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ジャグリングと音楽の比較。

ジャグリング歴10年くらいになった頃、「そろそろジャグリングの次の波に乗るべきかもしれぬ(Next Decade)」とふと思い立ち、ハーモニカやギターに手を出すようになりました。それまでは基本的に音楽は聴く専でしたが、今になった思うとどうしてあんなに音楽が好きだったのに今まで音楽をしなかったのか不思議です。
ジャグリングを10年もやってきたので、もうどうしても考え方の基準がジャグリングになってしまっていて、男は習慣と結婚するとはよく言ったものだなぁと思いながら、音楽とジャグリングを比較して考えてみて「ジャグリングは音楽に比べて制約が大きい」、「ジャグリングは音楽に比べて情報量が多い」というのが5年ほど楽器を触った僕の考えです。

ジャグリングは音楽に比べて制約が大きい

音楽って、テンポを無限に落とせるんですよ。だから極端に言うと、どんなに難しい曲でも物凄くゆっくりやれば初心者でも弾けるんですよね。いやそりゃ運指を覚えるのは大変なんですけどね。でもどんなに下手で才能がなくても、ある曲を最後まで弾き切るということは可能なんです。
でもジャグリングはそうではない。ボールが難しいからスカーフに変えて難易度を下げるという手段はあるにせよ、重力をないことにはできない。僕はあるレベルから下にはテンポ落とせないのがジャグリングの本質なのでは、と考えています。
人間を動力とし身体以外のモノを使い、重力を制約に持つ、つまり任意にテンポを下げ難易度を調整できない特性を持つあらゆる事柄はジャグリングです。

ジャグリングは音楽に比べて情報量が多い

音楽には音楽理論っていうのがあって、これが無茶苦茶便利なんですよ。例えば「この曲はCのカノン進行で。」っていえばだいたいどういう感じで弾けばいいか伝わるというか。もしくは楽譜さえあれば直接聞いたことがなくてもどこでもいつでも曲を再現できるとか。これは音楽が適切に一般化、モデル化できているということを意味していると思っていますがジャグリングはそうはいかんですよね。
例えば「クリス・クレモっぽく」とか「マリオ・ベルセクっぽく」みたいな表現はできるけど、それって全然適切な一般化じゃない。適切なモデル化ってサイトスワップくらいしか思いつかないんですが、じゃあサイトスワップを羅列すれば演技が再現できるかといえばNoですよね。これって恐らくジャグリングはまだモデル化が未発達で、それはジャグリングの情報量が多いということに起因しているんだと思います。音に比べて映像はモデル化しにくいということ。

なぜジャグリングは現在の音楽の立ち位置にいないのか?

でまとめますと、参入障壁が高く、情報伝播力が低いということは、やはりこれは流行らないということを意味するんだろうなぁと思います。換言するとジャグリングは、ジャグリングをやりたいと思えるほど簡単ではない上に、技や演技の構造を伝える術がないためメディアに乗らない。
「メディアに乗らないって言ってるけど、動画で見れるじゃん。」と思っている人がもしいたら、それは全く正しくて、恐らく今後100年くらいで今とは全く違うモデル化が動画の世界で起こるんじゃないかと僕は思っていて、その中で僕は、僕がどう表現されるのかが非常に興味があります。

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