徒然短歌① 美智子さま

岬みな海照らさむと点(とも)るとき弓なして明るこの国ならむ

昭和52年、歌会始御題 海 より

すべての岬(の灯台?)が海を照らそうとともるとき、弓の形に明るむこの日本であるよ、くらいの意味(違ったらごめん)。

美智子さまの御歌は日常や出来事を取り上げたものが多いですが、この歌は視点を俯瞰させて、なんとも発想が壮大です。

日本が海に囲まれた島国であること、その形が弓なりであること。この2点に着目して想像を広げ、日本という国を詠嘆した歌。

灯台というのは、希望の一種のようなものだと思います。航海士たちにとっては指針になるだろうし。けど一つ一つは照らせる範囲も限られている。それが日本という島国のすべての岬から灯れば、点であった光は線になって、日本の形に明るんでくる。「弓なして明るこの国ならむ」この下句に美智子さまの日本への愛情や希望や……、国への深い思いが滲んでいるように感じられてもうたまらんです。

歌そのものの発想や素晴らしさもさることながら、美智子さまのお立場からこの歌を詠まれているということが二重に感情を揺すぶられるといいましょうか……(語彙力がない)

さておき。

美智子さまの短歌はほんとうに素晴らしいものが数多く。教科書に指定してほしいくらいだと一ファンとしては思うくらいなのでありますが。かしこまった歌ばかりではなく、プライベートが垣間見える歌も実はちょこっと歌集に載っていたりします。それは子どものことを歌ったものや、上皇さま(旦那さま)への相聞歌(恋の歌)です。たとえば子どものことを詠んだ歌。

母住めば病院も家と思ふらし「いってまゐります」と子ら帰りゆく

すごくないですか。なにがすごいって「いってきます」じゃなくて「いってまいります」って……(さすがの高貴さ…)。

歌の状況としては、この1首前に「紀宮誕生」と前書きがあるので、美智子さまが紀宮さまを出産されたばかりで病院にいる。そこへ子どもたち(現天皇と秋篠宮さま)がやって来る。時間がたって子どもたちが病室から家に帰る。その際に母(美智子さま)に「いってまいります」と、本来は家から外へ出る時の挨拶をする。

そのちぐはぐさに可笑しみを感じて、こうして歌になった。

天皇一族というと普段どんな生活をしているのやら想像もつかないですが、ここで描かれているのはごくささやかでほのぼのとした一景で(「いってまいります」はお家柄が出てるけども)、母親が子どもにくすっとした感じと可愛いなあっていう愛情が本当にみんなと変わりなくうつってほほ笑ましすぎますね。

一首評ともいえない、ふわっとした感想どまりになりましたが、もしご興味湧きましたら美智子さまの歌集は書店で何種類も販売されておりますのでぜひに!

個人的には

今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇(そうび)のみな美しく

この御歌が大好きで一押しです。はーもう素晴らしすぎる。この歌を検索したらがっつり一首評を書かれている方がいらっしゃったので詳細はそちらを読まれるといいかもしれません。思いっきり他力したところで締めます。

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