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戦前静岡茶広報史の一場面(2)

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『牧野原物語』を探す

さて、あらためて。
前回の最後に『牧野原ものがたり』と書かれた画像を載せた。というか、このnoteのカバー画像も、その一部を使っている。これは、静岡市清水中央図書館所蔵『牧野原物語』の表紙であり、カバー画像は捺されたスタンプの一部である。

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静岡市清水中央図書館所蔵本表紙の部分

「昭和12.7.3」と言う日付のある「島田駅」のスタンプ。朝顔日記、蓮台越、大奴と、島田・大井川のモチーフが使われているのがわかる。ただし、勿論これは元々捺されていた物ではない。こうした観光スタンプの歴史もとても興味深く、旅日記と集印帳の流れの中で位置づけられないかと考え中なのだけれど、話題がそれるので別の機会に譲る。

まず、『牧野原物語』の書誌を確認しよう。
本書は国会図書館・県立図書館にも所蔵がなく、オンライン検索でヒットするのは前述静岡市清水中央図書館のみ。古書検索でも出てこない、非常に稀少な書籍らしい。清水図書館の書誌情報は以下の通り。

タイトル 牧野原物語
著者等 瀧 恭三 /著
出版者 大井川保勝會
出版年 1935.6
ページ数 25p
大きさ 16cm
本体価格 非売品
NDC分類(10版) S294.1
NDC分類(9版) S294.1

16cm、25頁ということで、小冊子であると言うことは想像がつく。と同時に、『茶業界』所収の「台本」の情報量よりは多いはず、つまり、別テキストであることも予想される。そして、問題なのは、刊年月。放送の翌年である。つまり、放送の台本は本書の抄出ではなく、こちらがあとだったということは記憶しておこう。
清水の本が禁帯出であり、複写も出来ないと予想されたので、別口も当たってみる。
『茶業界』主筆、瀧恭三の著書であることから、茶の都ミュージアムにはあるのではないかと見当をつけて、白井副館長に問い合わせたところ、所蔵無し、ただ「静岡県茶業会議所にあると思います。」というお返事。早速問い合わせたところ、コピーならあると言うので訪問。コピーなので、そこからのコピーも許可された。これによって内容が判明。写真が複数含まれる薄い冊子だったらしいことも分かる。
ひとまずテキストは入手できたとはいえ、表紙が見てみたくなり、清水図書館に移動。写真撮影は不可だがコピーは可能、と言うことで、表紙はカラーコピーをお願いした。と言うのがここまでの流れ。

『牧野原物語』

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静岡市清水中央図書館所蔵本表紙

茶業会議所のコピーには、島田のスタンプがないのは当然として、本文のあと、広告と刊記分一枚が含まれていない。こういうことがあるので見られるものは見ておく必要があるわけだ。巻末広告をみてみよう。

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冊子の発行元である大井川保勝会による自動車遊覧コースの案内で、50銭の差は、佐夜の中山まで足を伸ばすかどうかの違い。牧野原東照宮を含め、茶業関係施設が観光コースに含まれていたとこが分かる。

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刊記によって判明する新しい情報は、著者瀧恭三は住所ではなく「静岡県茶業組合聯合会議所内」になっていること、発行人大井川保勝会の代表は「渡邊錠次郎」であり、印刷は「静岡県島田町599番地渡邊印刷所」であること。これはあたらしい手がかりになる。

さて、本文、と言うか、まず「はしがき」。ここで、「新たな」事実が判明する。

牧野原物語_2 (2)
牧野原物語_3 (2)

前年10月、「日本放送協会の手により大井川蓮台越が全国に放送され」た時に『牧野原物語』(『茶業界』に掲載された「台本」であろう)が放送されて好評だった。それで、保勝会として瀧に依頼して「原作を加筆訂正し稿を新」にした。瀧は「永く茶業界に関係」し「牧野原の史実に就いては永年苦心研究」していたという。蓮台越の実演がどのような物で、どう言う放送だったのかは不明だが、蓑助の朗読以外にもプログラムがあったことが判る。
そして本書は、『茶業界』に掲載された台本に加筆して出版されたことも明らかになった。
写真入りで、牧之原開拓史、特に、先に述べたような「最後の敵討ち」関連を軸に展開している。
これで、このnoteの出発点である放送について、或いは茶業史上の位置づけも、殆ど解決したのだが、実はこの話には続きがある。
と、その前に、ここまで来ると少し気になるので、発行者である大井川保勝会についても少し調べてみよう。

