婚したと言われてとまどう様子、彼女が自分に優しく接してくれているのに自分がどう接していいか分からない所など、もどかしさと可愛らしさが感じられて締め付けられる感情がありました。

 余談ですが、好きだった描写を2つほど。

まずひとつはアオサギがくちばしの穴を木で塞いでもらったシーン。木が口の中に出っ張って気になってたのか「削ってくれ」ってシーンは「ああ、あるあるw」な感じで、全体的にシ~ンとした中で観ていた観客がこの場面では声を出してあちこちから笑い声が聞こえてきたのが印象的でした。
ちょっとしたシーンだけど見事な描写だったかな。

もう一つはラストシーン。

扉から飛び出してくるオウムたちが糞を撒き散らしてみんなが被っているのですが、上品で美麗な夫人である夏子さんにも容赦なく白い糞がかかりまくってる作画には「宮崎駿容赦ねぇなw」と感じた次第です。

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