「怪物」(劇場)感想。

「怪物」(劇場)感想。
(2023-06-03 TOHOシネマズ西宮OS・スクリーン12)

 是枝裕和監督の「怪物」を観ました。

 やべぇ。すげぇわ。
監督も凄いけど脚本が凄すぎて、その脚本を活かすのは是枝監督のあの演出っきゃないってくらい相乗効果があって凄かった。

最初からずっと胸クソ悪いのに映画に魅入られて、観終わったら全く別の感想を持つとか考えられん凄さだったな。
「The Son/息子」と並んで今年のベストかも。

「怪物だーれだ」の言葉が象徴するように観る側に「果たして怪物は誰だったのか?」を問いかけると同時に、人はその問いかけにも騙されているのでは無いのかな?と感じる観終わった時の感覚でした。

脚本の評価が高い作品ですが、主要キャラクターの中に子供が2人居てその2人の演技とドラマが肝となる作品だけに、それを演出するのが是枝監督だったのはベストの組み合わせだったと思う。

子供2人の場面での表情や演技の素晴らしさを感じると、同じ脚本でも他の監督が撮っていたら半分の魅力しか出てなかったんじゃないか?これを撮るには是枝監督しか無かっただろうなと思う見事さでした。




※以下、ネタバレがあります。




 この映画、全体の構成が大きく3部構成となっていて、それぞれで主人公となる視点が違っているので同じ出来事を別視点で描く「羅生門スタイル」的に言われる感じです。

実際、映画を観る前にこの構成と「羅生門」の言葉をSNSで見かけてしまって「ああ、そういう構成の映画なのか」と知ってしまった(^_^;)
映画を観てて「それを知らずに観たかったな」と思ったな。ある意味、構成もネタバレになってると思うかな。

ただ。実際に観てみると「ひとつの出来事が語る人によって事実が異なる」って羅生門スタイルではないと感じたか。タイプとしては似てるんだけど、事実が異なるんじゃなく視点によって語られる事実と語られない事実、知っている事と知らない事が分かれるので観客や親と先生で意見が分かれているわけで。

 最初の母親視点の物語と先生視点の物語は表裏一体となっていて、母親視点の物語の違和感を先生視点の物語で埋めて言って答え合わせしていく感じだったかな。

「次は校長先生視点とかかな?」と思っていたら次の3番目で終わりで3番目は子どもたち視点で展開していった。

 この3番目の物語が1番目2番目とガラッと雰囲気が変わる事で、観客の中には「あれ?そんな展開になるの?」とかラストシーンに「あれ?これで終わり?」と物足りなさを感じたりする人も多かったと思う。

しかし、個人的にはこの3番目の物語が子供たちの物語であり、それが是枝監督の最も得意とする演出部分だと感じたので、このパートで受けた圧倒的な迫力と感動に自分は魅了されてしまった。

特に1番目と2番目のパートが胸クソ悪い展開の連発で、観ててキツいズシンとくる部分ばっかりだったのだが、何故か観終わって爽やかさすら感じる感動を受けたと思えたのはこの3番目のパートの瑞々しい少年たちの演技とドラマと演出があったからだろうなと思う。

ラストシーンは豪雨が去って晴れやかになった山間の緑の中を少年2人が走っていくシーンで終わる。

普通なら2番目のパートのラストで母親と先生が必至で探しに来たんだからその2人と再開して抱きしめ合うシーンとか入れそうなものだけど、そんな定型のシーンは一切無く定型パターンを無視して少年2人の走り去る様子だけで観客を放り投げて終わっている。

ここは「観客が観て、感じた事をそのまま感じるままに考えて信じて欲しい」って脚本と監督の2人からのメッセージだと感じました。

その点では同時期に公開された「TAR/ター」と「アフターサン」が(内容が全く違うんだけど)観客に内容を想像させるって点では似てたかな。
ただ「TAR/ター」と「アフターサン」は個人的にハマらなかったのだが(後者は内容不明な点もあるけど映画には惹きつけられた)「怪物」はめちゃくちゃ凄い!と思った点が大きく別れたかな。

