好きを好きと言いたい美意識


よくいう「美意識が上がった」という感覚は、
「自分の好きなものを好き」と自分の心を真っ直ぐ誰かに言いたい。

という感覚なのかも。
と、最近思いました。

それだけ。

あまりにも文字数が少ないね。
あんまり説明できるような、何かがないのよ。

でもなんだろう、
自分の好きなものを胸はって誰にでも言えるか?
っていうとそうじゃないことってないかな?
子供の頃は言えたのに、大人になると言えなくなって、ああなんか大人になっちゃったな〜なんて寂しかったり、

別に、言えない理由なんて被害妄想じゃん?とか思うけど、でも思い返せば言えない理由の過去の感情はたくさんあって、なんか言えなかったり、

そのうち、「好き」を言うには、なんかすんごい理由が必要な気がしたり、

そんなことないかな?

私はあるんだけどね。
でも、そういう気持ちが、ちょっとした単純なことで上がって、

なんかちょっと頑張って、
「自分の好きなものを好き」と
気持ちよく言いたい〜〜〜と思った時、
それが「美意識が上がった」なのかもしれないです。

「美意識が上がった」の方向は必ずしも、
スキンケアでも、ファッションでも、体型でも、見た目が美しくなる方向だけではなく、
何かあたらしい経験するでもそんな方法でもあるのかもね。

「美」は見た目だけに宿るものじゃないのに、
何でいつまでもみためにとらわれてしまうんだろうね。

理由はわからなくないけど、
問いたい疑問だなぁって。

好きって気持ちはわたしからしたら最高に美しいね。大好きだよ。

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