見出し画像

戦前静岡茶広報史の一場面(1)

はじめに

下にあるように、ことの発端は私の発見ではない。ただ、私の関心に引っかかる物があったので少し調べ始めてみた、備忘である。もとより学術論文になるような話ではないのだが、調べていく内になかなか面白い水脈が見えてくる。茶業史から地域史、広告史、果ては伝承とその文芸化の研究まで繋がってきそうな広がりがある。そして、オンラインでかなり分かることがあるのもありがたい。
特段先行研究を検索したわけではないので、研究史の文脈で、あるいは業界内部で、どう位置づけられるかと言うことはさしあたり気にせず、調べ物と言う行為そのものを楽しんだ記録とでも言おうか。私にはとても面白いのだけれど、誰もが面白がる話ではないし、専門の人はご存じのことばかりかも知れない。
そんなわけで、いつまで続くのか、どこまで拡がるのかも、現時点では考えていない。そういえば、「三島由紀夫『天人五衰』の風景」も書きかけのままだ。
それぞれ、気の向いたとき、少しずつ。

それにしても、こう情報のオンライン化が進むと、リンクできる意味はとても大きく、紙媒体で論文を発表することの重要性が薄れてしまうようで、怖くもある。このnoteも、本文は随時更新する可能性があるので、注意されたい。

『静岡県茶業史』の中の一文

静岡県茶業史. 続篇』(1937)1274頁(662コマ) (茶業年表 昭和9年の欄)
に、興味深い記事があるのを、吉野亜湖さんが見つけた。

画像1

昭和9(1934)年10月、JOAKは、「東海道演芸道中」の第7夜として、島田の大井川河畔から瀧恭三作『牧野原物語』を、坂東蓑助の朗読(?)によって放送した、と言うことらしい。
気になることが沢山ある。静岡の茶業史に多少知識のある人なら、牧之原、瀧恭三、と言う名前を見て了解するかも知れないが、私含め、専門外の人たちには、そもそも、何故、茶業史の年表に、この放送が記録される必要があったのか、から説明が必要だろう。もう少し、情報を確認しておこう。
この年表にある放送については、本文1046頁(548コマ)に記事がある。年表に無い情報としては、全国放送だったこと、瀧恭三を「瀧嘱託」と書いてあること、程度で、大差はない。
同じ記事は、前年に刊行された日本茶業史. 続篇』(1936)、1165頁(611コマ)の茶業年表にも掲載されている。こちらは簡略だが「マイクの旅」という別の番組名が記載されている。
話はそれるが、「マイクの旅」を検索すると、戦後の番組がヒットするものの、この時期にそう言う番組があったことは、今のところ他では確認できない。36年にこの名称が使用されているのはとても興味深い。
マイクの旅 放送期間:1949年~1971年(NHK放送史)

さて、瀧恭三。この人は、前述『静岡県茶業史』正編(1926)の編集者であり、『茶業界』8巻12号(1913)から、35巻3号(1940)まで、27年間にわたって主筆を務めたほか、茶業関連組織の役職歴もある、静岡における近代茶業史の重要人物の一人らしい。一方で茶業そのものを本業とする人ではないように見受けられ、なかなかに興味深い人物ではあるが、今は深追いしないで先に進む。

「東海道演芸道中」

さて、ここで道は二つに分かれる。瀧氏の著作『牧野原物語』のことはあとにして、先に1934年10月に放送されたらしい、JOAKのラジオ番組「東海道演芸道中」第7夜について情報を整理しよう。戦前の放送であり、web上には殆ど情報が無い。

少し別の方向から探してみよう。「東海道演芸道中」で検索すると、アマナイメージズと言う、画像素材販売サイトがヒットする。ここに、5件の関連画像がある。即ち、
悟道軒円玉
「馬子唄」 東海道演芸道中 湯本駕屋連中
東海道演芸道中 オール箱根ソング
「東海道演芸道中」 痴遊 夢声 神奈川芸妓連中
「東海道演芸道中 箱根獅子舞」 宮城野青年団
すべて 、クレジット (c) 文藝春秋 /amanaimages とあるので、当時の『文藝春秋』誌に掲載された物かも知れない。
この5枚の内、馬子唄、オール箱根ソング、獅子舞は、同じ会場、同じ時のように見える。おそらく箱根のどこかなのだろう。圓玉の会場も似ている。芸妓連中はステージを使用しているので別会場かも知れない。少し被写体について確認しよう。

悟道軒圓玉(1866年11月16日~1940年1月23日)、伊藤痴遊 (1867年3月20日~1938年9月25日)、徳川夢声(1894年4月13日~1971年8月1日)。ちなみに、坂東蓑助は六代目 (1906年10月19日~1975年1月16日。1928年6月蓑助襲名、1962年9月八代目坂東三津五郎)と考えて、いずれも1934年10月に矛盾はない。

