旅行記②
赤羽を出て京浜東北線などと別れ尾久に滑り込む。ここはかつて夜行列車用の客車がその身を休めていた尾久客車区がある。夜行列車はおろか客車列車そのものがほとんど絶滅した今となっては、中距離電車が客車に代わって出番を待っていた。
尾久を過ぎ赤羽振りに京浜東北線と再会、しかも今度は山手線や常磐線といった仲間を引き連れてだ。この区間は東北本線だけで10本ほど線路が並ぶ。おそらくこんな光景はここだけだろう。
上野駅は7番線に到着。新幹線が出来るまではここは数多くの特急や急行が出発し、また到着した場所。今上野駅に出入りするのは常磐線特急のひたちやときわくらいなものだが、それでも昔々の面影を今でも残していて自分は好きな駅だ。
上野を出て秋葉原、神田と通過。いつも鉄道模型やパソコンのパーツを買いに通ったりする秋葉原だが、今日は残念ながら素通りする。
東京駅到着。ここで東北本線は終わり、いよいよ東海道本線に入る。1872年に開通した日本で最も古く、また最も重要な役割を与えられた路線だ。
ちょうど0kmポストがある。ここから遥か遠く兵庫県は神戸駅まで589.5kmの旅だ。
東京の次は新橋だが、新橋といえば余りにも有名な歌がある。
汽笛一声新橋を
はや我が汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る
月を旅路の共として
鉄道唱歌である。
明治時代に作曲、発表されたこの曲は、新橋から神戸まで66番もある。その間名所や名産、旧跡などを歌う。また東海道に続けて山陽九州編、奥州磐城編、北陸編…と6編あり、全て合わせて370番ほどある。なんでも日本一長い歌だったというのだから驚きだ。
まあこの時の新橋駅と現在の新橋駅は違った場所にあったのだがそれは置いておく
続く品川駅ではその鉄道唱歌が発車メロディとして使われている。
品川は鉄道唱歌にてこのように歌われている。
窓より近く品川の
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総か房州か
品川台場とは今のお台場のことだが、それよりも注目して頂きたいのは次の歌詞だ。
「海のあなた(彼方)に〜〜山は上総か房州か」
明治時代には品川から房総半島が見えたのか、と驚かされるが、嘘や誇張というわけではないだろう。というのも、今の品川の土地は明治時代ごろまでほとんど海の中だったからだ。
この写真を見て頂きたい。これは明治に旧東海道の八ツ山橋から撮られた品川駅の写真だが、なんと駅のすぐそばが海岸線なのだ。これであれば品川から房総半島など余裕で見渡せたはすだ。
品川で横須賀線と山手線と別れ、我が東海道本線は川崎を目指す。
いよいよ神奈川県だ。
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