センサーの感度を磨けば、激動の時代を生き抜くことができる
当社にとっては毎年のことになるが、来春になると新入社員が入社してくる。
世間でももうすぐ春爛漫、社会全体で1年生が溢れる時期だ。
日本全体が新鮮な空気に一瞬包まれる。
確かに、社会人1年生はピカピカのまっさらの印象が強い。
新しいことが始まるという意味や働くということに対して新米である事を考えると、見た目だけではなく、内面もさぞ新鮮なのだろう。
未来に夢膨らまし意気揚々と意欲的で新鮮な気持ちが充満しているはずだ。
そして、緊張感もあいまって学生時代とは違って何かにつけて敏感になる時期だと思う。
しかし、私はこの時期の一年生にあえて警鐘を鳴らしたい。
そんな気分は単なる学生時代との相対的な比較に過ぎないということを。
ある意味、単なる錯覚に過ぎない。
会社に入ることで気が引き締まる、働く事が新鮮だ、と、感じている日本人自体が既にズレているのである。
先日、刺激的なビジネス誌の見出しが記憶に焼きついた。
“日本は先進国から新興国へ”
なるほど、この表現は今の日本と世界の相関を見事に言い当てている。
この記事を詳しくは読んでいないが、私になりに解釈すると、「先進国気分でこれからの日本を考えたり、アジアや世界の事を考えていては話にならない」ということだろう。
これから、日本が変わり行く世界で活躍するためには、新興国の目線と発想、そして行動が不可欠である。
言うまでもなく、新興国はハングリ-である。それも人間の本能、欲求に近い部分が大半を占める。
美味しい物が食べたい。
良い家にすみたい。
お金が欲しい。
豊かな暮らしがしたい・・・・。
今の日本人がすっかり忘れてしまった本能的な動機だ。
これからの日本は、生きていくために貪欲でないと日本の外では勝負にならない。
ところで、20歳ぐらいまでに人間が成長する過程で、いつの頃が、人間としての感度か一番高くなるのであろうか?
答えはひとつ、それは幼児の頃だ。
人間として生きていくために、本能的に全ての潜在能力をフルに使って成長しようとする。
歩くことも、話することもすべてそうだ。
よく言われるが、子供の頃に語学を習得するのが一番とも言われる。
納得できる。
自分の周囲のあらゆることに疑問を持つ。
あれ何? これ何? どうして?
小さい子供の質問攻めにあった人は、少なくないだろう。
常識を知ったり、社会に適用していく過程で、だんだんと人間は徐々にこういうセンサーが鈍っていく。
しかも困ったことに、日本の場合は、大学で一気にこのセンサーが錆つく。
私の考えでは、大抵の人は、大学生時代が一番、社会で生きていくための感度が低くなっているのではないか。
私自身のことを振り返っても間違いなくそうだ。
そんな訳で、振り返ると20代で働き始めた際は、リハビリに相当苦労した。
今は、正直、子供の頃の好奇心旺盛なチャレンジ精神に溢れた自分に戻れたと思っている。
そして、これから益々そうしたいと思う。
一方、私よりずっと年齢が上にあたる人生の大先輩の中にも60過ぎても、70過ぎても、いきいきと好奇心旺盛で、お元気で前向きな取り組みをされている方も大勢いらっしゃる。
要は、年齢は関係がないということである。
学生の話に戻るが、「学生時代と比べて刺激がある、緊張感がある、努力しないといけない・・・」という発想でいる限り、これからのグローバルな社会で活躍する人にはなりえない。
その時点で相当出遅れているということである。
ではどうすれば良いか?
第一歩としては、比べる基準を変えることが一番大切だ。
それは、先進国の日本の中では難しいかもしれない。
世界の中で、後進国や新興国の同年代がどういう想いを持っているのか。
どんな知識や情報、考え方に基づき、どういう準備や勉強、努力をしているかを知ることだ。
何もいきなり、外国の人と接点を持ちましょうということでもない。
機会がある人、できる人はそうすれば良いが、そうでない人は、是非、同じ日本人でもすでに日本の外を見ている人、日本の外を知っている人と積極的にかかわることである。
そうすれば、たかが日本で社会人1年生になったことの緊張感よりも、今、日本が直面している状況や危機感を感じとることができ、自然にセンサーが磨かれると思う。
私は、何も学生を批判したり腐している訳ではない。
これからの厳しい日本を支えていくのは今の若者だ。
だからこそ、世の中の事実や現状を一刻も早く知ることが大切なのである。
成長への手かがリが見えてくるものだと核心しているからこそ、
センサーの感度を磨くことの重要性を声を大にして伝えたいと思う。
(本記事は、ブログ「近藤昇の会社は社会の入り口だ」に、2010年12月23日に投稿したものです。)