オール箱根ソングは、静岡の「ちゃっきり節」(1927年)同様、観光宣伝などの目的で作られた新民謡で、国会図書館の歴史的音源にあるが、国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館の館内限定で個人で聞くことは出来ない。しかし、コロムビアレコード、1930年8月発売であることが判る。おそらく同じ音源らしい物が、youtubeに上がっている。
曽我直子の オ-ル箱根ソング(ヘッチョイ節) 
朝居丸子の オ-ル箱根ソング(ヘッチョイ節) 
これらの背景については、
戦前の唄で綴る東海道の旅 (8)箱根宿から 
【温泉音頭の誕生】 
が参考になる。
*ちなみに、「ちゃっきり節」は、1928年1月21日「NHKラジオの前身である東京放送局へ静岡の芸者衆が大挙上京して町田嘉章が指揮する生演奏で「ちやっきりぶし」「狐音頭」「新駿河節」を全国放送した」由。(静鉄グループ ちやっきりぶしのあゆみ

宮城野青年団の箱根獅子舞は、宮城野の湯立獅子舞と考えられる。「箱根町に伝わる神楽「箱根の湯立獅子舞」が国の重要無形民俗文化財指定へ!」(レアリア 2022-02-04)には、「地域の青年団から60年ほど前に保存会へと変わり」とあるので、戦前は宮城野青年団が担っていたのだろう。

箱根だけでどれくらいの時間を割いたのかも含め、1934年10月の島田と同じ番組と考えてよいのかどうかは判然としないが、馬子唄や芸妓の囃子など、伝統芸能から新民謡まで、地域色豊かな演奏を公開放送した物らしい。JOAKの本放送が始まったのは1925年。それから9年後、いかにも、ラジオというメディアで全国に地域を宣伝できる新しい広告番組でもあった。これらは、各地域にとって大きな事件だったはずなので、地方新聞など、探せばまだまだ出てくるかも知れない。
*参考:福田勝 8.ラジオ放送90年のあゆみ~放送開始からラジオ全盛期~(映像情報メディア学会誌/69 巻 (2015) 3 号)

放送の実際

今、上に書いたように、島田からの放送も、静岡の地方新聞を探せば関連記事を発見することは可能ではないかと思うが、それは後日に譲るとして、今はwebで確認できた茶業関係の興味深い記事を紹介して先に進もう。新聞等は、どなたか調べていただきたい。

*これ以降、雑誌『茶業界』をNDLデジタル資料で紹介することが増える予定ですが、現時点では国会図書館の 「図書館・個人送信資料」なので、アカウントがあり、規約に同意した人しかアクセスできません。重要な箇所は文字化して引用しますが、全体を読みたい人は個別に対応してください。提携している図書館でも閲覧可能ですし、ふじのくに茶の都ミュージアムなど、いくつかの図書館には現物が所蔵されています。

牧野原物語放送 
東海道演芸道中第七夜は県下島田町より行はれた、当日東京放送局からは小野文芸部長以下出張国道鉄橋の少し上手の磧に舞台をしつらひ、一帯に提灯を吊して非常な賑ひであつた、当夜八時十分より約十五分間瀧主筆作の『牧野原物語』は坂東蓑助氏に依って放送された。

茶業界. 29(11)56頁(193411)

番組全体が15分だったのか、イベントとしては更に長時間だったのかもはっきりしないが、大規模なイベントだったらしい。
実は、この、29巻11号・12号には、瀧本人が「左記は十月十九日県下島田町で催されたJOAKの東海道演芸道中第七夜の番組中、坂東蓑助氏に依って放送されたものゝ台本である。」と前置きして、上下計6頁にわたって『牧野原物語』を掲載している。これによって、牧野原開拓史と、所謂「最後の敵討ち」の物語、つまり、ここ数年様々な形で上演されている『侍たちの茶摘み唄』と同様の話が、90年前に歌舞伎俳優によって全国放送されていたことが判明する。
また、12号には別に小笠郡河城村山田政一なる人物の「牧野原物語聞書」を掲載する。この記事は放送に触れていないが、『牧野原物語』の内容に関連する地域史料を紹介しつつ、開拓史編纂への希望を述べた物で、放送に触発されて投稿したと推測される。なお、河城村は、沢水加を含む現在の菊川市北部で、旧彰義隊の大谷内龍五郎が寄宿したのは沢水加の山田家であったので、親戚筋かも知れない。

さて、これで、放送の顛末はおおよそ判明したのであるが、『牧野原物語』の中身も含め、話は、まだ拡がっていく。

画像2
静岡市清水中央図書館所蔵本表紙


そして更に、放送だけではなく、音楽や映画など、この時期の茶業界における新しいメディアによる様々な広告戦略の様子も見えてくる。
話は長くなりそうなので、続きは別稿に譲ることにして、第一話は、ひとまずここで終わる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?