漆黒のヴィランズの所感

冒頭からネタバレ注意ですよ






漆黒楽しかった(小並感)
でもこれでフィナーレ迎えるの超絶怖い〜!!せっかくアルバートの魂貰ったのにろくな道あゆめそうもなくて怖いよ!!

正直なことを言うと、オルシュファンのネタバレを踏んでしまってからもうどうでも良くなってきていて、水晶公の正体もクリティカルなのは見ていなくてもなんとなーく察しは着いていたんですよ。でも、クリタワやったのだいぶ前だし、どんな風に出てくるのかなーと思っていました。

ところが冒頭、

「いや、ラハくんやんけ!!」


になってしまいました。クリタワを扱えるのはお前しかおらん!!!選択肢も出たし。

でもなんかすっとぼけてくるので、本人が言いたくなるまで待とうの気持ちでずっと待っていました、だいぶん待たされましたが。

彼の軌跡が徐々にわかるにつれ、未来のために限界突破した人々の想いと、第一世界の人々の想いも一身に背負って、よくまぁここまで来れたもんだなぁと、めちゃめちゃ他人事みたいに思ってました。
思えば、ただのお使いの積み重ねがとんでもねぇところまで来たもんだ。
クリスタリウムの人達はみんな一生懸命でいい人で、「水晶公の友人なら、」で色々手配してくれるのって、あのやかましいくらいに明るくて気の休まらない世界で、ラハくんずっとずっと頑張ってきてくれたんだよね。だからこそグルグ火山前の夢を語るグラハティアが可愛くて仕方がなかったし、「オメーしぬん?」とドキドキも止まらなかったです。
いや、大罪喰い討伐とか、光を溜め込むとか、色々無茶させられたのはこっちですが。簡単に自爆をチャートに盛り込まれたのはちょい引き案件でしたが!!やめろ!!

随分時間もたって、穏やかにはなっていましたが、本質はあのカッコつけて登場してきた、冒険に憧れを持つラハなのが分かるのが可愛くてしょうがないですね。しっぽが抑えられないのも可愛い。あのもじもじするエモ、冒険者も使える?


漆黒でようやっとルヴェユール兄妹以外の暁メンツの解像度(自分の中で)が上がった気がしました。これまであんまりよく知らない同僚としか思ってなかったから。どういう考え方でこれまで生きてきたのかがなんとなーくわかった気になるくらいには彼らのキャラクター性に触れられたエピソードでしたね。


まずサンクレッドについては色んな人が言っているとは思うんだけど新生から今までで1番キャラが変わっていった男ですよ。キャラブレとかじゃなくて、キャラクター性が練られて形が固まっていく感じ。
(はじめのうちはキャラが定まってないとかあったかもだけど)
出会った頃は、グリダニアスタートだったせいか、顔のいいかるーい男な言動してるけど、どうせそういう態度はポーズなんでしょ、相場は決まっている。以上の印象はなかったです。
だから、新生のころサンクがアシエンに乗っ取られた時、ミンフィリアがすごくショックを受けてるっぽいリアクションしてて「あれ、君たちそんな仲いいの?」ってびっくりした。彼が暁の中でどういう人間関係を作っているのかとか全然考えてなかったから。
今思えば、そりゃそうだろ!!って感じなんだけども。肉親に近い人がえらい目にあってたらそりゃショックよね。


それは蒼天から紅蓮にかけてもあまり変わらず、諜報キャラのお兄さんというぼや〜っとした印象のまま漆黒に突入しました。

漆黒に入ってようやく、サンクレッドという男の人生においてミンフィリアが占めるウェイトが高いことに気がつきました。
しかも割と不器用に愛していた。
わざとらしいくらいの軽い振る舞いも、採掘師として働くミンフィリアを酒場から見ていたエピソードも、ろくでなしですが、それくらいの距離感でしか上手く見守れないかったのでしょう。真正面からぶつかるようなことは無かった。それは肝心な時に彼女と彼女の大切な人を守れなかった自分へ信頼がなかったのではないかと思います。守りきる自信が無いから身近に置いておきたくない的な。思えば、サンクレッドって自分がなんも出来なかったことへの後悔の発言多い気がするんですよね。
ミンフィリアは暁襲撃や祝賀会のあと、自分の力が及ばないところで星の意志になった挙句に第一世界にすっ飛んで消えていった。殊更自信がなかったのでしょう。

