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今の若いもんは・・・

--今の若いもんは・・・。

40歳を越えてくると、若者に接するとついついこう言いたくなってしまう。
私も会社に入りたての頃、会社のおじさん達によく言われた記憶がある。
私達の世代は『新人類』と呼ばれた。
さすがに宇宙人とまではいかないが、大人達から見たら発想や行動が理解しがたい存在だったらしい。


そもそも私は世代をひとくくりにして考えることに今でも違和感がある。
「今の若いもんは・・・」と言うこと自体に若い頃から疑問を持っていた。
自我が強かった私としては「皆と一緒にして欲しくないわ」といつも思っていた。
そんな私も今気づいてみたら、この台詞をよく口にしていることが多い。


そもそも、人間というものは、大抵の人は自分の若い頃を棚に上げて、いちいち人に色々と言いたくなる。
年をとり成長した自分から見たら、親切心で教えてやりたくもなるだろうし、中には単なるおせっかいだけの人もいる。
若者の中には「言われなくてもわかるわ!」と反発する者も多いだろう。


若い頃、へそ曲がりで生きてきた私としては、自分が何歳になっても、ただ年をとったからという意味だけで、「今の若いもんは・・・」とは言いたくはない。
ただ、ひとつだけ、日本の行く末を考えた場合、どうしても言いたくなる。
その思いの丈を書いてみたい。


日本の今の“若いもん”を考える際に、まずアジア新興国の“若いもん”と比べるのが私の前提である。
アジアの若者は全般、誰から見てもハングリー。
貧乏がゆえに、何かにつけてお金を稼ぐことに必死だ。
日本人から見たら、平気で嘘もつくこともあるし、裏切ることも多い。
だが、その理由を深く探ってみると、実は両親や家族を養うためなどに行き着くことが多い。
実は、純粋で人間味のある理由が一番多い。
もちろん、金持ちになることのみをハイエナのように狡猾に狙っている輩もいるが、これはどこの国でも同じこと。日本にも当然いる。
とはいえ、ハングリーという部分を見れば、アジアの若者が遥かに今の日本人を上回っている。


私は東京オリンピックの頃に生まれているので、日本はすでに本当の意味でのハングリーな状況ではなかったかもしれない。
それでも農村で育ったこともあり、質素な生活の中、「早く大人になって自立したい。自己責任で好きなことしたい」という気持ちは強かった。
それこそ、いまでいう肉食系に属する人間だったはずだ。


今の若者の様相を客観視する際に、「この20年間、日本が停滞しているから、夢も希望も持てないんだ」と、論調する人も多い。
「好景気の絶好調時を知らないから、ポジティブになれない」こんなことを言う人もいる。


私は、アジアの“若いもん”達と比較すると、そんな風には全く思わない。
今の日本人はどう見ても恵まれすぎている。
アジアの人たちは、海外在住者などの一部の例外を除き、1度も良いときなど体験していないし、良い状況というものも知らない。
仮に先進国に出かけて少し体験したからといって、そんな都市の実現を目指そうなんて思わない。
かけ離れすぎて現実感がないのだ。
だからこそ、彼らは先のことを考えるのではなく、目の前のことに必死なのだ。
このことは、先進国目線のビジネスをしていればマイナスに作用する。
先のことばかり優先しすぎて、彼ら彼女らのスタンスと合わなくなる。
これではウィン・ウィンの関係を構築するのは難しい。


翻って今の日本の若者を見るとどうだろうか?
あまりにも先のことを考えすぎていないか?
老後の心配を今からしていてどうするのか。
メディアや周りの大人たちに引き摺られるように、悲観的な先の話ばかりに目が行っている。
そして、無気力、無努力に陥っている。
また、情報過多の中、頭でっかちになり、実践より理論を優先する“若いもん”が多すぎる。
こういう状態を私は憂えているのだ。


今の日本は、10年先がどうなるかわからないぐらい弱っている。
ずっと先ではなく、目の前がすでに大ピンチなのだ。
今一番大切なことは、目の前のことに必死になること。
今取り組んでいることを真摯にやり遂げること。
そして、機会があれば、今の若者がもっと積極的に日本を飛び出して、アジアや世界の若者から刺激を受けて、一日でも早く目覚めてくれることを願ってやまない。
少数だが、すでに実行している若者もいる。


今の“若いもん”は現実を知る機会が少なすぎる。
そして、今の“若いもん”は日本のピンチを察知さえできれば、昔の“若いもん”以上に、積極果敢に活動できる環境がある。
率直に思う。
「ああ、もったいない」と。

(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2012年10月2日に投稿したものです。)

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