観客に想像させる手法の演出にしても「TAR/ター」「アフターサン」は(特に「TAR/ター」は)想像させる余地が大きすぎて理解が追いつかないのでハマるハマらないが人によって大きく左右されるのだが「怪物」はある程度まではきっちりと詰めて描いているのでそこまで混乱と「?」が満たない点は大きな違いだろうか。

 さて1番目の安藤サクラ演じる母親視点の物語。

ここが違和感だらけで、子供の発言でどうやら学校の先生が暴力を振るったり暴言を吐いているっぽいのに学校に行ったら校長はボーッとしてるし担任教師はあたかもひとごとのようだったり、さらには母親のせいにするような暴言まで吐き、謝罪の場面なのに飴を口に入れている。

実はこの場面を観て「あり得ないだろ」と思いつつ、あまりに変な対応の連続だったものでシチュエーション・コメディなのか?と頭が勘違いして引きつった笑いが出そうになったんだよな(^_^;)

この次点で「え?ああ、この映画こういう演出なのか」と勝手に思い込んでいたら次の2番目のパートで先生側からの視点で描かれて「ああ、母親の話も思い込みがあったのね」となった。

母親としては子供をまず第一に信じていて、誰もが親としてはそうするだろうし当たり前の行動なんだけど、実は子供が真実を全て語っていたとは限らない(語れない、意図的に事実と違う事を言う)事もあるのだと思わないわけで。

これは母親が「悪い」と言う事じゃなくそれは誰にも判断出来ない事なんだよな。第三者なら公平に双方から話を聞こうとか、生徒にアンケートを取って事実があったかどうか?を詰めていこうとするんだけど、親は子供を無条件で信じてしまって疑うことをしないと言うより「出来ない」陥穽に陥っている部分もある。

それでも大部分が子供に嘘や秘密が無いので正しい結果になるんだろうけど、映画ではその陥穽の陥る部分を見事に描いていたと思う。

今年ナンバー1と思っていた「The Son/息子」も同じく親子のドラマなんだけど、あの作品でも親は子供を理解しようとして努力をし、理解したつもりになっていても実は本当の事を全く分かっていない絶望感を感じる内容になっていた。

さて、今回の作品では単なる勘違いや単なる嘘ではなく、少年たち2人はなぜそうなったのか?が3番目のパートで丁寧に描かれていく。

一人がずっと虐められていて、もう一人がそれに加担させられていてでも反発し始めて、互いに距離が近づいていく様子。
そこにはもう一つ謎が秘められているんだけど、これも明確に分かるんだけれど言葉や文字では語られず半分秘めたように演出される。

それでも、そこにはその問題が根底にあるんだってことが観客には分かるし、正直言うと雨上がりに2人が開放的に走っている姿に「そんなのもうどうでもいいや」と思ってしまう突き抜けた明るさと爽やかさを感じてしまったのです。

もちろん、この後に母親の先生もだけどこの2人に一番辛い今後が待っているかも知れないし待っていると思うんだけど、間違った事を続けるより心に素直に付きすすんだ方が良いんだって気持ちを感じさせる素晴らしさがありましたね。

 さて「怪物だーれだ?」が一つにキーワードになっていましたが、個人的に感じたのは中村獅童演じる星川依里の父親がそのひとりかな?と思った。彼が偏見に満ちた育て方をしなければこうならなかった面が大きすぎると思って。

と同時に彼を虐めていた2人の生徒。

それ以外も加担していたかも知れないけど、基本あの2人(だったかな?)が中心になって湊にも半ば強制していた感じもあったし。

依里の父親が問題無かったとしてもこのイジメ問題がある事でより学校生活が苦しく複雑な様相を呈してきて、果ては先生も含が湊に暴力と暴言を吐いたと母親が思うようになる大きな事態になっていったのだと思う。

しかし現実はこの親と同級生の問題が解決してもハッピーエンドにはならず、依里の問題は彼に一生つきまとう問題であるんだろうなと辛く感じるかな。

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