はじめに第一世界で「ミンフィリア」と呼ばれている少女が監禁されてるって知った時はどう思ったんだろ?代々同じ名前の少女が戦いの末に死んでいったことをどう感じていたんだろう?
サンクレッドはあの牢獄から連れ出して、なるたけの訓練をさせて、1人で立てるようにしていた。さすがに原初世界のミンフィリアとイコールでは結べないけど、ある意味リベンジの場でもあった訳ですし。
でも、そのせいでサンクレッドは自分と真正面から立ち会わなくてはいけなくなった。取るに足らない自分自身の力で、何ができるのかをちゃんと考えなくては行けなくなった。そのことに腹を括れなくて「まだ未熟だから」を言い訳にして厳しい頑固オヤジ的な態度で彼女を背負うことに目を逸らしてた部分もあっただろうと思います。
あの短い旅の中でミンフィリアは自分の生き方、ミンフィリアの力について自分なりに考えて来ましたが、サンクレッドだってそれで考える猶予が生まれていたんでしょう。
あとは周りからの指摘。絶対2人だけだと自壊してたろうしな…。
だからこそ、ウリエンジェ先生の妖精語講座の中からちゃっかり名前候補を考えていたし、ランジート将軍戦だったんだろうなぁと。もう一方の保護者との戦いでちゃんと「自分の娘」と自分は彼女の生涯に責任を持つと堂々と言えたのだと思います。
アムアレーンで、光の巫女にリーンという名前をつけ直した時、かつてのミンフィリアの時とは違って新たな門出を祝える状況であって良かった。そしてリーンがリーンで良かったと思える旅路になって良かったね、サンクレッド。彼が目を逸らし続けたミンフィリアとの関係や自分自身と向き合う話であったんだなぁ。

だから、リーンとサンクは作品上「親子」って呼ばれているけど、個人的にあんまりしっくり来てないんすよね。
親にしては余裕無さすぎないか?親も生き物なので初めから完成している訳では無いど…。大人気がないというか…。ミンフィリアとサンクの関係性が土台にあるからこその拗れた関係というか…。
リーンも自尊心のないところから成長していくけど、サンクもミンフィリアとの付き合いという目を逸らし続けていたところから変わらなくては行けなかったし。
お互い成長しなくてはいけなかった中、周りのフォローを大いに受けてなんとかお互いが納得できる形に落ち着いた感じというか。
だから師匠と弟子とか、親戚のおっさんと姪っ子くらいの距離感と言った方がしっくりきます。

ウリエンジェ先生、愉快なおじさんポイントあげて合流するだなんて思ってもみなかったわよ。可愛いエレゼン男性大好きなので良いのですが。水上歩行の術、原初世界でも使えるんですかね?フーア族との取引で使えるようになったから無理かな?でもコウジン族のおまじないはずっと使えるので真の実力お披露目も無くはない…?

蒼天時代からめちゃめちゃ人に気軽に相談できない隠し事増えてきてて、めちゃくちゃかわいそうな人ですよね。
ミンフィリアを仕方ないとはいえ第一世界に送り出したこと、ムーンブリダさんが自分の知らないところで死んでしまったこと、昨日あったかのようにずっと心に残っているんだなぁ。
それでも腐らず、挫けず、暁でいてくれて本当に嬉しいです。ほんと、リーンが健やかに成長できたのは先生のおかげも多分にあるから…。あとめちゃくちゃ体張ってますよね。妖精との取引、なぞなぞ以外だと何してるんですか…?フーア族が欲しがるものってあんまりいい想像できないんですけど…。

ウリエンジェ先生の周りは優しくて賢い人ばっかりだったから、難儀な言い回しを続けても、自己主張がなくても、大して困らなかったのかな。
そんな彼が経験を混じえながらこうした方がいいと思うってある程度わかるように話してくれるようになったのが、サンク程じゃないけど長年やってきたからこそのキャラの確立なんだろうなぁと思います。
アムアレーンでトロッコ動かす前くらいの頃にリーンにしてた話とか、エデンとかでムーンブリダさんの話をする度にほんとうにあのとき何もしてあげられなかった申し訳なさにギュッとなるんですよね…。力があるはずなのに肝心な時に役に立てねぇ…。ミドやんのせいでよ…。


