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BUMP OF CHICKEN がくれたもの

ふと、スピーカーから流れてきた曲は僕の青春の曲だった。

年が6個も下の女の子が、作業をしながらスピーカーから音楽を流した。

最近ハマってる曲だというから聴いてみると

BUMP OF CHICKEN

耳馴染みがある

どころか、高校の時に聞きはじめた青春の曲たちである

彼女は最近、聞きはじめたらしく、曲の出た時期を徐々に理解しつつ一曲ずつ楽しんで知る時期だった

なるほど

僕がMr.Childrenやサザンオールスターズを一から聴きはじめた感覚を彼女は体感しているのか

そう思うと

どこか BUMP OF CHICKEN は僕にとって青春というよりも

15年近くの苦楽を伴走してくれた恩人のように感じた

曲は好きだしアーティストの雰囲気も好き

ただ、それが理由ではない気がする

きっと何気なく好きで

自分の耳の都合の良い時に聴かせてくれて

不安な時にふと、電話を掛けたくなる母親のような

不思議なかけがえのなさを感じざるを得ない

33歳になると、おそらく、仕事ぐらいにしか『依存』できない人が多くなるのではないだろうか

『依存』と言うと、感じが悪いかもしれないが、頼りにすがれる存在があるといえのは、とてもかけがえのないことだ。


今、何かに頼れているなら


何年、何十年して

振り返った時に

善きも悪きも、そのことを思い出して、何かを感じ取れる

そんな時間がかけがえないし

今の僕にとっての、BUMP OF CHICKEN だった

あの頃のことを一瞬で思い出して

今、新しくBUMP OF CHICKENを知った人は、これからの時間を別の形で『依存』していく

『依存』できればきっとふりかえれる


そんなあたかも、時間や感覚を共有するような不思議な感覚が今日起きた

きっとこれは、人や物やアートや食べ物

なんでも起こりうると思う

もしかしたら、僕のような建築や珈琲といった、体験的なことをデザインすることで、『人の拠り所 = 依存』を作れるかもしれない

そう思うと、目先の価値が何かより

その人の中に何かが芽生えるかもしれないという

豊かさにつながるだけの『インパクト = 衝動』を作り続けることに楽しさを感じてくる


BUMP OF CHICKEN を今日も聴けてよかったと思いながら

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