徒然短歌③ 岡井隆

おびただしき無言のif(イフ)におびえては春寒の夜の過ぎむとすらむ

 今年の7月に92歳で亡くなった岡井隆さん。ニュースにもなり、いろいろなところで岡井さんに寄せた追悼文などを目にしました。訃報による影響の大きさからも、岡井さんがいかに短歌界において大きな存在であったかがしのばれます。

 私はこれまで、岡井さんの歌は「なんだか難しそう…」と思ってほとんど読まずに過ごしてきました。が、今回あらたまって歌集をぽつぽつ読んでみると難しいのは変わらないですが「こ、これは存外面白いぞ!」てな感じに想像してたより楽しめました。以前ほど文語体に抵抗がなくなってきたこともあるかもしれませんが、結果的に難解にみえてしまうだけであって、詠まんとする歌のイメージ、着地点のようなものがなんとなく共有できたからかもしれません。皮の部分は硬いけど実はそこまで硬くないというか、詩情の核みたいなものがなんとなくこの辺りなのかなーってちょびっと思慮できた感じ。

 さて、掲出歌に戻ります。

 Ifは英語でおなじみ。「もしも〜なら」の仮定表現で使われますね。人生とは選択の連続です。選択しなかったifの世界は、それこそ無限に近いほどあるでしょう。おびただしきはさもありなん。

 ただ細かくみていくと、「おびただしき」「おびえては」のo音の畳み掛けや「無言」というifの修辞が、歌全体に不穏さを滲ませています。もしもお金持ちだったらとか、もしも格好良かったらとか、決して、そういう楽しめの空想ではない。気候も「春寒」と、春なのに寒さを感じる時季で、時刻も夜。…なんだかおっかないですね。「寒さ」「夜」「おびえ」が一体となって、おびただしい、ifの恐ろしさのようなものを際立たせている。

 岡井さんは内科医という医師の顔も持っていました。おそらくですが、このifは医師という職業を通して抱いた「もしも」ではないでしょうか。電気を消し、布団に入って寝付こうとするが、寒さを感じてなかなか眠れないうちに、亡くなった患者たちに思いを馳せながら、「もしもあのとき」「もしもこうできていたら」と、おびただしい数のifが立ち上がってくる。自分の選択は間違いであったかもしれない、そうした可能性を突きつけてくるifにおびえている。

 けれど、いくら考えてもifはifであって、過去にはなりえません。自分の選択がどうであったか、確かめる術もない。ifにおびえながらも、春寒の夜は過ぎていくのです。長い不吉な夢のように。


 医師という精神的負荷の高そうな職業であることも関係しているのか、岡井さんの職業詠は迫力があるものが多いです。

立ち会いし死を記入してカルテ閉ずしずかに袖がよごれ来る夜半(よわ)

肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は

 それから備忘録として、岡井さんの歌は軍関係の暗喩が多い。

機動隊一個小隊ほどの愛この俺だけに通ずる暗喩

こういう歌に始まり、

母の内に暗くひろがる原野ありてそこ行くときのわれ鉛の兵

という代表的な歌にも暗喩として用いられています。あげると切りがないですが他にも「銃身」「市民兵」などなど。個人的にこだわってしまう何かがあるんだろうなと思いつつ、詳しいことはまったくわからないのでこれはいつか岡井評を読むなりして調べてみたい。

 

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