マトーヤの姐さんについては、ブレねぇお人ですよ。必要なら危険なエンシェントテレポ利用も躊躇わないとこも、1歩引いたツッコミ役なとこも、きちんと自分の目で見聞きしたいという姿勢は厳しいけどホンマにあの人の弟子だなぁという感じがしてめちゃいいっすね。あとママって言うよりお姉ちゃんくらいの距離感だと思う。それかお母ちゃん
キャラ性が完成しすぎててなんも印象が変わらなかった人ですね。
夜の民たちのお母さんではありますが。

そして肝心のエメおじについては、「好きだけどキレそう」のカテゴリに入りました。
元はと言えばこいつが作った帝国のせいで人死が出てるし、勝手に話進めて勝手に光飲み込みきれなかったからとガッカリして、なんなんだよコイツ!の気持ちと、本当に救いたい世界のために細〜い可能性の糸手繰り寄せ続けている生き残りとしての必死さはわかる気がするし割とすき、が両立してるんですよね。あたしゃ頑張り屋さんがすきなんですわ。
暁だって、冒険者だって、世界のためにできることがあるんならできるだけ頑張る側の生き物ですし。
だから、好きっちゃあ好きだし、せっかくだから忘れないでいてやんよ、だかムカつくのであのソル帝スタイルの時にも戦いたかったという心がふたつある状態。

アーモロートと影たちを見るに、穏やかな日々と友人知人のみんなが大好きなおじさんなんでしょうね。
だから、アゼムの魂の欠片を持っている冒険者に自分の持つ事実を与えてどうするか、これまでのやり方以外の道があるのか見守りたくなっちゃったんでしょうか。
というか、仮に光を全て飲み込めたとしたら、どうする気だったのでしょうあの人。あの「ガッカリ」の本気度合いが私はわからんのですよ。どう頑張ってもなり損ないはなり損ないなんで、光を飲み込みきれなくて、「やっぱりこいつはアイツでは無い」って安心したいだけなんじゃ?ムカつきますね。
それかマジで次の交渉フェーズを用意してたんですかね。その場に経つ最低ラインが光を制御しきる事で、それすら出来ないなり損ないのレベルの低さに(旧友の魂の持ち主のくせに)心底ガッカリって事なんですかね。ムカつきますね。長年人類の愚かなとこ、至らないとこいっぱい見てきたくせに妙に希望捨てきってないんですね。

それでも、あのオリジナル達の擦り切れようを見ていると哀れというか、いずれ暁一行が至る道と感じるんですよ。だってあの祝賀会の時だって英雄を逃がすためにすすんで囮になるのを選ぶ人達ですし。
だから、どうにも嫌いにはなれない。好きか嫌いかだけで判断出来たらどれだけ楽か。
あと、純粋にあの演技過剰な態度と真面目なトーンの温度差はズルいよ。好きなタイプのキャラです。
でも、あくまでゾディアークしんじつの断片なので、印象ゴロッと変わる可能性も残さないと後々怖いんですが。


ところで、誰かを救うには誰かが犠牲になっているところは避けられないので、アシエンたちとこちら暁側は、正しい、間違ってるの次元ではもう語れないじゃないですか。それは蛮族問題もそうなんですけど、規模が世界の成り立ちほどに膨れ上がっちゃってて。
対立構造こそすれ変わりはしませんが、「生存競争」というものをするにあたって、相手の事情を知りつつどうする?というとんでもねぇ難しい話をすげえ規模で冒険者は投げかけられてるんですよ。耐えれてるんですかね?ただでさえ重い文脈がくっついてるのに?フィナーレで文字通り燃え尽きそうで怖いのですが。
「誰かを救いたい」という願いの形が世界の分裂を産んで、原初の人々の願いを無駄にしたくないアシエン達がさらなる混沌を産んで…ままならないモノのオチが予想つかないんですよね〜。


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