大井川保勝会

大井川保勝会の具体的な活動や組織は明確に出来ていないが、刊記にある島田の渡邊印刷所を中心に活動していたのだろう。試しに検索してみると、県立図書館には、
1933年2月
 野崎幸雄『東海唯一島田大井神社帯まつり』
1934年
 松村博司『大井川朝顔目あきの松』
 野崎幸雄『大井川連台越』『光栄之島田』『島田髷』
の5冊が収蔵されている(未見)。
このうち、『大井川蓮台越』は縦18cmの細判で、本文70頁、「蓮台越関連資料」28頁。巻頭に三葉の写真を載せる。その一枚は1933年5月30日に行われた蓮台越実演の記念写真らしい。
本書の特徴は、編集者である野崎幸雄が、保勝会の斡旋で、川越人足を経験した古老3名から聞き取りを行い、文書と併せて整理していることである。加えて、実演の写真も掲載している。小冊子とはいえ、なかなかに貴重な仕事と言うべきであろう(国会図書館本による)。
全体像はつかめないものの、島田・大井川地区の郷土史・郷土文化と観光をメインにしてこの時期精力的な活動をしていたようで、執筆者である野崎幸雄はおそらく郷土史家であり、松村博司は、島田出身の国文学者で、後に名古屋大学名誉教授になる、当時帝国大学を卒業したばかりの若者とおもわれ、そうだとすれば、彼の最初の著書かも知れない。

戯曲『牧野原異変』

『牧野原物語』、その後の話もまた、二手に分かれる。
一つは、『牧野原異変』と言う戯曲の存在である。
国会図書館所蔵本による書誌は以下の通り。
『戯曲集 善人村』 吉田絃二郎 著 日本青年館 発行 昭15年刊
この戯曲の末尾には「本書は大井川保勝会発行、瀧恭三氏著牧野原物語に負ふところ多し。謹んで謝意を表す。」とある。一幕二場構成で、内容は、一場が、明治3年、沼津在清水村に於ける元彰義隊の殺傷事件前後、二場は初倉医王寺に於ける大谷内自害まで。つまり、牧之原開墾そのものを話題の中で臭わせつつ、「最後の敵討ち」事件に焦点化した、わかりやすい戯曲である。前にも触れた『侍たちの茶摘み唄』はかなり広い範囲を扱っているので、様々な抄出上演が行われているが、それとは別に、この戯曲の再演があってもよいと思う。
ここで疑問になるのは、1935年に地方出版の非売品として刊行された、しかも現存点数の非常に少ない小冊子が、どういう経緯で短期間のうちに作家のもとにもたらされたのか、ということだろう。古郷の佐賀県立佐賀工業高等学校の校歌紹介サイトにある吉田絃二郎の生涯(校歌)によれば、吉田は34年、49歳で早大文学部教授を退き、作家活動に専念し始めた頃であった。大学教授や作家のネットワークによるもの、なのか。

小冊子の配布

もう一つの「その後」。実は、この冊子は、現在は非常に入手困難であるが、あるいは大井川保勝会の他の本よりも発行部数は多いのかも知れない。
著者瀧恭三は、「静岡茶に就て」(『世態調査資料』 第四十號 1939年)の聞き取り調査の中で、牧之原開墾の説明中に、「拙著牧野原物語を御覧願ひますと詳細記して御座います。」と述べていることからも、様々な機会に配付されたことが想像される。
ここで、前回冒頭で引用した『静岡県茶業史 続篇』所収の年表、昭和10年の記事を見てみよう。

この年、熱海で開催された「全国名物土産品宣伝即売会」において、無料喫茶所を設置した上で、
宣伝用絵葉書 9万
リーフレット 3万
小冊子 3千
牧野原物語 3千
写真帖「静岡県の茶業」9百

を頒布、他にポスター24千部を配付している。もともとラジオ放送の台本として作られ、郷土の出版物だった物が、おそらく好評で、茶業宣伝用小冊子としてこうしたイベントで頒布された、と言うことらしい。
この頁だけでも判るように、この頃の茶業界は、内外に向けて非常に精力的、戦略的に宣伝を行っている。その、海外向けの小冊子については、吉野さんがまとめた報告書『海を渡った日本茶の広告 : 明治・大正・昭和の海外向け小冊子』が既にある(小二田名義になっているが、吉野さんを中心とした研究会の編著であり、私はまとめ役に過ぎないことをお断りしておく。なお、研究会では続編として『海を渡った日本茶の広告Ⅱ All abou Teaと広告史』を刊行している)。
海外向けはこったデザインもあり戦略的な物も多く注目されがちだが、国内向けの宣伝がどのような物であったかは、当時の資料が豊富な割にまとめられていないように思う。
ここにあるだけで、絵葉書、リーフレット、小冊子、写真集、ポスター、それに実物サンプルや試飲も行っていることが判るが、他を見ると、標語や唄の募集、映画制作など、当時考えられるあらゆる手段が用いられているように見える。

牧野原物語放送の謎から始まった探求は、とりあえずここで終了するが、時間が出来たら、そうした戦前の多メディア展開についても整理してみようと思っている。

前にも書いたかも知れないが、この件、私がプライオリティを主張するような話でもないので、面白いと思った人が続きを調べて発表してくれればむしろありがたい。
時間が無くて、少しでかければ確認できることも今はスルーしている(断り無く加筆するであろう)。
自分のための息抜きでやっていることだけれど、誰かの興味を惹くことが出来れば意味がある。

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