旅行記⑦

2日目は4:30に起床。昨日そのまま寝ていたようだ。
シャワーを浴びて着替え、ホテルのレストランが開くまでぼーっとテレビを見ていた。

朝食を済ませホテルをチェックアウト、2日目の始まりだ。
なお糸崎駅は無人駅のため、改札ではなく車内で車掌さんに日付のはんこを押して貰うことになる

第8走者
糸崎駅 6:39発
普通 岩国行き

糸崎から岩国までの広島地区では、赤い塗装が特徴的な227系が活躍している。2〜8両まで編成を自由に組み換えられ、需要に対応出来るように設計されているほか、後で説明する急勾配区間、セノハチも越えられる。

おそらくはこの先岡山や山口地区にも投入され、113系や115系といった国鉄型電車を置き換えて行くことだろう。

途中車掌さんが巡回で回ってきた。乗車証明として列車番号と車掌さんのはんこをもらった。

霧がかかる中を列車は走る。山陽本線の車窓は古めかしい家が多く、いかにも地方といった感じがする。


写真だとわかりにくいが霧がすごかった

途中止まる駅もかつて特急街道だった名残か、所謂国鉄型配線に似た駅が多い。


西条駅。ここはこの先の急勾配区間、セノハチの補助機関車を切り離す駅だ。
運良く貨物列車が来れば……とも思ったがそんなことはなかった(残念)

八本松駅を発車。いよいよセノハチが始まる。
ここは嘗てより「東の碓氷、西の瀬野八、北の板谷」と並び称された鉄道の難所。
22.6‰(1000m進むごとに22.6m登る)の勾配が11km近く続く。他の2つに比べれば勾配は緩いが、ここを高速で通過しなければならないことから、動力車にはかなりの負荷となる。
このため山陽本線の開業当時からこの区間は補助機関車による後押しが行われていた。

現在は600トンを超える上り方面の貨物列車のみ後押しが行われる


分かりにくいが上り線は架線が2本張ってある。機関車2両分の消費電力に耐えるためだ

列車は暫く住宅街を走る。昔々は八本松駅の手前で補助機関車を走行中に切り離していたというが、流石にいまはちゃんと止まる。工場等を過ぎていくと景色は山越えといった雰囲気に変わる。

上下線の間が離れているが、これは片方の線路をあとから作ったためだ。山間部の工場や並走する国道を眺めながら、227系はセノハチを快調に下る。急勾配区間は登るよりも降りる方が大変だという。もしもブレーキが効かなくなればどうなるか………それは言わなくてもわかるはずだ。227系やその前任の115系はその対策に抑速ブレーキを備えている。詳しい説明は省くが車のエンジンブレーキのようなものだ。

セノハチは急勾配だけでなく急カーブも続く。レールには脱線防止のガードレールが追加されている。

瀬野駅に着いた。ここはセノハチ越えの基地として瀬野機関区があった場所。その名残だろうか、草ぼうぼうで放置されている機待ち線と思しき線路の残骸が残っていた。

天神川駅には広島貨物ターミナルが隣接している。

コンテナがたくさん。
EF210-300。前任のEF67とは違い補助機関車だけではなく列車の先頭に立つこともある

出番を待つ補助機関車のEF210-300番台が止まっていたほか、無数のコンテナが積み重ねられていた。一体どれほどの貨物を取り扱えるのか想像もつかない。
広島を出て宮島口等を通り岩国駅に着いた。ここで227系とはお別れだ。

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