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HKK入院日記 1日目その5

ここまでの内容
→スキー場にて立木に衝突
→左骨盤骨折と判明
→ドクターヘリで緊急移送
→ICUで尿意到来
→尿瓶初体験

なんとか初尿瓶を経験し、一息付いていると女性看護師がやってきました。

看護師さん「それではルートをとりますねー」

わし「(なにそれなんだかよくわかんないけど)え、あ、はい」

左腕にはすでに点滴用の管が入っていましたが、もう一本右腕にも点滴用の管を通すということらしく、看護師が血管を探しています。

看護師さん「血管ちょっと見えにくいですね」

わし「え、はいすいません...」

看護師さん「ちょっとチクっとしますよー」

わし「はい。(深呼吸する)」

看護師さん「(小声で)あ、だめだ」

わし「あら」

看護師さんは右腕を裏返したりさすったりしながら血管を探しています。

看護師さん「はいじゃあまたチクっとしますね」

わし「はい。(口をギュッと噛む)」

看護師さん「(小声で)あ、だめか」

わし「え」

再び看護師さんは右腕を裏返したりさすったりしながら血管を探しています。

看護師さん「はいじゃあまたチクっとしますね」

わし「はい。(鼻から吸って口から出す呼吸)」

看護師さん「(小声で)うーんだめか」

わし「え」

オイオイどういうことやねん。と流石の僕も腕の痛みと相まって不穏な感情になってきます。

ちょっと痛いですけど血管が細くなってるので右手の甲からとりますね。といって、右手の甲に注射されました。これがもうめちゃくちゃ痛い。注射って、刺す瞬間と薬を流し込む時に痛みが一瞬だけ伴うと思うんですが、手の甲への注射は一瞬ではなくて強烈な痛みがずっと続くんです。

わし「イつつつつつつつつ...!!!」

看護師さん「そうですよねーやっぱり腕にしますね」

結局腕にすんのかい!

そうしてなんとか4回目で血管に管が入りました。これはすぐ点滴などが始まるわけではなく、管を通した状態でキープしてあとあと使うもののようでした。手の甲はのちに黄色く変色してしまっていました。(写真撮影しとけばよかった)

点滴しながら薬を投与することも可能な、ハブになっている!
水門みたい。

ちょっと看護師さんそりゃないよトホホとなっていると、青い服を着た風格の漂う男性医師が部屋に入ってきました。妻🐼も呼ばれて、レントゲンとCTの写真を机に出しながら、症状と今後の処置についての説明が始まりました。

担当してくれたのは、骨折などの外傷専門のO田先生。以後退院するまでO田先生に主治医として診察していただきました。

O田先生は(おそらく)40代前半で目元の凛々しい骨格のガチっとしたちょっとだけ強面の風格漂う体育の先生っぽい先生でした。

O田先生「大変でしたね。腸骨と寛骨臼を中心に激しい損傷が認められます。骨盤の骨折は骨折の中でもかなり重度で緊急性を要する骨折です」

わし「はい」

O田先生「しかし今回の場合、多少の内出血は認められますが緊急の手術を必要とする症状には発展していないと考えられます」

わし&妻🐼「よかったー」

O田先生「この病院には骨盤骨折手術の専門医がいますので、その医者とも相談して、手術内容や時期を決定したいと思います。おそらく、プレートを二枚程使っての固定となるでしょう。おそらく前と後ろからボルト固定することになるかと思います」

わし「プレート...」「ボルト...」

O田先生「私1人ですぐ手術でもよかったのですが、その彼が週末までいないので、戻ってきてから彼と2人での手術としようと思います。もちろんそれまでにもメール等で打ち合わせは進めていきます。週明けに手術予定としてそれまでは様子を見ながら安静にしていただきます。入院の手続きをしてください。念のため輸血*も行います。」

*この輸血は血が足りないという意味での輸血ではなく血が固まりにくくなるのを防ぐように血液の状態を良くするためのものだったように記憶しています。

先生はさらに続けて

「少なくとも4週間から6週間は左足に体重はかけられないですね」

つまりは、それだけの期間"歩けない"ということでした。そしてその期間ずっと入院している可能性もあるということです。4週間経って車椅子?それまで寝たきり?マジか...とちょっと目の前が暗〜くなったような気持ちでした。

ともあれというわけで、左手から輸血、右手から点滴、上半身は心電図という管にまみれた状態でICUから病棟へ運び込まれました。(心電図はシールでプラグを3箇所ほど胸に固定してそこに電線をパチっとはめます)

運び込まれた716号室が私の部屋になりました。

わし「入院かあ...ていうかプレート&ボルトか...」

27日が水曜だったので予定通り週明けに手術となったとしても5日間あります。1ヶ月の入院となるのであれば3月に予定していたあらゆる予定をキャンセルする必要がありました。病室からiPhoneを使っていくつかの窓口にお詫びの連絡をします。この日の夜、一緒にジンギスカンを食べに行く予定だった北海道在住の友人BDさんにもメールします。


BDさんとはネット(Twitter)で出会ってからかれこれ10年以上の付き合いになります。年に1,2回会うかどうかという感じで今までおそらく10回も会ってないですが、とても仲良くさせてもらっています。毎年北海道に行くとBDさんとジンギスカンに行くのが恒例となっていたのです。

今回は叶いませんでした。またいずれ必ず行きたい。

父親には札幌の病院に運ばれる前にLINEしました。すると父には

「なんであなたはそうなるの?」

と言われました。昔から何かと怪我をすることは多かったんですよね。小学生の頃には転んで歯を折ったり、夜中にヤンキーにボコボコにされて気を失って運ばれたり...。心配かけてばかりの息子で本当にすみません...。

もろもろの手続きを妻🐼がしてくれました。ニセコの宿に残してきた荷物なども同行していた友人2名が病院まで運んでくれました。なんとBDさんが車で札幌のホテルから病院まで送ってくれたようでした。

そして20:30頃だったかな、妻🐼も札幌のホテルに戻り部屋に1人となりました。

こうして入院生活が始まったのでした。

1日目だけで5回もかかってしまいました笑
今後はもう少しサクサク1日1記事くらいで書いていけたらと思います。

続く

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